父の肺癌

2009年8月6日 日常
 5日の11時はサンドイッチとケーキとフルーツが用意されていて3月に会った教授が2人新しい顔が2人で始まった。広島の話を明日は原爆の日だからと言われ

 僕の父は15年ほど前に肺がんで死んだが、死ぬまでタバコを止めず「タバコが呼ぶらなあの世へ行くよ」と死んでいった。父はタバコに命を3回救われたのだ。

 最初がガダルカナルから撤退する船が撃沈され海に漂っていた時だ、昼間は救助の船が来ない、敵の飛行機に見つかるから、

 でも夜には来る。その船はタバコの火を目印にくる。あんな小さな火でも暗闇では遠くから見える。タバコを吸わない人は救助船から見えない。

 同じ事がパラオで撃沈された時に起こり。生きて広島に帰り、もう戦地に行かなくて済むと6月に結婚した。

 8月に広島の中心から3kmほど離れた己斐(こい:地名)の電停で路面電車を待ってた時。何故かタバコが吸いたくなった。戦時中のタバコは貴重品であった。

 タバコはを吸い出すと電車が来た、消すのは勿体ない、銜え(くわれ)タバコで電車に乗るのは気が引ける。で電車を見送った。

 タバコを吸い終わった時に原爆が落ちた。父はその後76歳で死ぬまでタバコに感謝していた。

Hotel Four Seasons

2009年8月5日 日常
朝6時にシドニー着、入国管理は笑顔だが検疫に引っ掛かるインド人達のお陰でシッカリ時間をとり中国人のタクシーでホテルへ

 チェックインさせてと言うと、9時まで珈琲でも如何か?との事、Give me a breakそれはオカシイ、前回3月と同じ日程である。同じ飛行機同じホテルである。

 通常のホテルのチェックインは午後3時は知っているが、このホテルの早朝チェックインが気に入り、同じホテルを指名した。と頑張る。

 Sir 今朝7時だ、せめて旅行代理店のコンピューターが稼働する9時まで待ってほしい。と受付も理屈をいう。

 11時に早い昼飯をACU大学の4人の教授と食べる。10時にホテルを出たい。その前に汗を流し、髭を剃り、出来れば1-2時間仮眠を取りたい。と再度がんばる。

 ならばスパとサウナで如何でしょう、無論無料です髭剃りも歯ブラシもご用意します。と、仕方ないココイラで手を打つかと スパに向かう。

 気持ち良くサウナを出るとなんとマッサージが有るではないか、丁度良い1時間背中をもんで呉、少し寝るから9時45分におこして呉れ。 と頼むと

 私は受け付けです。マッサージの開始は10:30からですと上手く行かない。でも寝てても良いと言う事で収まった。

 10:00にホテルに荷物を預けで出発しようとすると「Sir、お部屋の準備が整いました。」と言う。ごめん今から部屋に行き荷物整理するより、出かけたい。ホテルを後にする。

 ダイタイ朝の7時にチェックインしようとする日本人の僕が悪いのだ。
 ここの無料インターネットが好きだ。15分で後ろに待って居る人に変わらなければ成らないが、メールの読みは出来るし、書き?も出来る事はできる。

 このシンガポールが無料で提供しているインターネットは日本語入力の機能がついてないが、漢字と平かな片かな表記がついているので、読めるのだ

 でも入力機能はない。だから asai-desu(あさい です)singapore-ni(シンガポールに)tsuki-mashita(着きました)みたいに送信する事になる

 勿論、英語の入力はできるので I arrived Singapore でも良いのだが、全部英語で書くと僕がシンドイ。

 お土産と免税品を買って後はシドニー行きの便に乗り換えです。明日の朝5時55分の到着です。

 広島ー(新幹線)ー博多ー(地下鉄)ー福岡空港ーSingaporeーSydneyの旅です
 仮想敵国ではないが、僕を自分の障害物だと間違って思い込むひとがいる。そして。「自分が悪いじゃない、アイツのせいだ。」と思いこむ人が多い。

 僕は仮想の障害物に成り易いのかも知れない。

 僕ががニコニコ、へらへらしてると、「何でアイツだけ、幸せそうだ?許せん。僕がコンナニ苦労してるのに。」となる

 ダイタイあの不謹慎さはなんだ誠心誠意のカケラもない と続く

 僕の講義はドッチかと言うと落語に似せてある。一人芝居だと思っている、講義をすると言うより「ショー」を「知的なショー」だと思っている

 学生が笑って付いて来てくれれば、それで良いではないか、勉強したって必ず役に立つとは 思えないと 過去のマルクス経済学や 資本論を有難がたがった僕はおもう。

 当時は線形経済学が花形だった気がする、あれは数学として役にたったが。


 高校生20人程に模擬授業をした、オープンキャンパスで大学の授業を体験すると言う企画だ。

 授業を20分に縮めろとか50分はやって下さいとか、始まる前に色々と言う。でも話しだしてしまえば僕のペースだ。

 ドラゴンボールや犬夜叉とかNANAとか日本の漫画は幾らでもある。その英訳もいくらでもある。この英語版をテキストとして講義する。」

 海外に進出していく日本の強さは漫画一つ見てもわかる。一人一人は内気ではにかみ屋で、人を押しのけて前に出れない学生でも

 日本の文化が自然と海外に出て行く事になる。それを評価しないのは学校とか勉強とかいう権威ではないかとおもう。

 つくづく日本の漫画は素晴らしい

三井農林

2009年8月1日 日常
 35年ほど前、ブラジルで三井、三菱、住友、日商岩井から派遣された留学生の仲間と、過ごしていた時期が有った。

 ブラジルと言っても南部の地方都市のポルトアレグレと言う人口100万人の港町であった。

 その街中を夜中に車を飛ばして「あそこのデザートが旨い」と言って食べあるていた時代があった。

 三井物産に居たかれがバンクーバーに赴任した25年ほど前に僕はカナダに遊びに行って、彼の家にお邪魔した記憶がある。

 今彼は三井農林の社長だ、彼が仕事を早めに切り上げて新幹線に乗るまでの2時間を広島駅のおにぎりの「むさし」で過ごした。

 彼なら社長になってもおかしくないだろう。自分の身と比べて、羨ましくないと言ったら嘘に成るが

 当時、僕はフォルクスワーゲンのカルマンギアに乗っていた。ブラジルの風景が頭の中に浮かんできた。

 
 

話せば わかる

2009年7月31日 日常
 誠心誠意をもって話せばわかる。同じ人間なんだから。学校でよく繰り返される言葉である。

 それでも村八分は有ったと思うし、むしろイジメというか、言葉と言う暴力から逃げる為に、不登校に成る生徒が増えていると思う。

 「お話し合いをしましょう」は良い言葉とされているが。相手が「ごめんなさい。」と言うまで延々と団体で交渉されるとガッカリする。

 自分が大学生のころ、年老いた教授を教室に缶詰にして、延々と続く団体交渉を見たときに、学生が先生をヤッツケル驚きと快感を感じた。

 でも家に帰って、心配する父母をみると。してはいけない事をしてるな、早くこの団体から抜けようと思った。その僕を仲間はプチブル、マザコンと僕を謗った(そしった)

 いま大学では学生運動は無いけれど、大学生を子ども扱いにしてThat’s my boyを振りかざす父兄もそれで良しとする大学の方もいる。

先生しちょる

2009年7月30日 日常
 朝の廊下は忙しい。学生さんが教室に急ぐ、教師も急ぐ。すれ違いに欠席した学生を見つけた。

 「せっかく、良い点を付けようとしたのに来ないと点が付けられない。」と僕
「ごめんね、起きられなかった。」と学生

 すると「おはよう。先生」と別の学生が「おい、貴方の高校のIND先生に会ったぞ。」と言うと「エッつ ヤツレテ無い、あの先生、最近草臥れてる」と学生はキツイ

 研究室に座ると「先生、あたしのダンスの切符買って?」と3500円の切符を2枚だされる。

 僕は落語の1000円の切符で満足なのだが、学生のはお金がかかる。今日は授業はないのだが、何故か学生が出入りする。

 少し草臥れて家に帰って話をすると女房が「貴方も少し先生に成ったのよ。」と
 よく此処で待ち合わせする。本を読みながら待てるからと、入口が広いので見渡せるからだ。

 月曜日に、餃子の王将で卒業生の女の子と食事をしていると。見知った「お婆ちゃん」が家族7-8人で食事に来た。

 この間、玉蜀黍(トウモロコシ)をくれたお婆ちゃんだ。飯屋で会ってもなつかしい。

 火曜日にBook Offで人を待ってると。月曜日に王将で食事した女の子と母親がいて「娘がお世話になりました。」と立ち話を30分もしてしまった。

 飲み屋に行くとまた卒業生がいて「今日はこの店なんだ、先生、久しぶり」となる。広島の街が小さいのか、僕の行動半径が小さいのか分からないが 良く人にあう。

先生くたびれた

2009年7月28日 日常
 通信制の高校の先生をしている卒業生が、ヤツレタ顔で僕の部屋にきた。「どうした、可愛い子チャンの お前がこんなにヤツレテ?」と聞くと

 これでも良くなった、前は顔を見せたくない程、吹き出物が多かった。どうしよう。と言いだす。

 学校に「いじめ」は無い事になってるが、何処にでも多少の人間の摩擦はある。だから通信制の高校があっても、大学が有っても可笑しくはない。

 でも通信制の高校の教師は大変だと思う。引きこもりの子供と、過保護か放任の親と、受験と3つもコナさなければならない。

 先週は旅行会社を「辞めたい」と言ってきたU-君に「馬鹿、今、辞めるな、次が無いぞ」と叱ったばかりなのに、今回は「自分の体が第一だよ。」と言ってしまう。
 朝から雨だった。書類を整理しに学校へ行きたいと思ってる。それに、そろそろ期末でもあり採点もしなくてはいけない。

 気になりつつ、学校まで6km程なので 電車やバスで片道220円往復440円払えば行けるのだが、バス停で待つのが嫌だ

 電車バスもも土曜日曜はナカナカ来ない。駅で10分ほど待つことがある。乗れば5分とかからないのだが
 
 自転車の通学にしているので、雨の日は、動けない。ウジウジしていたらお隣の先生からI-phone 買いましたとメールが来る

 そうか雨の日は買い物という手があったな、ショッピングモールに行けば、雨も関係ないしと思ったら「いや近くの小さな店で買いました。」との事
 大雨で大田川の水嵩が増し、放水の警報がブーブーと鳴っている。

 でも用水路を見ると水嵩がさほど増えてない。きっと危ないから取水を止めて居るのだろうな?と思った。

 用水路を見ると子供の頃を思い出した。水を止めて空になった用水路を掃除する時に、ピチピチと跳ねる小魚を手で取れるのがうれしかった。

 でもあれは夏の暑い日ざしの中だった。昨日のように曇り空の雨が時折強く降るなかではない。

 夕方ウトウトトして、寝ようかなと思ったが、大雨になってきた。

 夜の9時半に車をだして、娘を塾に迎えに行き、山の上にもう一人を送っていった。

ねたむ(嫉妬)

2009年7月25日 日常
 「先生って、どうして ソンなに ノー天気なんですか?」と真直ぐに聞いて来る学生がいる。「そんなに 何も考えてないような顔してる?」と聞くと

 「悩みがなさそ」と学生が言う。「悩みなんて幾らでもあるさ、少し分けようか」と僕が言う「要らんもん。知らん」と学生さん


 学校教育の弊害は「覚えて繰り返し忘れない。」である。しかも「簡単に早く覚えて考えない」と言うおまけも付く

 失敗の記憶を心に残すと顔にでる。僕だって山程の失敗の結果が今の僕でである。

 過去を思い出しても変えられない、同じ失敗をするかもしれない。でも新しい仲間と学生さんの間で失敗をまたすれば良いじゃないか。

 上手く行って居るように見える他人を ねたむ(嫉妬)と心に鬼がでるよ。僕は学生さんが周りにゴロゴロしてれば満足だよと話しだしたら、

 「そういえばxxはショボイ、出ッ歯の小鬼みたいだ。」と学生さんはキツイ

遅刻

2009年7月24日 日常
 試験もおわり、期末の最後の講義だった。色々考えて成績の優秀者を発表しようと思った。

 しかし誰か優秀かナカナカ決めにくい。心を鬼にして全体の1割をA(秀)2割をB(優)にして選んだ

 講義に出て、上位の1割を発表しようとしたが、優秀者の顔が見当たらない。しばらく待つかと一般的な話をしていた。

 しかしそう永くは待たせられない、それに欠席した人が秀(全体の1割の優秀者)ではオカシイ

 仕方ないから1人だけ繰り下げて、他の人を繰り上げて発表した。発表が終わった所へ、本来、秀にしようと思っていた彼女が来た。

 「何で、今日だけ遅刻する。悪いけど、今発表した。」と告げるのが苦しかった。

雨が上がった

2009年7月23日 日常
 「今、山口に来ていて、雨に降りこめられてて、広島に戻れません。」と韓国人の留学生からメールが来た

 何時も授業より早く来ていて、僕の部屋でよくチジミやトッポギを作ってくれる学生なので心配だ。

 山口の土砂崩れのニュースが入る、広島の雨は峠を越した。でも河原はまだ水浸しだ。

 学校の前にある河川敷のゴルフコースは雨で水たまりだらけだ、今日に予定していた学校の前の河原のバーべキューを中止する。

 雨が上がったので、昨日は早めに学校からかえり、廃車の為に必要な戸籍の付表を取りに区役所に取りに行った。

ケーキ

2009年7月22日 日常
 「学生さんと食べる?」と女房が言うのでケーキを持って行くことにした。「自転車は止めてね、ケーキの型が崩れるから」と電車にのった。

 事務室で出勤簿を押してると、若い男の先生が「ホ-これはピザですか?」と聞く。そうだピザの箱で持ってきた。
 
 「イヤー女房のケーキです。期末の試験が終わったら学生さんと食べようとおもって」と言うと

 若い先生は粋が良い「そりゃケーキ(景気)の良い話で」と笑いがはじけた。

 昨日、漸くオーストラリアに出張に行く合意が出来たので、少しホットしたお土産なのだが。

廃車2

2009年7月21日 日常
 「では車を引き取りに行きましょう。」と営業の人と整備の人と僕と3人で学校まで向かう。

 廃車にする車のエンジンは快調だ、僕が「ラジエター(冷却機)の具合が悪い。」と言うと

 整備の人が調べてくれて「水漏れがしてます。道路上でトラブルと困るので運搬車を取りに行きましょう。」と

 運搬車の荷台に乗った車を見たら、霊柩車に乗った棺のようであった。しかもエンジンが快調だから自分で乗って威張っている気がした。

 整備場の車庫に下ろして、車にお別れをした。「永い間ありがとう。家族を支えてくれた。」と手を合わせた。

廃車 その1

2009年7月20日 日常
 祝日の昼の13時に電話が鳴った。「三菱自動車です。9月の車検のご案内で」と元気な声だ。

 「すいません、そろそろ廃車にしたいんですが。」と僕が答える。でも相手は明るい。

 「そうですか長い間お乗り頂いてありがとうございます。廃車の手続きをさせて下さい。」と続く

 手続きをしに車のディーラーに向かう。13年前に買った車だ、本来なら3年前に廃車にしても良いのを愛着があってもっていただけの車だ。

 「あと半年さえ乗るば、新車にするとき25万円割引ですよ。勿体無い。」と言われても。この車が好きで買ったので他の車は考えにくい。

 車を見ると色んな事を思い出す、子供と4人で広島に赴任したのもこの車だ、東京まで孫の顔を見せに行ったのもこの車だ、なかなか捨てにくい。

 

 
 目標は9月21日の5大学対抗ラクビー試合である。僕より4つ上の高田さん3つ上の石河さんが出られる。

 僕を含めて3人とも60歳以上なので赤いパンツをはく、最前列が60歳以上で赤いパンツが揃うというのが「見栄」なのだ

 この試合に出れるように体を鍛えないとイケナイと思いつつ今日も走った。先週は会議に3回(1回は待ってただけだが)事前の弁護士との相談2回でくたびれた。

 結局1週間ジムに通えなかった、1週間ぶりに走る。最初は快調だったが、ももの付け根が少し痛くなった。1時間で8kmを走る予定が45分7kmで止めてしまった。悔しい

 自分を守るだけの為に、自由に生きる為に体力もいるし。頭の準備もいる。その為に努力するのが民主主義なのかも知れない。何れにせよ体力は要る。

 
 今のレコーダーは小さくて便利だ。小さな音でも拾うので、紙をめくる音や、隣のブラスバンドの音まで拾う。

 再生を聞きながら、初めてテープレコーダーを買った親父の姿を思い出した。あれは僕が小学校5年の頃だった。

 親父は自慢していたが自分の歌ぐらいしか吹き込むものが無く、僕に払い下げてくれた。

 重くってテープの端が止めにくくって確かソニー製だったと思うが運ぶのが大変だった。

 何時だったか、美人の勝手に僕が憧れている女の子の家に持って行って見せたら「ヤダーこんなの」と言われそれでお終いになった。

 その重いテープレコーダーを家まで持って帰ったか記憶にない。

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