年賀状

2009年12月4日 日常
 営業の頃は2000枚の年賀状を出す事を自分に言い聞かせていた。2000人は頭の中で思い出せると思ってた。

 それに営業の挨拶が50円でお客の心が摑めるなら安いと思っていた。流石に営業を退いたので一生懸命へらしたらが、去年も結局400通になった。

 今年は義理の賀状は減らして心のこもる年賀状だけにしたい。でも僕は年賀状と暑中見舞いに恩を感じている。

 なぜなら前任の教授が僕の年賀状を数年間みていて、「君なら良いだろう。」とこの教授の仕事を紹介してくれてたからと聞いている

 でも未だ書き始めていない年賀状が年内に書き終わる数はきっと200通程度になると思う。

 書き始めは僕の卒業生(ゼミ生)からにしたいと思う、ゼミ生だけでこの5年間で60人程になる。
 今週は中間試験を行う。遅刻して来た学生が全員がシーンを下を向いて字を書いているのを見て

 「先生、今日、試験だった。」と慌てる。何とかちゃんコッチコッチ「席とってアル」と手をふる相手が居ない、これは少し気持ちがよい。

 でも試験などしなくて良いと僕は思う、学校は順番を付ける所らしいので、習慣してやっているが、成績という順番をつけても、高々、記憶力のテストである

 古い話で恐縮だが、記憶力なら、隣の家の田舎のバーさんも僕の生まれた日の事を事細かく知っていた。

 これだけWikiやGoogleが発達したのだから、試験の回答の差は検索能力の差のようで、その中から答案用紙に書ける分量が各自の脳のメモリーに残っているかを試して居るようである

 これは一体 何に成るのだろう?と思いつつ 僕は何をしてるのだろう?と思う浅井であった。

寝坊した

2009年12月2日 日常
 先生、御免なさい寝坊した。とメールが来た。母親を連れて、人生相談にくる女の子からだ

 来れば、餃子の王将に行く予定にしていた。でも日にちを改めてと言う事になったので少しホットした

 若い、可愛い女の子が選ぶものが良くない筈が無い。古いオジンが昔から「こう成っとる。」として決める事は避けたい

 寝坊するならするなりの理由があるのだろう、母親と会ってみても、僕に解決策がある訳でも、草食男子をライオンに変えられるわけでもない。
 カナリアと言う芸人が居yr、英語の変わった訳のギャクで受けているらしい。ので学校の講義の際に話題にした。

 彼等のギャクは例えば、ネバー エンディング ストリーとかけて、コチ亀(こちら葛飾区亀有公園前)と解くその心は 連載がマダマダ終らない。言うようなものだ

 そのギャクのなかに 木の実ナナ(古いな)で ダイナマイト プシー キャットと言うのが あった。

 ハワイからの留学生のコーディ君が「先生、こんな言葉は人前では言わない。」とプッと吹き出した

 せいぜい言ってpush up(腕立ふせ)かな との事、そう言えば最近は腕立て伏せを20回も出来なく成っている と思い出す浅井であった

鵜(う)

2009年11月30日 日常
 正式な名前は知らないが、鵜が2種類いる、小さいのと、大きいの。当然小さいのの方が群れて居る数が多い。

 川にも魚の群れがいるのだろうか、一斉に小さな鵜が川の中程に飛んで来て、潜り始めた。

 僕の視力が良くないので、ハッキリとは見えないが、何匹かは首をあげて白いものを飲み込んでいる

 3分程のニギワイだっただろうか、大きな鵜と青鷺が来る頃には終っていた。僕は川辺を走りながら息がハアハアしながら汗が目にはいるのを拭きながら見てた

 風は寒かったが未だ冷たい程ではなかった、10Kmを1時間と10分程度でだだ走るだけの僕は、鵜から見ればとんでもないヒマな遊ぶ動物だろう。
 高校の教科書と副読本というか資料集を見ていると、こんなにドウやって覚えるんじゃ、こりゃ無理だと言うほど事実が羅列してる

 どう、覚えて行けば頭にはいるよ、と何処にもかいてない、いや書いてあるんだろうけど、何処に書いてあるか、分からない

 きっと船頭おおくして船山に登るを地で行ってるのが、高校の教科書なのだろうかと疑ってしまう。

 だから予備校のカリスマ教師の本の方が読み易いのかもしれない。会社生活をしているとき「頭のいい奴が多すぎて困る。」と誰かが言ってた

 学校になると「頭の良い奴を育てようとする。」きっとそれが教育しすぎる弊害なのかも、だから学校では学校で一番少ない能力を持った人が偉くなる

 一番少ない能力とは、例えば応用が利かない(無能と普通は呼ぶ)とか、周りの状況に反応しない(鈍感と普通は呼ぶ)である

 企業なら「売れない。」と言う外部の歯止めで倒産するが、新規参入の難しい業界(大学のこと)は外部の歯止めが効かない。

 世の中には創業者の親族の理事長が居座る学校も多い、しかも老齢であることも多い。普通はこれを老害と呼ぶ。
 金曜の4年のゼミと木曜の3年のゼミを一緒の時間で一緒の部屋にしたいのだが、ナカナカ上手く行かない。

 来年はこうなるから見ておきなさいと言いたいのだが、時間割がドウノとかアルバイトがとか、その日は不登校にしてますとか 色々学生も学校も言う

 僕は高校、大学とラクビー部だったので、高校の3年に成れば受験、浪人すればこんな状況、大学の4年は就職はこんな人がこんな会社と言うのを肌で感じてた

 学校は教室だけが教わる場ではない、ラクビー部が教えてくれたことが、実社会では役に立ったと思う。

 イヤ、イヤ僕みたいな自己中の人間はラクビーをしてなかったら。此処まで3回も転職して生きて居れなかったかもしれない
 講義で、もう大学生だから勉強は止めて、学問をして下さい。学問はそんなに易しい事ではなく、嫌いな人はできないと思います。

 と、言ったら。遅刻してきて、早退したい学生が「先生、勉強しなくて、本当に良いんですか?大丈夫ですよね。」と確認を求めて来た

 「学校の先生が保証できるとすれば、それは学校の中のだけだよ。世の中やサラリーマンの付き合いのなかで、学校の先生の言う事が全部通じるかは分からないよ」と僕

 でも学生は「先生、大丈夫ですよね」と聞く。僕が「君はデートする女の子がいるかな?その子に大丈夫だよね、大丈夫だよね って何回も聞いたら。女の子はどうする?」と逆に聞くと

 「居るけど、うーーー」「先生、勉強しなくて 良いスヨネ」と成った

もう勉強しないで

2009年11月26日 日常
 大学は学問だから、勉強ではないよ。と学生さんに言うと「それ何の事?」と頭のなかに??? とクエスチョンマークが出るらしい

 口をあけてポカーンとしている。だから大学は好きな学問を自分でヤル所で、教授はその手助けをするの

 高校と違うのは、大学に入るための障害物とでも言う、受験の問題を解かせる為の勉強はもうしないの

 大学に入ったからは、障害物が無くなったのだから、自由に好きな事を学ぶの、だから好きな講義を選んで聞くの

 好きじゃなければ僕の講義を選ばないでね、好きなら学問になるけど、嫌々なら勉強になる、もう勉強しないでね

 と言うと 学生の半分は 「先生、おれ どうすりゃ良い」と聞く

明日を見ない

2009年11月25日 日常
 で女の子の相談は、付き合ってる男がシッカリしないから、別れたいけど、車も親父の車が自由につかえるし、遊んでくれるし

 結婚するにはイマイチ頼りがいはないが、誰も居ないとサミシイし、彼氏の一人ぐらい居ても可笑しくないから良いのだけど

 ホントにこの男で良いんだろうか、先生ほかに誰かいないかなー。と言うのが相談の趣旨だ

 最近、彼氏はアパートをかりたけど、相談もなく、一人住まいし始めて、私はどうなるの?と言ったら鍵をくれた。で安心したのだけど

 お土産をもって彼氏の部屋に行こうとメールすると、友達がいるからダメとだけで、オカシイと思って、アパートの階段駆け上って、ドアのチャイムならしたら

 「来るな言うた。」とチェーン掛ける、イラットして鍵をあけてガチャガチャしたら、中から違う男の声がしたので 少しホットしたけど

 「帰れ」言われた、どうしよう耐えるべきかな?と何んとも凄まじい状況だ、これを親子で相談しに来るのかな今週末に

 僕は明日の事を考えたいが、明日を見る話しになりそうにない
 昨日はデートの日だった。時間通りに本屋で待ち合わせをすると。「先生、こっち」と携帯がなる。

 デートの内容は「今の彼氏と付き合うか、分かれるか」と言う、この年頃にいつでもある悩みだ

 この子がい気になってる男の子が漸く思いつく、アア学校にいるあの茶髪に染めた粋がった男の子だろ、と思い出すが、そうは言えない惚れてるかもしれない

 「僕が、貴女の恋愛相手だったら、こうするけどな?」みたいな返事をしていると「フーン、そうなんだ」と頷きつつ

 「先生、お母さんも一緒に相談しに来て良い?」と成った。僕は親父じゃないから返事ができないが

 「土曜も日曜も、午前中は走るけど、午後はボケーと学校に居るから、もう家庭で必要とされてないから、何時でもオイデ。」と答えた

 若い女の子とのデートは、始まるまで楽しみダッタ

ようやく10km

2009年11月23日 日常
 天気が戻った。気持のよい上天気だ。朝8時に家を出て川辺へ向かう。まだ北風が肌にいたい。

 走り出すと何とか走れる。それに朝日が気持がよい。大芝水門を渡ると今度は下流へ下りだ

 追い風で朝日がアタる。汗も出てくる。折り返しの処でスエットの上下を脱ぐ。持って行く人も居ないので木の枝に掛ける。

 高校の野球部に団体で抜かれる。キチンとタイツを履いて、姿勢のよい、いかにも陸上ですというオジンに抜かれる。

 焦らないで、何とか今日は10km走りたい。抜かれたクライで反応してはダメだ。自分の体力に合わせてと思い、ようやく10km走れた
 学生さんにパソコンくらい使えないと就職に不利だよ。と講義したら、学生が部屋を訪ねて来て「パソコン、先生、どっかに落ちてませんか?」とのこと

 学校の廊下やゴミ捨て場に5−6年前のなら落ちてるよ、よく探してゴラン。残り物を組み合わせてプリンターまで揃えられるよ、と答える

 「先生、それ何処ですか、使えますか?」と学生がすがる。何でも先生に甘えるなよ、僕は君の親父じゃないよ。と答える

 探してゴラン、今は1−2万円でパソコンの中古の市場があるはずだよ、新品でも100円パソコンと言って携帯と同じ売り方であるよ。

 携帯を買い直すつもりで探してゴランと言っても「先生、どっかに無いスカ?」とまた言う

 僕もすこし飽きて 「君、どっかに、女の子いませんか、あと腐れのない、簡単に落ちる子と聞いてるみたいだよ」と答えた

言わないで下さい

2009年11月21日 日常
 電話がなった「よろしければ来て頂けますか?」と、この手の電話は危ない。巧言令色、少なからず仁と昔から言う

 やはり、色々話して「言わないで下さいね。」で話が終わった。

 日本は戦争を放棄したのだから、戦う武器は「言葉」しかないハズだ、でも根回しとか、気を使うとか言わない会議が多い

 会議の前の根回しで、何時まで黙っていれば、他人が忘れて呉れるのだろう。

 お釈迦さまでも方便がある。人によって物事は違う。「誰がアア言っただの ウウ言っただの」当事者同士でシッカリ言い合えるのが一人前とおもうが、

 学者もどきは自分で物が言えないらしい、先生だけでない学生もだ。聞いた話だが
 
 大学入試の時でも親にメールして試験場の空調を上げろ下げろと言う子供を甘やかす世の中が何時に成ったら終わるのだろう。
 月に一回の年長者との呑み会が昨日だった。僕ですら年長なのに、僕より幾つも年上の人と話す。でも昨日はちがった、少し若い話し手と聞き手がいた。

 その話はi-phone,ipodの話だった。話してくれる人は在アメリカ18年のMac大好きな僕の部屋の隣の先生だ

 それに加え、20歳の女学生も混じった。この子が、60歳70歳のオジンと話が出来る。これがオジンには ありがたい。

 学生が就職で失敗するのは、オジンと話せない。と言う事が多い。先生とは話せるけど、

 周りの友達を意識した発言が多く、大概その場限りの一発ギャクを狙って終るケースもある。

 有る程度の尊敬を示しつつ、オジンの持ってない新しい物を伝える努力を惜しまない学生がありがたい。

呉港高校

2009年11月19日 日常
 呉港と書いてゴコウとよむらしい。「先生、ゴコウですか?」と女学生が言う。そうだよ僕は高校へ行くのが楽しみだから、と答える

 行ってみると、綺麗な市立体育館の前にある高校で、高校に入ると、なんと全面ガラスばりの柔道場がある スゴーイ。

 男子校は挨拶が気持ちがよい。女子の高校から大学が出来た僕の学校の女学生は、男子校というだけで「怖い」と過剰に反応するのだろうと思った。

 講義をし出すと気持ちよく、素直な高校生だった。また来て話をしたいと思った。

 呉から帰って、餃子の王将で呑んでたら、学生が「アッ先生」と言う、僕が「今、呉からの帰りで呉港高校へ行った」と言うと「僕たち呉港の卒業です。2人とも」と言われた。

 
 「先生、いつ空いとる、デートしよ。」と言われると少しウレシイ。「オイ、何人居るんだ財布が持たない。」と返事する

 「先生と2人よ。」と返事がかえる。其処まで言われてオレも男だ引く訳にはイカナイ。

 これが2人だけの時に話が始まったなら、少しは心がトキメクのだが、僕の研究室(部屋と言うべきだろう、僕は研究してないから)に学生がゴタゴタ居る時の会話だ

 聞いてる学生達の会話が一瞬、ウッと、静かになる、「良いよ今度の月曜日、夕方の6時、場所は来週決めよう。」と返事した。
 インターナショナルスクールの中学校に通っていた娘を、学校を辞めさせ、受験のために僕が教えている

 パパ国会って何? 色々しゃべる奴が居る所、最近は話がまとまり易い。と返事
パパ内閣って?役人に指示して国の仕事らしきものをさせる集団、と返事

 パパ「こうせい」って何?厚生労働省で年金と健康保険。と返事すると、パパ字が違うよ、と じゃ更生ってヤクザを叩き直せるかな?と返事すると。パパ違うよと

 仕方ない、字を見せてと 言うと 行政 と書いてあった。これは ギョウセイだよと言うと、娘が なぜ そんな 勝手な読み方するの 理由はと聞かれ

 答えられない父親であった。

 新幹線で酒を飲んでいた。コップ酒である。昔はフカヒレの香りのするお燗の出来る、多分、石灰か何かで熱っためる日本酒が好きであった

 また酔っている気分が好きであった。「浮き世の憂さを晴らす。」と言う気分にスグ成れる酒が好きだった。

 でも体力も減り、酒の量も減った。新幹線でビールをのみ、次に日本酒を飲む時にコップ酒を呑むのに時間がかかった

 ほろ酔い気分でウトウトしてたら、新幹線が揺れてコップ酒がたおれ、酒がこぼれた。
 
 隣の席の人の靴に多少かかった。何とも申し訳なく、只の酒飲みのおじさんみたいだった。

七五三

2009年11月15日 日常
 上天気で風が爽やかな日です。昨日の雨と寒さが嘘みたいです。
 
 新幹線で広島に帰えります

 帰り道にある近所の神社に七五三の幟は翻っているが、親子連れの姿はない。

 東京でも明治神宮にでも行かないから親子連れがいないのかも?

 きっと七五三もブランド化したかな?と思い東京を離れる。

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