一昨年の暮れに18歳の連れ合いを亡くして、一匹になった19歳の猫が昨日の朝、息をしなくなった。

 この猫の夫婦と5回の引越しをした、東京で3回、広島で2回だ。

 広島へ来る時、東京へ里帰りの時も、車の中や新幹線の中で困っていた猫たちだった。

 20年も僕の家族を見ててくれた猫たちだった。猫はよく話をする。子供たちとも僕らとも。

 僕の家には、何時でも家に帰るとこの猫たちが居た。
 学生がドアを叩く「あれ夏休みで学校は殆ど人が居ないよ。僕みたいに用も無いけど学校に居る先生は少ないよ。僕に会いにきたの?」と言うと

 「夏季の集中講座ですよ、今やってるのですよ」と答えが来た。でも学生も程んど見ないので、「何処に学生が居る?」と聞くと「生徒は私1人です。」との事

 「その講座を何故取った?」と聞くと

「内容のある講義なのだが、学生が知らないので、受講者が居ない。この講義がなくなると勿体ないのでカキの4日間の集中講座だけど取ってくれないか

 と何処かの指導教官に言われたからと 続いて、「先生、大変、1対1の講義は 大学院で幾つか経験してるから何とかなるけど、今回のはシンドイ」と

 「何たる贅沢だ、先生1人に学生1人なんて、授業料の独り占めみたいなものじゃないか。」と言うと

 でも講義は頭の中に入らないし、脱線の無駄話は呑み屋の会話みたいだから、ハイハイと返事してれば良いのだが、何処が脱線で何処が講義かもわかない。と学生

 一人だから、落とす気は無いだろう。安心して聞いていればよいよ、でも講義する先生も大変だろうな?。と思った


AO入試

2009年8月24日 日常
 昨日はAO入試の講義をした。講義のあとどの程度まで理解したか?を確かめるテストをする。

 と言っても落とす試験ではないので、大学での講義を聴く事が出来るかどうかのチェックであると言っても良い

 午前中の講義と昼前のテストが僕の役割だ、終わって、研究室にもどり着替えて半ズボンとティーシャツに着替える。

 自転車で学校の坂を降りていたら、受験した高校生に会った。眼か驚いている。自転車を止めて話す

「講義中は背広にネクタイで格好をつけないと、何処かの野良作業のオジサンが講義しても、君達は聞かんだろう。」と僕

 「それ、有り~?」と高校生が答える、来年、この学生に講義するのだろう。

加藤友三郎

2009年8月23日 日常
 この人の銅像が立って1年が経った。1年目の集まりに出かけた。未だ加藤友三郎を知らない人が多い。

 僕もこの人の名前を51歳の夏に、当時の広島の教育長だった辰野裕一さんから初めて聞いた。

 「浅井さん、大手町に住んでいて、加藤友三郎を知らないの?」と驚かれたのは10年前の事だ

 夏の日差しの中テントの下で宮司さんの祝詞を聞く、地鎮祭に最近行ってないので久々の日本の良さに触れ、玉串を捧げる

 英霊に会いに硫黄島に行って来ました、と言う人、子供のころ北朝鮮から逃げて帰って来た、と言う人の話を聞く

 軍縮会議を世界で初めて受諾した加藤友三郎が日本の総理大臣であることも海軍大将であることも知らない日本の教育に涙する。
 

1000円床屋

2009年8月22日 日常
 価格破壊とは言わないが、千円の床屋さんが定着してきたようだ。

 まだ3000円と3500円の床屋さんも残っているが、1000円の床屋さんが混みだしてきている。

 以前は東京からのブランド?チェーン店のような1000円床屋がショッピングモールに出来ただけなのだが

 今は僕の家から歩いて5分のところに地元の1000円床屋が2件も出来た。

 15分もあれば床屋が終わるので、朝の出勤をサボって10時開店と同時に飛び込んだ。

 少し遅れて学校に着くと、事務からメールが入っていて「学生さんが待ってました、先生が居ない。」って言っててましたと
 忠臣蔵の赤穂浪士は「あだ討ち」でも「かたき打ち」でもない。

 主君が殺したかったけど、途中でダメになったので家来が代わりに殺した。

 と言うような話をしながら呑み会になった。何せ集まる(集めた?かな)人の年齢の差が大きい

 70才に近い方が3人、61歳の僕、50歳前後の人が2人、20歳が一人と年齢に幅がある。若い2人が女性だ

 男と女は年の差は関係ない。かのジュリアス、シーザーは53歳の時に22歳のクレオパトラと会った。

 でワイワイがやがや呑み会は僕が「もう9時だからお会計します。」で9時半に終わった。

 
 アルバイトの店員さんで可愛い子がいる。声をかけるとニコヤカニ返事をする。

 女は愛嬌と言葉使いと仕草だと思う、あの混んだ店の中で、頑張ってそうに見えるのだから
 
 実際の仕事は注文をとって餃子を配り、会計をするだけだけど、子供は走り回るし、客は勝手だし

 で話をしだしたら、メールが来るようにを成った。来たメールが何回か往復したら「わたし学校嫌いだから、働いてるの 16歳」とある。

 嘘だと思い、餃子を食べに言って確認するもやはり16歳だ、テッキリ大学生のアルバイトと思ってた

 女は怖い。
 「先生。あれ何?」と学生からよく聞かれる。それに僕の大学時代のゼミの先輩からも熱心な勧誘が来る。

 「宗教が要る(必要なほど)日本はダメな国になったのかな?」と答えると

 創価学会だって公明党だって宗教じゃない。と学生が頑張る。

 創価学会に参加される人達は宗教の匂いがあまりしない。日本に古くからあるの相互補助の集まりのような気がする。

 オウムだって立候補者を沢山たてた時代があるから、宗教は僕の理解を超えるよ。と答えると

 「するとオバサンたちのオウムって事ですか?」と学生、

「おいおい僕の大学時代のまじめな銀行の人が信じてるのだ、そこまで言わんでくれ。」と僕がタジタジになる

出陣式

2009年8月18日 日常
 自民党の式は9時10分と書いてあった。黒塗りのお車が周りを取りかこむ。この不景気に国の工事が無いと食いっぱぐれるという気運に満ちている。

 それにしても人数が多かった。「社長、お席が取ってあります。こちらです」と若い社員が誘導する。

 県会議員の挨拶から話が始まった。時間どおりである。まるで学校の入学式のように式次第が決まっている。お年寄りが多かった

 民社党の出陣式にも顔を出した。選挙区が違うので失礼に成らないと思い。立派なお婆ちゃんから頼まれたこともあり行ってみた。

 世代が若いし、黒塗りの車が居ない。式次第も有るような、無いようなである。主婦が多い。

 学校のような「伝統を伝え、勉強すれば将来がある。」と言い続ける者にとっては現実は理解しがたい物に見えるのかもしれない。


 お盆で娘と女房が東京へ帰った。自分のパソコンに電源を入れるより、娘のMacのほうが立ちあがりが早いので使ってみた。

 ブログを書き終えてスリープにしようとした時、Macの画面に「xxを更新して下さい。」と現れ、僕が不用意にYesを押してしまった。

 翌朝、Macは氷ついている。何回やっても「reset」して下さいがでる。画面には機械語が並んでいる

 ネットで見ると「reset」の仕方が色々書いてある。全て試すがresetされない。困ったが「何とかなる。」とホッテ置いて忘れた。

 娘が東京から1便乗り遅れて帰ってくると「パパ、パソコン触った?動かん」と言いだした。そうだホッテおいた。「ゴメン。パパが何か更新した。」と

 「うーん」と口を尖らす娘、翌朝、娘がMacサポートに電話すると、色々やれと言わるのだが画面が変わらない「持ってきて下さい。サポートセンターでresetします。」になった。

 お金を支払う事になるのは仕方ないが、無線Lanの設定を変えられると困る。2年前にMacを買った時に、バッファローのAir Stationの暗証を設定するのにお隣の先生と奥田君の2人で3時間かかった

 あの暗証番号は記録してあるが、もう一度やれと言われてもできない、それに僕がやってない。

 「自分のパソコンを自分で設定しないから、そうなるのよ」と女房に言われつつお隣の先生を車で迎えに行ってMacのOSの入れ替えをしてもらった。

 動いた。ホットした。
 僕は大学で何を教えて居るのだろう。と常々考えていた。

 学生は沢山聞きに来る、私語も少ない。メールをしている学生も少ない。

 でも何の学問をしているか、自分でも把握できていなかった。

 毎年、出ている(学会?)で、住友商事OBで大学の先生に成った集まりがある。

 そこで今年の3月に「学問だけを信じている学生を如何に実際の社会に適合させるか?」という分野がアメリカにはある。

 此れを実践学?の教授(professor of practice)と言うとのこと。

 この言葉は医学の臨床 medical practice という言葉を借りて作ったらしい。

 此れを聞いて、僕の学問は実践学にしたいと思った。しかし、昔、実践女学院という良い学校が有った事を思い出して困ってる。
 アラブ人のアーッショフと朝9時半まで一緒にシドニーのオペラハウス脇の公園に居た。

 2つ教わった、1つはヨルダンが王国だと言う事、ヨルダン人の理解ではイギリスもトルコも自分たちを占領してないと思っている事

 もう1つはアラブ人がキリスト教徒を悪く言う点は何処だ?と言う事。

 答えは何とも古臭いと思うのだが反論しにくい次の点だ

「神の言葉は、ショッチュウ変わるかい?、神の真実は永遠だろ、神の言葉を訳したり、版を重ねる毎に変えたり(ヴァージョンと言ってた)それはオカシイ」

 「高々数百年のはなしだ、真実の神の言葉はそんなすぐには変わらない。」と何とも反論しにくい。

 加えて「俺達ヨルダンはアレキサンダーの時も、ジンギスカンの時も耐え忍んで生きて来た。今のアメリカ?60年前のイギリス?それがなんだ。」

    未だ8月8日の日記だ

アラブ人 

2009年8月14日 日常
 シドニーのコンビニにパソコンが置いてあり2ドル払うと30分か1時間使える。ネットカフェでないので個室でもないし、珈琲もつかない。

 で置いてあるパソコンは安いのが多い。安いパソコンはCJK(china中Japan日Korea韓)の漢字が出てこないのだ

 シンガポールのパソコンは古い漢字が出るから日本語はでる。でもシドニーの安いパソコンはabcと123しかでないのだ。

 思い出した同じ事が昔あった。僕が大学生の時は40年前だが、当時教わってたフォートランfortramはまだ英語の世界だった

 たしかカタカナをパソコンに装備できるのは電力会社のコボルcobolだけで、請求書はカタカナ半角の宛名で来てた記憶がある。

 あの当時はカタカナが出ただけで画期的だった。シドニーでインターネットする時は日本語の表記の出るパソコンを探して呉れないと、僕は日本に連絡が出来ないのだ

 その時、夜勤のコンビニの店員が助けてくれた。それがアラブ人のアーッショフなのだ。今から彼と朝ご飯を一緒に食べるのだ

 まだ8月8日のシドニーの朝の日記である

エホバの証人

2009年8月13日 日常
 シドニーのコンビニにはインターネットが置いてある。ネットカフェでなくてレジの脇や、壁に3~4台のパソコンが置いてある。

 料金は一回2ドル程度である。今回はblackberry持参なので利用しなかったが、3月にはお世話になった。

 でお世話ないなったコンビニの店員にお礼の朝ご飯をご一緒しないかと朝の8時にホテルの前のコンビニに行ったら

 レジの交替要員が来ないから少し待っててくれとの事、空いた時間にネクタイと皮ジャン(皮の背広?)のお兄ちゃんが居て暇だから話をすると

 「貴方は面白い貴重な話をします。その話を皆の前でして呉れませんか?」と丁寧にはなす。

 何かオカシイと思ったらジョーへーウーのテスティモニイと言う、そりゃ何だ、何せ僕の耳が正確でないから聞き取れない。

 テスティモニーは聞き取れる「証人」と言う意味だろう、でもジョーシュアでもないし、何せ8時から飯を一緒にする友達?はアーッショフなるアラブ人だし

 わからない、聞き取れない単語をしかも英語で言われると思考が進まない。何回か聞いて「エホバの証人」だと思った。

 ひょってしてそれ「エホバ」って言ってるの?と聞くと、日本人にはそう聞こえるらしい。と話がつながった。

 で彼の手にはバイブルがあった。しかも開いて説明しだした。「俺、何か悪い事したかな?」牧師に説教されるほど

未だシドニーの8月8日の日記です
2009/08/04 広島の教授
 広島に友人がいます。素晴しく頭が切れるのにその素振りも見せない尊敬する先輩です。彼に初めて会ったのは34年前のブラジル。彼も私も商社から派遣された研修生でした。

 帰国後、彼はアンゴラに派遣され、一時帰国の際に会った時は、黒曜石のような膚をした政府の高官と仲良くなる方法、とか、メニューの中で作れるものが2種類しかなくて、しかも月一回の仕入れ後1週間で1種類となり全員に行き渡らないというホテルのレストランで生き延びる方法、とかすぐには役に立ちそうもない技術を伝授されたりしましたが、

 24年前カナダに赴任していた私を訪ねてきて渡り蟹の雄と雌の見分け方を教えてもらって以来、会うチャンスがありませんでした。

 OJTキックオフの後、懇親会を早目に失礼して待ち合わせの広島駅前デンマルクに行きました。店の前にも中にもそれらしき人はいない。

 携帯にかけようとしたら、目の前で老婦人と話していた人がアベちゃん、と立ち上がりました。普通待ち合わせの人は隣に座った見も知らぬおばあさんと親しげに話し込んだりしないだろう?

 新幹線最終まで約2時間、話は尽きることなく24年間のブランクを埋め、商社マンから通信(携帯)会社に移った彼が大学教授になった小説のような顛末から現代大学生気質まで。

 彼は今、比治山大学で英語は下手に話せと教えているらしい。

帰国報告

2009年8月11日 日常
 Australiaから帰ってきた。報告書を作り。提出した。内容は「上手く行ったが、経過はドタバタしていた。」である。

 日本のとかその組織の正義とルールを貫くと、相手の国とか組織の正義とどうしても相容れないものがある。

 だから交渉という、本来は必要でないものが、必要なのだろう。その交渉にAustraliaに4日ほど、往復入れて1週間ほど行ってきた。

 その結果。双方に取って、良いとも良く無いとも取れる。曖昧な内容で「何となく双方が得したような」契約というか協定書にサインを貰って帰って来た。
 朝ご飯は7時、8時にハンターバレーを出発、9時半にシドニー郊外のゴードンゴルフクラブの脇の自宅に着く、車を旦那のボルボから奥さんのベンツに乗り換えてACUの大学に向かう。

 アポイントは11時、余裕の筈だ。でもシドニー・ハーバー・ブリッジで交通事故が有ったらしい。通行止めに成っている。渋滞が激しい。時間が過ぎる。

 「浅井さん、此処でハーバーブリッジを往復すると、ダイレクターとの11時のアポイントに遅れる。このままACU大学に行けば、時間は十分すぎるほどある。」とホテルに戻らない事にした。

 でも困った事がある。僕をホテルまで10時半の約束で学生支援の人が迎えに行っている。僕のホテルはハーバーブリッジの向こうで、ACUの大学は橋の手前だ。

 彼を呼び返そうにも何故か携帯がつながらない。僕の目的はACU Australian Catholic Universityの役員から交換留学生の協定書にサインを貰う事だ。

 僕を迎えに行った学生支援の人がブリッジクライム ではなく歩いて戻るか車を駐車場に止めて地下鉄なら間に合うが、連絡がつかない。

 結果として学生支援の日本人の方には大変失礼な事をしたが、時間どおり相手の役員が「お茶にクッキーは如何」と会談が始まり、にこやかにサインはもらった。

シラーズ

2009年8月9日 日常
 ワイナリーを5-6軒歩いた。何処でもshirazを勧める。色々赤のワインの葡萄の種類は覚えさせてもらったが シュラッズ(シラーズ)は初めてだ 唐辛子が何処かに僅かに効いている。

 色々聞くと、ワインのかおり付けにオリーブをベースにしてそこに、ハーブ、唐辛子、甘さのカラメルを混ぜ込んだ味噌みたいなものを作り、それをワインに僅かに溶かし微妙な風味を沁み込ますのがワインのノウハウらしい。

 これは浅井の勝手な想像と語学力の限界があるので正確ではないが

 でも試飲とつまみのチーズ、旨いし脂肪がシッカリ残っている分だけ塩味が強い、と香り付けに用いるオリーブをもとにした味噌のような塩辛のような味付けの元を爪楊枝で刺してご機嫌になる

 風が出てきてすごしやすくなったクカバラ(大きな白い鳥)が飛び出しガラ(ピンクのオウム)が動きだした。もう少し暗くなるとカンガルーが出てくるからと探して車を走らせてもらう。

 ズイブンと大きな太陽が西に沈むと感激して写真を取った。オーストラリアでは夕日も大きいのかと思った。

 で満月の夜にまた飲み歩いて。翌朝、明るくなったので目を覚ました。オカシイ昨日夕日が沈んだ同じ風景の同じところから朝日が上っている。

 キット僕は西と東を間違えて、昨日感激したのは、月が出てくる時だったのかも
未だ6日の日記でcessnockセスノックと言う田舎町に居る

Hunter Valley

2009年8月8日 日常
唐辛子で味付けと言うか香りつけしたshiraz(僕にはシュラッズと聞こえる)なるワインが有る。との事

 もう新しいワインを覚えるほど若くない。でも夫婦(実業家のオーストラリア人の旦那と日本人の教授の奥さん)と犬とでシドニーの北160kmの山荘まで出かけるから一緒に来ないか?の誘いを断る気はない。

 日帰りでもOKと言うが、万が一を考えて、協定書(これにサインをもらいにきた)と背広(ええ格好しいだから)を持って Hunter Vallayに向かう朝8時だ

 Volvoのv-70のうしろに荷台をつけ椅子や机や料理道具を満載し(山荘に運ぶのだそうだ)50kgくらいの大きな犬を乗っけてて(犬がワゴンの後ろの最大のスペースを占める)

 少しガタガタ揺れながら後ろの荷車(トレーラー)を気にしながら、大丈夫だ家から山荘まで信号は3つだと言う

 確かに1時間半で信号は3つだった。シドニーのGordonゴルフクラブの脇の自宅をを出てハイウエイに乗り、そして降りて3つ目の信号を超えたところに山荘はあった。

 なだ6日の日記だ

大三元

2009年8月7日 日常
 5日の11時の歓迎会は13時には終わった。英語の話は草臥れる、サンドイッチでは腹に溜らない。

 14時に学生支援の日本人に来てもらい、日本人の教授と僕と3人で、昼飯の食い直しをする事になった。日本語は楽だ。

 でACUのストラスフィールドから近い中華の大三元で飲茶を食べることになった。

 シンガポールの飲茶は旨い、海老と蟹が豊富で安いからだ、シドニーの飲茶も中国人のお陰で旨い。ハーカオ、シューマイは楽しい。

 でも知らない料理も旨い。鳥の指の(足の?)茹でものだ。チョッピリ唐辛子が添えられてる。コラーゲンその物だ。

 それに豚肉の黒豆ソース炒めが旨い。やはり肉のオーストラリアなのかな?と思う。

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