臥竜山その2

2009年11月14日 日常
 東京の学会で、やはり臥竜山の話題が出た。恐羅漢を思い出す人も居る。
 
 広島からくる僕は説明をしないとイケナイ。

 ぐずぐずしてたら、オバマは直ぐに帰ったけど そっちはナカナカ解決しないね。と
 
 間の手が入って、助かった。




 僕は出席を携帯でとる。従って名簿を読み上げない。その所為もあり学生の顔は覚えるがなかなか名前を覚えない。

 「先生、飛田はトビタじゃなくてヒダじゃ。まだ覚えん。はよ覚えて」と女学生が言ってくる。

 男子学生が部屋のドアを開け、何か話し出すから、僕が「チョット待て、話す前、自分の名前を言ってくれないか、僕に教えてくれ。君の名前を知らん。」と言うと

 男子学生がフクレて「先生、授業中にアレだけ僕を当てておいて、名前をまだ覚えん。嘘じゃ。」と言う

 そうだ、授業中に良く元気に返事をする、回答をはずして、皆を笑わそうという意図のある学生だ、と記憶してるでも、学生の名前が思い出せない

 それで聞いてもまた忘れる。すると学生が「まだ、覚えん。」と言う、言い訳として僕が「そう言うなよ、これから長い教授会がある。」と逃げる

短大の女の子

2009年11月12日 日常
 「先生、お荷物が届いてます。」と坂道の一番下に有にある事務室から連絡が有った。重いと運ぶのが大変なので、イケメンの学生に「一緒に来て。」と頼む

 普段は落ち葉を踏みしめながら坂道を上がり下りするのだが、昨日は雨が冷たそうだったので、学内の渡り廊下を使った。

 渡り廊下は短大の中を通っている。で短大の女学生の間をぬって、坂の下に有る事務室に向かう。

 すると短大の女の子が。イケメンの4大生を連れて歩いている僕に。「アラ、先生。」と声をかけてくれる。

 普段、僕が一人で歩いても、ただ頷くだけの挨拶が、イケメン一人連れていると、声がかかる。若いのは羨ましい。

 女の子の多さと声がかかるのにビックリしたイケメン君が「先生、持てますね。」と言うから「違うよ、連れてる君に興味が有るだけだよ。」と答える、サミシイ

 

先生、結婚したい

2009年11月11日 日常
 「先生、結婚したい、誰か良い人、居らん?」とドアが開く。こんな事を言える女学生は、男の子の噂の一つや2つはある。

 はにかみ屋の子、デートも喫茶店も男の子と行った事の無い子、はこんな言い方をしない。

 でも可愛いので「もう飽きたか、彼氏に?」と聞くと「結婚は、無理じゃ、あいつとは。」と割り切っている

 結婚なんかしてゴラン、式場選びに披露宴の呼ぶ数を話し合ううちに、これと結婚して良いのかな?と思い出し

 実際に結婚生活が始まると、何でこんなに束縛されるの?と思い出し、同僚と酒を飲むのが楽しくなるよ。と言うと

 「へー先生、後悔してるの?」と何とも答えにくい事を聞いて来る。結婚に夢を持てるのは若いと言う事だろう。
 11月は4年生に卒論も書かせなければ成らないが、2年生のゼミ選びの時期でも有る。来年から3年4年と2年間のお付き合いをする仲間選びの様なものだ

 可愛い子が「先生のゼミは人気だから、申し込んでも、定員オーバーで断られるかな?」と丁寧に聞きに来た、こんな風に切り出す子は、可成り良い学生だ

 「ウー」と返事に成らない言葉を返していたら、脇からもう一人の女の学生が出て来て「大丈夫だよね、先生、先生は面食いじゃけ、私も先生のゼミじゃ」と言う

 「ウー」と答えながら、この子は僕の事を分かっている。と思ったが言う訳にいかない。でも口元がほころんだ。

 「ワー良かった。」と2人が帰って行った。僕は返事をしたのだろうかと心配になった。
 
 今週末に学会で東京へ行く。東京は嬉しいのだが、また東京の人に「ねえ、臥竜山ってどんなとこ?」説明を求められるのでは無いかと思う。

 2年ほど前に恐羅漢(おそらかん)でスキー場の遭難があった。あの時は無事に解決したんので良かったが、それでも「恐羅漢って何?どこ?」と色々聞かれた。

 でも今回の事件は痛ましくって声もでない。話題にも出て欲しくない。

 でも東京の人にしてみれば話題の一つである。「広島には色んな難しい名前の山があるな」と言われはしないかと心配である

 それに難しい漢字である。臥竜山の臥は臥薪嘗胆の時か三国志の臥竜(諸葛孔明)以外は記憶にない。そんな有名な山かなと思う。

 聞かれると思うだけで自分の心配しても、被害者の方を思うと、イケナイ、イケナイ、何を些細な自分ばかりの事を気にしてと思う。
 天気も良い、体調も良い、10Kmの市民マラソンには出れなかったが、せめて自分一人で10Kmをはしりたい

 と思って家をでた。自転車を川辺に停めて、走り出した。「うん大丈夫だ走れる。」と思った

 4Kmくらいの所で散歩している学生から「先生、頑張って。」と声がかかる、市民マラソンではないが有りがたい。

 でも8Kmを超えたあたりで膝と指が止めてくれと言いだした。まだ息は上がってないので走れるが立ち止まってしまった

 今まで人生で「こんな些細なことで止めて溜るか。」と無理をしてきた僕だけど体の部品が言う事は聞こうとおもった。

 キットこの膝だって指だって走りたいのだ、でも壊れるとまた半年、自転車にも乗れなくなる。

 歩く川べりの道は日差しが暖かだった。

卒業アルバム

2009年11月7日 日常
 そろそろ卒業の準備である。卒業論文もあるが卒業アルバムも大事な物のひとつである。

 最近は「卒業アルバムは値段が高いから、要らない」と言う学生も出てきたが、女子高から短大、大学と伸びてきたこの学校は卒業アルバムは未だ大事だ

 昔はお見合いに使う大事な道具だったらしい。それが最近は「婚活(結婚の為の活動)メンドイけ親に頼もう。」という女の子もでてきて

 ならばキチンと大学をでた、と言う証拠と言うか、気軽に見せる事ができるお見合い写真のチョイ手軽版の卒業アルバム必要ジャンと言う子もでてきた

  女子高であった僕の学校は大学に成ってもその昔の香りがする。「先生、綺麗に写っとる?」と聞きにくる

 写真屋さんの電話番号あげるから、自分で見に行けば、と言うと「嫌じゃ、恥ずかしい。」とくる

 僕が準備しない卒業アルバムの出来を心配されてもな、しかも「要らない、買わない。」と言う男子学生でも「オレ、ドウ写っとる?」と僕の回りをウロウロする。

 何時の頃からは知らないが、大学に出席が有るようになったらしい。この学校にきて出席を取るように言われ驚いた

 僕の記憶では大学の出席は体育と語学しかなかった。語学は出席してないと当然出来なくなるので仕方ないし。体育も居ないと綱引きもバレーも出来ない。

 だが他の一般教養とか専門の講義で出席を取られた記憶がない。今時の学生は一般的に出席を気にするのか、この大学だけなのか分からないが

 先生、オレ何回休んだ?と聞いてくる。残念だが学生の名前も学生番号も知らない。高校までと同じに先生が名前を覚えるモノと錯覚してるのではと思う

 それに僕は出席をとるのを携帯に変えてから、出席は自動的にパソコンのファイルに書き込もれるので、このオレ何回休んだ?に答えるには僕のパソコンを開かなければならない

 残念だが校内を歩いている僕に声をかけられて問合わされても、僕はパソコンを開けない。従って「ごめん、知らない。」と答える。

 

社長と合コン

2009年11月5日 日常
 「先生、どなんしょ、ウザイ、あの男。居らんとツマらんけど、居るとウザイ。」とストレートな発言である。

 概ね、男女の中は、そんなもんじゃない。始終、会っているより、タマに会う方が上手く行くよ

 僕が東京へ単身赴任の時が女房と僕は一番 仲が良かった、と答えると「先生の話を聞いてるんじゃなくて、私と私の男の事。」と

 無理だよエッチはしたいけど、手間も責任も取りたくない、若者が多い中で、貴女の希望に会う男は居ないよ。年上を探すんだな と

 「そうなのよ、今度、社長と合コンするの。」と来た、そんな所に本物の社長が出てくるのかな?と思ったが、いやしかし

 若手の自主独立を目指す、企業家が出て来る時代なのかとも、フリーターの仕事請け負い人を社長と呼ぶのかとも 思った

 でも元気に「先生、また来るね。」と出て行った

 今頃になって、僕は物理の教科書を開いてる。高校生の教科書だ。ナカナカ面白い、知らない間に教科書も進化してる。

 こんなに沢山、どうやって覚えるのだろう、船頭 多くして 船 山に登るを地でいく程に色々な事が 正確に書いてある

 正確に書けば書く程、意味が取りにくくなえるのは、日本語の特色というか言語の特色なのではないか

 だから短歌や俳句がはやり、都々逸が楽しいのではないか、だから言語と物理は相容れないのかもしれない と 思った

 でも絵も写真も多くなった立派な教科書の前で、一つ一つの数字やABCに何故だろうと思う浅井であった。

先生もう帰る?

2009年11月3日 日常
 夕方に寒くなって雨が降って来た。4時半頃に帰ろうと支度をしていると、女の子達が入って来て「先生、もう帰る?」「珈琲が有ると嬉しいな」ときた

 お茶位ならお安い用意だが、寒いし雨が降ってるし、「御免、返して、僕は帰宅部の部員だから」言い訳する。

 本当は、明日の休みでに市民マラソンの10kmに走る予定だったが、自信もなく仲間も居ないので、内緒で別の場所を一人で走ろうと思ってる

 去年まではインターナショナルスクールの生徒と先生達という仲間みたいのが居たのだが 今年は盛り上がらない。

 歳と共に出来る事は少なくなって行くが、自分の体は自分で動かせるようにしておきたく、部屋の鍵を締めた

カモメの領域

2009年11月2日 日常
土曜日と日曜日に川辺を走った。土手にはカラスと雀、中州にはカモメと鵜、水際には青鷺と小型の白鷺、それにカモが混ざる

 走りながら多分あれは漁師さんの仕掛けかなと思いながら、水面に浮かぶプラスチックのボトルの空壜をみる。

 川辺を登って行くとカモメが居なくなる場所がある。多分「これより上は川の領域で海ではない。」とカモメが思う場所なのだろう

 不動院という駅の所でカモメが居なくなる。僕もこれ以上は上流まで走れないのでそこで折り返す

 折り返すのだから不正確な判断だ、上流にあと5-6Km走って確かめるべきだろう。

 でも僕の残り少ない体力と、今まで生きてきた何でも直ぐに思い込むくせは、キット昔の波打ち際と河口は此処だったのだろうと僕に言う。 

思い込み

2009年11月1日 日常
 僕は、一度「アアこうなんだ。」と思うと、物事を単純にして割り切ってしまう。「ダカラこうなるんだ」と思いこむ

 都々逸ではないけれど「こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった」を地で行ってしまう。

 だから学生が恋愛の相談に来るときは、ああして こうなったんだろ?と聞くとその先の回答が簡単に出てくる

 勝手に困ったと思って困るな、夜も昼も 眠れなくなるほど惚れてから相談においでと答えると

 まだ寝れるし食べられる「そこまで惚れてない」と言う、恋の病気にかかってないのだろう。と 僕にカラカワれる。

 でも自分の時は思い込みが激しくて、何時もドジをしている

知りたくないから

2009年10月31日 日常
 学問は伝統を重んじるらしい。先輩を尊敬するらしい。年寄りに恥をかかせないようにするらしい。

 学校に勤めて6年目だが「先生の言う事を聞きなさい。」が前提に成っている教育が、僕には理解できないのだ。

 安田講堂の時、大学の先生の思想はマルクス経済学の優位を歌っていた気がする。僕は騙されたとは思わないが、それでも毛沢東に憧れていた。

 日本の伝統であるとされてるお茶やお花や盆踊りは2次大戦に向かう日本の若者?というか軍隊の思想を止められなかった。

 これだけ歴史が証明しているのに。知らない間に世の中が変わっているのに。未だに携帯を学校の机に置くなという考えが有るのが、僕には悲しい。

 新しい物を入れたくない、知りたくないから、が学校では寂しい。

 

物理と言語

2009年10月30日 日常
 韓国から5日ほど日本に地域調査として来た学生さんは、僕の家の隣のホテルに泊まった。

 翌朝、僕が登校しようとホテルの前を通りかかったら、窓際の席で引率の先生が学生と朝ご飯を食べているのが目に入った。

 僕は1時間目は授業が無いのでホテルに入り、引率してきた日本人の先生と話し込んだ

 彼はタオルの今治の出身で東北大の物理に入ったのですが、教養として聞いていた『言語学』が面白いので、言語をでました。と言う

 卒業して日立に入りました。言語も機械へのプログラムだと言う事でパソコンの仕事をしてました、でも

 やっぱり言語学ををやりたくて3年間お金を貯め、東北大の言語の修士に行き更に博士と思ったのですがまだ博士論文をかけてません

 今治の短大に勤めてましたところ東北大から韓国で日本語を教えないか?と誘いがあり今年の9月から初めて海外にでました。

 そおか ヤロウと思えば 何でも出来る と言う 子供のような明るさをこの先生に感じ 歳を聞くと38歳とのこと 若いって言うんだろうな 歳にかかわらず。

サイゼリア

2009年10月29日 日常
 日本に来る、韓国人の学生は日本語をシャベってくれた。でも昨日の夜の飲み会は英語の方が楽だけど、少し日本語もはなす学生さんが混じってるだ

 だから会話が英語と日本語と韓国語とチョコチョコかわる。韓国から旅行にきた韓国人の学生4人と引率の先生一人で5人、日本の大学に留学している韓国人3人

 それに日本人で韓国語を話す学生が3人(一人は殆ど話せない)それにお隣の先生と僕で12人で呑んだ

 12人にもなるので、予算の関係もあるし、僕は餃子の王将に連れて行こうと思ったが、学校でサイゼリアのメニューを見せているうちに、じゃこの店に行ってみたい成った。

 韓国にはまだこの手の安いファミリーレストランの洋食屋さんは無いらしい。フォッカチャを食べて、パンにチーズが入ってると騒いでた。

飲み会を忘れた

2009年10月28日 日常
 昨日は早く帰宅した。3時半には家に着いていた。すると珍しく携帯が鳴る。オカシイと思った。

 携帯は家に置いてあるし、持ち歩かない、その携帯が何故か僕が家に帰ると鳴るなんて、と思って出る

 で携帯の言うのには「先生、今日の飲み会を忘れた。」でしょうと、そうだ学生と約束していた「火曜日の夜、空いているよね。」と先週に確認された

 こういうとき広島は狭くて助かる、自転車で20分程で飲み屋に着く。若い子の恋愛の話で騒いで「先生、酒酔い、自転車は罰金よ。」と言われながら、家に戻った

酒でも呑もか

2009年10月27日 日常
 僕は学校の先生に成ったのは5−6年前だ、一応、此処は大学なので教授となるが、困るのは帰りの5−6時に独りで帰宅する事だった。

 だからサラリーマン時代にあった「帰りに一杯、行きません?」とか「酒でも呑まなきゃやってられない」を会話する相手がいなくなった。

 40年前の住友に入社したころ夕方の6時は残業する為の食事時間だった。呑み会は7時より前に始まらなかった

 年寄りは過去の話を繰り返すから嫌われるのかもしれない。でも昨日、久々に「酒でも呑みませんかも」を聞いた

 「じゃ今日、6時から」と言えない自分がイヤだった。

 多分「酒でも呑むか」は最近は聞かれなくなった言葉なのだろう。僕が下校する途中にある官庁街やオフィス街も5時半から6時には帰宅する人通りが増えた気がする。

土手

2009年10月26日 日常
 今は川沿いの遊歩道と言うそうな、その昔は土手と言った道に緑の柔らかなクッションが敷いてあり走りやすい。着替えて土手に向かった。

 気持ちは10kmを1時間で走ろうと想っている。でも現実は違う、古い傷が痛んだり、やる気が失せたり、歩きたくなったりである

 それでも、カモメもサギもいる。水かさの深い所は小さな黒いウが群れで潜っているも、多分カモも飛んで来たのか水の穏やかな所にいる。

 魚が跳ねて逃げる音か時折ポチャ、ポチャと聞こえる。サボっているのは僕だけだとまた少し走りだす

 時計を持たないので1kmを何分で走ったかしらないが、きっと1時間半位で10kmの土手に居たのだろう。川風が気持ちよい

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