飲み屋というかパブというか、ビール一杯で1時間は立ち話して、ようやく皆が揃ってから飯というのが食事なのだろう

 シドニーではコンビニにお酒が置いてない、寝酒を買おうにもビールも買えないない。

 イースターの休みが金曜から月曜なんてことを知らずにオジン2人で出かけたものだから、休日をシドニーで過ごす事になった。

 現地の人が 自分は世話を見れないから 退屈しのぎに観光でも如何ですか やれハンターバレーだブルーマウンテンだと言われてもオジン2名で電車に乗ったり、観光バスに乗るンが 億劫だ

 で街中でぶらぶら3日過ごした、楽しかったし、天気も良かった、久しぶりに英語の世界を満喫する事ができた

 オリンピックの会場で農業祭が楽しいよシャルロット ウエッブと同じ観覧車の世界が有るよと言われても入場券が要るような所は行かなかった

 で歩き回って寝酒を酒屋に行くと、一杯呑むなら売る、でも今日は瓶入りの酒は売らない。キリストさんが死んだこの日は売っちゃイケナイと言われた

 で次の日に買いに行くと、3時から売るという、じゃ他の店に行くと言ったら、何処でも同じだよ、一杯此処で飲むなら売る、ボトルの販売は3時からと

 なんとも日本の常識は非常識なのだろうと 訳のわからない事を言われる。
復活祭はお酒を売らない国のルールだそうだ。そう言えば白人の多い普通のパブは閉まってた。
 シドニーで日本語を教えている朝倉先生の教室でこの製品にお目にかかった

 初めて見た。A-4の厚紙に水で字を書くと3分ほど習字が出る、乾くと消える。

 便利なものが有るのですね。と言うと 日本で買って来ました。日本からくる方は皆さん驚かれますね。日本製ですよ。と

 海外に来ると日本の良さがよくわかる気がした この日本語を教える朝倉先生をみると 日本人はこの様に勤勉だったと 少し自分の手抜きが 心苦しい
 浅井この本をモッテ行かない?「長崎の被爆者の本だ」と英語の厚いのを出された

 僕の英語力はそんなに無いよ。おしゃべりはできても読み書きは契約書だけにして、と答える

 「ゴメン、ゴメンそうだったね」 と笑って言われて、本当は僕が英語ができなくてゴメンナサイと言うべきかとおもった

 後で気になって、シドニーではdymockと紀伊国屋が大きな本屋なので,dymockで探すと、店員が何番の棚と言う

 僕は外国人で本を探せる自信がないから手伝ってというと見つけてくれた、本を持ってレジに並んでいる間にパラパラと読んでみた

 長崎の被爆者がカラチ移り住み、その体験談をパキスタンの人がまとめた本だ

 もし読むとすると、にこの本に1カ月は付き切りだなと思って、困っていた。レジの順番が進みnext pleaseと言われて、ゴメンと本棚に返しに行った。
 

カモメ

2010年3月31日 日常
 シドニーでは、雀の姿が見えないが、カモメは沢山いる。港の波止場にある屋台で食事をしてると、カモメが足元までやって来て、餌をねだる。

 食べ掛けのマレー風とり肉カレーの肉を投げる。カモメは上手に飲み込む。カレーがカモメに良い訳は無いが、

 シドニーではカモメがスズメの代わりか野良猫の代わりなのかも知れない。別の日に海の見える公園のベンチに座っているとやはりカモメが来た

 トルコの羊羹の様な素甘の様な、求肥のようなピンクのお菓子をちぎって投げると甘さとベトツキ感が会わないのかクチバシを付けてやめて

 ぎゃーぎゃー(他の物をくれ)と鳴き出し、別のカモメが来ると、俺のショバだと追い出し、早く食べる物をよこせと、よこさないとオシッコひっかけるみたいな姿勢を取る。

 習慣と言うものは恐ろしいものだと、自然体系は勝手に壊れると思った。

 ボンダイビーチで片足のカモメを見た、レイチェルカールソンの沈黙の春かと焦った。ライフガードに、何故あのカモメは片足か?と聞くと、のんびり休んでるだけだ。と砂を投げた。カモメは避ける様に両足で歩き出した。

 思い込み潜入概念は恐ろしい間違いをすると思った

sydney

2010年3月30日 日常 コメント (1)
 学校の仕事もサラリーマンの時の仕事も同じだ、同じ仕事を同じ様にやっても、相手によって結果が右に出たり左にでたりする。

 それに顔なじみも大事だ。今回、出発までにアポイントは1つしか取れてなかった、シドニーについてホテルから電話をいれると、

 「なに?浅井?誰か他の人じゃないの?今シドニー?じゃ早くおいで。」と残りの3つの面談の時間が決まる、知らない人にメールで直ぐ返事はしにくいらしい。

 聞けば イースターの休み前に外国人に会う約束をすると休みに面倒を見なくてはイケナイかと返事がしにくいそうだ「浅井ならホッて置いても大丈夫だ。」と
直ぐ会う事になった。

 お陰で イースターのお祭りをシドニーで過ごす事になった。来てみたら金曜日から月曜日まで4日のお休みだ。



上海です

2010年3月29日 日常
 26日の金曜日「やっぱり浅井さんシドニーに行って。」と言われ、二つ返事で「行きます。」と言うと、その日のうちに切符が取れた。

 29日の月曜の出発だと言う。27日に東京でラクビーの練習で28日には広島にもどり10日分の荷物を詰める

 安い切符で直ぐ取ると。上海で10時間待ちの乗り継ぎで2日掛けてシドニー入り帰りは上海で一泊で6万6千円とのこと


 新幹線で東京の往復の割引3万円ですら1週間前に支払うのに何かオカシイ。東京はせいぜい1000(千)kmシドニーは12000(多分1万2千)km、

 新幹線の12倍の距離を飛行機が2倍の価格で飛ぶなら、JALが経済危機なのは当然かもしれない。

駐輪代100円

2010年3月28日 日常
 僕が東京に往復するので、広島駅に朝も早く6時半に自転車で行った。1日100円の駅前の駐輪場で「2日間、停めるのです。」と言うと、「明日は明日に払って下さい。」と

 帰りに、新幹線で人身の接触事故(多分自殺か?)が有って帰りが遅れた。家に「帰りが遅れて夜の11時頃だ。」とメールをした

 夜の11時に駅前の駐輪場は係員が帰りお金を受け取ってくれる人が居ないが、自転車は持ち出せた。100円を払えない。少しとくした。

 家に帰ると息子が「ママは駅まで車で迎えに行ったよ、パパが珍しくメールするから。」とこれは100円より高く付きそうだ。
 60才の爺さんが朝の10時にはグランドに揃ってる。日比谷高校のラクビー部のオジンの練習だ。

 40年か50年ぶりに赤坂見附の地下鉄を降りて遅刻坂と勝手に名前を付けた坂を登る。

 怪しからん事に「新坂」と立て札が立っている,良いではないか、生徒が「遅刻坂」と言うのだから、それほど目くじら立てなくても、と登り切ると

 先輩がスタイルして(着替えて)門の前に立っている「浅井、遅いぞ。30分前に来い。」と気合が入っている。それに揃いの新品のジャージだ。

 一人前15000円で紺と黒のストライブのラクビーの上着(ジャージーと言う)赤のパンツ(60歳以上は危険防止の為)ストッキング、に背番号とマーク入りで新品を誂え(あつらえ)たのだ。

 OBの中に、今更、1万5千円は無いだろう、そんなに着れる訳でもないのに、とジャージーを買わずに、出てきた人が居て、着る物が無いと言う。

 皆で出し合って、一番単純な白の上着、白のパンツ、白のストッキングを貸すことになった。

 すると遅れてきた後輩が「xx先輩、すっかり 白でカラーコーディネイトですね、髪の色から」と感激した。

浅井、出てこい

2010年3月26日 日常
 僕が若い方の集まりだし、住友商事のOBで学校の先生に成った人の集まりなので、僕のように不真面目な人はすくない。

 住友本社の社史を自費出版し、地道な努力の成果として、経済学博士の称号を授与されたり、素晴らしい人が多い。

 何処の大学から何時、何を頼まれても、講師なら幾らでも派遣すると言う素晴らしい仕組みがあるのだ、なんと2000人も登録されている。

 この方々が中心となって、住友だけでなく三井三菱NEC富士通のOBも集めてどのような講師の派遣体制も持っていると。

 そんな立派な集まりに僕が出て行く事が少しオカシイのだが、住友商事のOBで大学の先生の現役と言う事で、出てこいとお呼びがかかり、何時もこの会に出る。

 皆が、国際金融とか世界情勢とかざわめいている中で、僕の人気の講座は「マンガ、アニメ論」ですと言いにくい。

高校の先生

2010年3月25日 日常
 卒業式も終わり、学内が閑散としている中で、2人の4年生がニコニコしながら歩いている。

 「おい、あとで顔を見せろよ。」と言ったら、寒くなりかけた夕方に僕の研究室のドアを叩く音がする。

 もう帰りたいのにと思って「開いてるよ、どうぞ。」と答えると、4年生の顔がほころんでる。「ドウシタ。」と聞くと、「受かりました。」と答える。

 「何に受かった?」と聞くと、「高校の先生です。」と、もう一人は中学の先生とのこと。

 そういえば去年の今頃に通信高校の先生になった教え子が、この大学に生徒を送り込んでくれた。

 目の前にいる学生が高校の先生に成って、どの様に伸びるか分からないが、彼が「こんな教授がいるから、行ってみろ。」と言ってくれはしないかと、口まで出かかったが、やめた。

 僕が押しつけても、彼の心から言ってもらわないと生徒に通じないし、折角、世の中に動きだす若者に余分な負担を掛けては可哀そうだ。

 それより、もし、おこぼれで生徒を送り込んで呉れた時に喜ぼう。
 卒業式に父兄の参加が多く、父兄席が足りなくなるほど母親の参加が多い。夫婦一緒もかなり見られる、数で言うと学生の半分を超える数だ。

 でも謝恩会になると、花のような学生があふれてる。

 朝の6時起きで7時に美容院で生のバラを髪につけ、袴姿で卒業式、パーティ用にドレスで謝恩会と続く。

 勿論、時代を反映して卒業式だけで謝恩会に出ない学生もいる、謝恩会の会費や着替える貸衣装の費用もある

 卒業式の終りに可愛い子がチョコチョコと寄ってきて「先生、謝恩会には出れないのですが」とネクタイを呉れた
 

連休

2010年3月23日 日常
 お休みが続くと少しホットする。3日間、同じように起きて、本を読んで。川辺を走る。3日続けると体が楽だ。

 3日坊主ではないが、これで走るのは又、少しお休みです。次は27日に東京の高校の60歳以上のラクビーの練習に出ることにした。

 東京で育ったので、高校の練習に60歳過ぎて集まれと言われてもナカナカ広島から出ていけない。それでも若い時の思い出は良いものだ

 休みの間は学校に行かないので、新しい情報が入ってこない。年を取ると新しい情報に対応するのに努力が要る。だから東京まで走りに行くのかも

 今日は卒業式なので学生の答辞を聞くのが 楽しみだ


 風は未だ冷たい。走ると気分が良いのだが、走り出すまで寒い。105円で買った万歩計も 合計時間90分走行距離13km時速9.34kmと正しい値をだした。

 川辺の土手には、モクレンが散りだした。たぶん(こぶし)と言うのだろうが(こぶし)と言われると 演歌の~あの北国の春に繋がるのは年のせいなのだろう。

 だから木蓮(もくれん)の方が良いのだが仏教の蓮(ハス)の台(うてな)を思い出し、まだ仏様には成ってないと、今一つ名前と雰囲気が合わない。

 いっそ英語のマグノリアだと誤魔化しも効くが、ワシントンでマグノリアMagnoliaを見た時、これゃデカイ、マグナム(大瓶、大きい弾)だと思った。

 モクレンも木蓮でなくてモクラン木蘭なら豪華な感じがするのだが、単にお寺さんを敬遠する、僕がオカシイのかも。

 お彼岸の供養で極彩色の旗が強い風に煽れています。まるで韓国や中国のお寺のようです。広島のお寺さんは東京より色が濃いです。広島のお盆の灯篭も極彩色です。
 2年前の卒業生で「先生、代用教員ですけど、産休の先生が居たので、中学校の先生に成れました。」と卒業の時に言っていた可愛い子が訪ねてくれた

 「どうした採用試験は、今年は受けないのか?」とまず嫌な事を先に聞く、去年は東京や神奈川の試験を受けに行ったが、「難しい。」と言って帰ってきた。

 今年も今頃はもう受験が終わっているはずだ。「受けとらん。」とアッサリしてる。「ドウする?」と聞くと、「空きが有りそうだからこのまま続ける。楽しいよ。」

 可愛い子なのにスッピンでドウした?と聞くと、私が化粧すると生徒がまねしたがり、男の子は耳にピアスをあけたがる、だから「先生も 化粧せんけー、アンタらも スなよ」と言う事でしてないと

 元々、小柄な美人だったが オカッパ頭の高校生みたいな感じがした。この若さと生徒と一緒に生きる姿はヤッパリ教育に必用なのだろう。

 僕のような老人は去るべきだと思う、僕に何か言いに来たのだけど、僕が感激して居る間に帰る時間と成ってしまった。男の問題でも無ければ僕の所に来ないはずだが

 
 「先生、私、先週コクられた(愛を告白された)、明日が初デートじゃ、嫌われんようにドウシヨウ。」と可憐と言うより愛嬌のあるシッカリした感じの4年生だ

 「来週、卒業式じゃろ,4年間一回も無かったんよ、初めてなんよワーワーどうしよう。」と喜んでる

 「そうか、その彼は、2つ年上なのか。卒業式に呼んで、待たせといて、一緒に写真を取るんだろう。」と聞くと「ワー恥ずかしい、キャキャ」と幸せな女の子も居る

「良かったね。でも貴女は、就職先から最初の赴任地は、広島から離れた米子かどっかて言われてなかった? これから遠距離恋愛?」

 「ううん、仲良くなったら彼が来てくれるかも知れん。」と恥ずかしがる

 「じゃ 彼はお金持ちの坊やだ、車が有るんだ。」と言うと「いや免許も車もないよ」と少し僕の予想と違う

 「先生、少し心配なんじゃ、彼はまだ就職した事がないらしい。」と続いた。
 

 


 お隣の先生の部屋で話をしていたら、僕の部屋で物音がする。誰か来たのかな?と思って部屋に戻ると

 「先生、来たよ。」と言う。そうだ先週の予定をずらして、今日のお昼に餃子の王将をおごる約束をした、3年前の卒業生の自称の美人3人組だ。

 でも2人しか居ない。もう一人は?と聞くと。「あいつ出世して店長になった。けど友達にあげた賞味期限ぎれのケーキ、が問題になって、責任とってやめて、いま先生に顔合わせにくい。」と

 そんな事言うな、困った時に帰って来い。学校の先生に「恥ずかしい。」もないぞ。と言うと「うちら3年も働いとるに、まだ男がでけん。」と

 「出来たら、見せに来い。学校の講義をデートコースにする女の子も居たよ。僕は気にしないから講義でも聞かせたら?」と言うと、「まづ、男を見つけなきゃ」と

 でも出がけに「今日は朝1番でお隣の先生が仕事がある。お付き合いで僕も朝1番で学校へ行く。」と言ったら、女房が2つお弁当を作ってくれた。

 困った弁当も王将も2つも食べられない。王将を止めにして、お隣の先生と4人でお弁当を分けた。若い女の子と食事も良いものだ。

 食べながら「先生、忘れとったじゃろ、うちらが来るのを。」と言われた
 朝、学校に遅れて着くと、部屋に明かりが点いている。昨日消し忘れて帰ったのかな?とドアの取手をまわすと開く。

 3年生の学生が「先生に鍵の場所を教えておいてもらって助かりました。」と部屋に座ってた。

 履歴書を見てくれませんかと出す。ああだ、こうだと直し、字の書き方も直す。こんな物でも、その場になると真剣である。

 「やってみな」と、言って面接の練習をする。面接は午後2時からです。昼飯を友達と食べますから、と出て行った。

 ベランダで暖かい日差しの中お隣の先生と弁当をたべた。今日の夜は3年勤めた女の子の送別会である。

 この飲み会でメールで喧嘩していた先生と手打ちをしなければ、と思う。仲間意識を保つと言うのは、60歳を超えても時間と手間のかかる物である。

三平

2010年3月17日 日常 コメント (1)
 小さな居酒屋の名前である。僕は学校の先生、大学なので教授と言うが、に成ってから、飲み会は数えられる程しか行かなくなった。

 6年前の。僕の1期生の卒業生が「先生に、紹介したい居酒屋がある。」と連れて行ってくれた

 広島の事であるから つまみは「小イワシの天ぷら」である、何処でも同じだが、味はやはり上手下手がある。 丁寧な優しい味であった。

 黒霧島のお湯割りを飲みながら「よくこの職場で6年も持ったな?」と思った。

 住友商事でも日本テレコム(今のソフトバンク)でも3年間も同じ仕事をした事が無い。

 年を取ったなと言う思いと、卒業生を含めた学生に支えられて居るんだな、と言う思いと、きっと周りの先生も事務も僕を大事にしてくれているのかな? と

 人間はヤッパリ 人の縁で生きてる気がした。
 お隣の先生と、酒を飲んでて、アメリカ人は何故にトヨタを苛めるのだろうと言う話に成った。

 でも個人的にはアメリカの人はトヨタが好きだ。1台しか車が持てないならGMやFordよりトヨタを選ぶと聞く、じゃ何故に苛めるのだろう。

 きっとコーラを飲んでジーンズを履いて、米国帝国主義反対とやった、僕の40年前と、似てるのかもしれない。と話が流れて

 韓国だってアメリカ領事館にデモしながら、ロックを歌って、アメリカのテレビを生で聞くべく英語を勉強してた。のじゃ無いかと言う事になり

 中国の日本大使館の襲撃だってデモの後でインスタントラーメン食べて、マンガ読んでたと聞く。のも同じ様な行動かも知れない

 圧倒的に勝てない文化への苛立と、羨望が入り交じって、国の文化を守る正義感だと錯覚させるのだろう。

 トヨタには申し訳ないが「日本の文化がアメリカに勝ったから。」と言う事に成った。

 

万歩計

2010年3月15日 日常
 で今日は、万歩計のセットを最後にして i-podで音楽を聴きながら、自転車で川辺まで行って。

 上下のトレーナーを脱いで、万歩計をセットして走り出した。音楽も途切れることなく流れて来る。一人で走るのでなくもう一人と話している気分だ。

 で1時間程走ったが、風が暖かくならないのでまた膝が痛くなりだした。11kmは走らなくても歩こうと欲をだして12kmまで、歩いた

 で万歩計を見ると18000歩23km83分と出てる。ヤダナーこの100円の安物め時間以外は合ってない。と思ったが、感度という項目があった「使用の前に50歩あるいて下さい。感度を設定します。」と書いてある

 で50歩歩いて感度を測ったら95%から23%に下がった。今度走るのは週末の土日なので、精度が上がると良いな。

< 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索