東京医科大学でお金の着服の案件がでた。昔はこんな事は仲間の共同の秘密として言ってはイケナイ案件だったのだろう

 意思決定をしているのは少なくとも大学の教授なのだから、全くのバカというとか全くの悪人ではあるまい。昔通りの仕来りに沿って、

 お金の差額を貯めていただけなのだろう

 幸いにして、僕の勤めているこの大学は小さすぎて貯めるお金が無かったから問題に成ってないのかもしれない。

 今回、民主党になったけど、今頃に成って自民党のバラマキのお金の助成金が回って来たらうちの大学はどうするのだろう

そういえば半年前にも広島大学でも同じような事件があった

着信音

2009年9月14日 日常
 家の中で、変わった音がする、チロリーン、チロリーンと繰り返す。何だろーなと思ったが、キット娘や息子の携帯の着信音だと思った。

 もう息子や娘の電話に出ることはできない。と思いホッテ置いた。図書館に出かけ家に帰り、パソコンを開ける「先生、何処にいるの?」とメールが

 そうだサッキノ着信音は僕の携帯の音だ、見ると着信が4回も、慌てて折り返し、待ち合わせ場所を決め家を出る

 自転車を出し、急ぎ川辺の土手を駆け付けると、ベンチに座っていた。「先生、お早いですね。」と

 ゴメン、ゴメン、自分の携帯と思わなかったと謝る、僕は昔は携帯電話を販売していたことが有るのだが
 

誘われたんです

2009年9月13日 日常
 雨があがって、学校まで自転車で出かけたら、駐車場に転職の決まったxx先生の車が有った。土曜日なのに学校に出ている。

 僕は少し自分の作業をしていたが、ドウヤッテ上手に転職するんだろう、とxx先生の事が気に成った。

 ドアを叩いて呑みに行かないと誘った。呑みながら「羨ましいな切っ掛けは?」と聞くと「イヤー誘われたんですよ」と

 そうだこの先生は他の人が誘いたくなるような魅力がある。犬と2人暮らしの36才の若者なのだ。

 僕の36才はインドネシアで石油掘りをしていた。それから色々誘われて今の学校の先生に成った。
 月に1回、年長の方と吞み会をする。

 年長と言っても子供の頃に「玉音放送」を聞いたが何も分からなかった。と言う年齢の方だ

 家に帰ると、中学に行っていた兄貴が、ポツダム宣言を受けた、負けた、全面降伏だ、と帰って来たそうだ

 すると母親が「これで皆、死ななくて済む。」とホットしていたとの事、この会話を受けてなぜ戦争をしたかを話し合った

 「欧米に馬鹿にされてたまるか、植民地だって持ってる、台湾や朝鮮を上手に育て上げてる、満州だって、アメリカに匹敵する国にするんだ」と言うような

 名誉というか見栄というか、武士道というか、が当時は有ったのだろう。日本国の陸軍に騙されるほど全員がバカという国民ではあるまい。

 が話の終わりで、呑み会まで名誉を重んじてた

 何時もは「ご異議ご在いませんか?では原案の通り可決させて頂きます。」で聞いているだけの教授会である。

 時折、手を挙げて質問がでるが、誤字脱字、読み方の違いは?程度である。反対意見と言うほどの事はあまりない。

 発言する先生方の意向を尊重したり、事務の方の手間を思いやる事が美徳とされているのではと錯覚?する程である。

 でも昨日は違った。淡々と事実を話して論理を通す教授が一人ボツボツと話をすると会議に新しい風が吹く。皆の眼が止まる。

 文部省の指示通り、赤信号でも皆で渡れば怖くないは止めよう、横並び政策を理解してはイケナイと言う教授もたまに居る

 それもそうだ個性ある一人一人を大事にと標語にもあるから
 昨日は研修会の2日めだ

 宗教のカルトに入信した大学生を親と学校の「保健管理センター」の教員が共同して2年がかりで救い出す話が有った。

 話の最初にカルトと昔、僕たちの時代に合ったセクト、多分、全共闘、フロント、全学連を示すと思う。が並べて書いてあった。

 そうなのか、学生の頃に燃やした情熱を40年経って分析すれば、社会不安からくる「信じたい」気持の表れか?

 ソ連が崩壊する頃にオウムが海外に信者をふやしたのも同じ社会不安か?と自分が寂しいような気がした

 脱会したした女の子の述懐が有った。「私は入会している間は充実感があり、連帯感があり、今でも私の青春はxx(カルトの名前)に有ったと思います。」と

 僕は40年前の横須賀の原子力空母エンタープライズ反対のデモで意識が変わった事を思い出した。


 FDなるものに出た。流石に研修会と日本語も記載がある。5-6年前、教師に成ったときFDが分からなかった。

 恐る恐る隣に座った教授に聞いた。ファカルティ=Facultyは大学の事らしい。僕は ファック ユー しか思い出せなかった。

 ディベロプメント=developmentは開発らしい。僕は不動産屋かと思った。

 イヤイヤ、驚いた言葉をカタカナに変えて素人を脅かす似非(えせ)学者の集まりかと思った。

 いや人間は仲間だけを区別する用語を使いたがるだけだ、バベルの塔より人間は変わらない。とも思った。

 カタカナ混じりの発言は本音を言うと後が祟るのかな?と思いつつ。この講義を聞く学生さんは可哀想だと思った。
 戦争をしないなら、サッカーで戦うか、言葉で戦うしかない。違う違う、争いごとはイカン。戦争反対、原子力反対だと言う人もいる

 ならばアラブとイスラエルは無能と強欲の集まりで、殺しあいの好きな民族なのだろうか

 世界の現実は他所のこと、日本は平和で何もしない、言い争いもしない、と言うとお金を払うハメになる。

 これが国連の20%の負担をしながら、発言権のない、従業員数も主要なポストもない日本の平均値なのだろう

 アラブもキリスト教も聖書なりコーランなり言葉を大切にする事から始まる。嫌な相手でも協定は言葉で作られる。

 ならば、せめて大学の中だけは言語をキチンと使って論理的に動きたい。と思うが、自分だけが正しいと思いこむ人も多い。
 高校生が学校をを見に来る日だ。父兄と一緒の姿も増えて来ていると見られる。学校もこの日が「誠意」の見せどころと思い色んな事をする。

 学校の入口での職員のご挨拶から始まる。それにたぶん学校の食堂で昼の食事を試食会と称して無料で提供するのだろう。

 只で配るにしても試食会という名目を設け相手の心の負担に成らないように気を配る。

 で高校生が「あーこの大学が、良い雰囲気だな」と思わせるには先生との会話も必要だと言う事に成っている。

 だから、僕たち先生も「出前の蕎麦や」の原点のような屋台、いまはカタカナでブースと言うを出す。

 それに、呼び込みのサクラと言っては失礼だが、若い子を引き込むには若い学生の力を借りるのが必要なので、お手伝いの在学生も先生の数の2倍ほどいる。

 僕たちのお昼は高校生と一緒でなく、僕の部屋でとる。10人ほどの学生とワイワイ言いながら久々に僕の部屋が狭いと思った。
 息子と言っても高校3年生だが、昨日は高校の体育祭(運動会)だ。

 息子はマスゲームにハマっている。練習で日に焼け、旗を振るために手の皮がむけて手袋をしている。

 見物席の本部の横の一番前に座るため女房は4時に家をでる。僕が車で送る、学校の門の前着くと2番目だった。

 11時の息子のマスゲームを見に、娘と自転車で弁当を運ぶ、お重でお握り、焼肉、果物、煮物と4段だ。

 息子に弁当や食べ物をと女房が気を配るが、息子とは昨日は話せずに終わった。

 50年昔だが、自分の高校の体育祭の時、熊のぬいぐるみを着た記憶は有るが、見に来た両親と話した記憶はない

250円 弁当

2009年9月5日 日常
 昨日で2回目だ。250円の弁当を食べたのは。家から自転車で5分の所で作ってる。朝7時半に出来立てを買う。

 兎に角、ご飯の量が多い。鳥カツの脂身が無い。野菜が少ない(無いに等しい)

 世の中、回復に向かっているなら自民党は負けなかったのではないか、と思えるほど安い弁当だ。

 女房に見せると、「アタシ、お弁当作るの止めようかしら?」と言う。内容も味も悪くない。

 僕が高校のラクビー部なら喜んで2つ目のお弁当として買ったと思う。

 でも年寄りの僕には、お米を残す罪悪感を感じさせるお弁当だった。
 天気が良い、娘と自転車で学校へ。汗をぬぐい、娘が国語の教科書を読んでいる脇で、調べものをする。

 娘が「パパ 投(な)げる書(かき)欄ってなに?」と、「字を見せて」で 投書(トウショ)と読んで何か言いたい事を書く事と説明する

 「パパ はじのまと って?」と「何?恥の的?そりゃ困ったなでもそんな日本語ないぞ。」

 ほら此れ「端的。はしのまと かな?」と

 アメリカンスクールに幼稚園から入れていた娘を日本人に戻すのは手間がかかる

コンセンサス

2009年9月3日 日常
 タマに会議にでると片仮名だらけだ。ポリシー(方針だろうな)が3つある、プログラム(多分?専攻分野)カリキュラム(多分?講義内容かな)ディプロマ(卒業要件かな)

 外資に居たので英語の言葉のごまかしは慣れているが、どの民族も遣る事は同じだでも此れだけ学校でカタカナ語を連発してるのは面白い。

 で会議の終わりに若い先生が「そろそろコンセンサスを。」と言い出したので、僕が吹き出してしまった。兎に角、珍しく会議に結論がでたらしい

 終わって会議室をでて「カタカナ語が多かったな?」と言うと「冷やかさないで下さいよ、浅井先生」という「特にコンセンサスが良かったよ」と言うと

 日本語で会議の纏めをします。と言うと「意見は違っても良いのだ、とか学問的に同意出来ない」とか揉めるけどコンセンサスと言うと反対がでないのですよ、と
 最近は僕もよく会議に出てる。で会議で配られた資料のに僕の来年の講義名に「口頭表現」なるものがあった。

 へー流石、誰だが知らないが、女房から「口先男」と呼ばれる僕に「口頭表現」とは面白い講義をさせてくれる。と思った

 で、誰がこんな事を考えたの?と聞いたら、日本文学の女性の先生と一緒に遣るとの事、「知らなかった、嫌じゃないから遣るよ」と答えて

 で、「誰が?」と聞くと、「2年ほど前に日本文学の先生から表現法を手伝ってほしいとの依頼が英文にありました。」

 で、彼は「浅井先生が2-3年会議に出てないから知らないだけ。」と言う言葉を口の中にしまって居るんだろうな?と思える仕草で口先を濁しました。 

AO入試

2009年9月1日 日常
 A:アドミッション(入場料、管理) O:オフイス(事務所) 入試だから、学力試験ではない。だから教授である僕が面接をすべきでない。と思うのだが

 何故か僕が面接をする。日本の風習なのか慣習なのか分からないが、敢えて逆らうと他の先生方が困るだろうから 逆らわない。

 学生数と学校の採算が会っている間は問題にならないだろう。なにせ日本もイロイロ不満が有っても自民党でやってきたから

 でも世の中の実態と、今までの指導者階級の現状維持の希望が異なる。と形に示したのが今回の選挙であろう。

 頭の良いとされる、学問を一杯した人ほど変化に弱いし変えようとしないのは中世のヨーロッパのキリスト教とか、お寺の坊さんを見れば分かると思う

広沢虎造

2009年8月31日 日常
 落語を聞きに来ませんか?と誘われて150名ほど入るホールに聞きに行った。木戸銭が800円前売りと安いので申し訳ないと思った。

 寄席は夕涼みに丁度よい5時半開演6時公演であった。落語を3つ聞いて、篠笛の演奏が入り、取りが広沢虎造の浪曲でなく語りだった。素晴らしかった。

 懐かしい子供の頃の状況が目に浮かんだ、回り近所で初めてテレビを買った時の親父の顔が浮かんだ。

 25から27歳までブラジルに居た時に寝ながら広沢虎造を聞いていた事も思い出した。

 貧乏人は嘘をつかない、貧乏な人ほど他人を思いやる。なけなしの食いものを他人に分ける、僕の子供の頃の日本人がそこに居た。

 お金がないのを、虎造が語る「金がない、無いったって全くない。石橋で転んだってチャリーンとも音もしない。」とお金のないのを笑い話しに変える。

 昨夜2つの話を聞いた。篠屋という篠笛との掛け合い落語 落ちを忘れるほど上手かった。

 次は猿後家である。三遊亭円生の寝床を思わせる「お清、うなぎね、頼んどいて」があった。

 それに一家を成している。亭と言わないところが面白い。前座の六ッ屋青柳の「つーる」は話芸だけで聴かせる。

 こんな上手な素人が居るんだ。

 僕が住友に勤めて居ると時に聞いた「熱心な素人は怠慢な玄人に優る」を思い出した

むすめ

2009年8月29日 日常
 娘と言っても15歳になる中学3年生だが、昨日は僕と一緒に研究室にいた。所謂、不登校である。僕と一緒に僕の研究室に今週の月曜から登校している。

 今まで、インターナショナルスクールに通わせていたが、来年の2月には日本の高校を受験させなければならない。僕が教える事にした。

 で夕方になり、夕方と言いっても未だ4時なので、広島の4時は東京の3時頃の感じだが、僕がノドが乾いた。

 お隣の先生とビールを呑みに行くのに良い時間だ。店は空いてるし。クーラーも効いてる、学校から歩いて餃子の王将までは程よい距離だ。
 
 で娘に「ママが、猫が居なくなって、寂しいだろうから、早く帰ってあげな。パパは呑みに行くから」と言うと

 「そう思う?、パパは帰らない?」と言われて僕が返事に困った。その後、娘は「良いよ」と鞄にノートをしまった。

指輪

2009年8月28日 日常
 「今の彼に迫ったら、指輪を買ってもいい。」と言う事に成った。と話が始まった。「チョット聞いてよ先生」とつづく
 
 「良かったな、貴女にも指輪をくれる彼が出来たんだ。」と僕。「でもでもさ、宝石屋や4。C(四度シーと読むらしい、広島の会社らしい)で無くても良いからさ」と僕の側にくる。

 「で、何処行った?」と聞くと「お互いが、お互いの指輪を買う事にして1万円ぐらいで話してたら、段々、お金がないと言い出して300均(100円ダイソーの高級版?)に行くのよ」

 「で買ったのか?」と僕「バカにしないでよと帰って来たわよ。」と3年生の彼女が愚痴る。

 「300円でもお古でも指輪は指輪だ、初めて貰うんだろ、貰っとけよ、次がないと寂しいぞ」と僕

 昨日まで猫で寂しかったけど、学校は若い子が生きている。

火葬場

2009年8月27日 日常
 ペット霊園のチラシを獣医さんが呉れた。でも霊園の場所は山の中だ。僕の猫を山の中の墓に入れる気がしない。

 何せうちの猫がマンションの部屋を出たのは、引っ越しの車と、里帰りの新幹線の中だけだ。

 亭主の猫はベランダからよく下を通る人を見ていたから外界は知っているだろうが出たがりはしなかった。

1年前に死んだ女房の猫は隣のマンションの部屋にはベランダの柵に乗って歩いて行ったが、エレベーターと階段は上り下りしなかった。

 それに浅井家には墓がない。自分の父母は海に散骨だ。でも猫に塩辛い水は合わない。

 焼かれて煙になって、マンションのベランダにでも漂って居て呉れれば。と思い骨も貰わない事にした。

 火葬場で丁寧にしてもらって、裏口からではあったが人様と同じ竃で焼いてもらった。

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