5月の連休あけの土日に、学生を140人程連れて、車で2時間ほどかかる山の中の廃校で合宿する。

 ヤルこと飯盒炊飯とかキャンプファイヤーとか小学生と同じだ、「大学に成っても同じ事をするんだ。」という安心感をあたえる。

 でも結婚しても、老人になっても「バベキューや花見」と名前を変えるだけで やることは同じだ。

 何故か僕の担当する17名の学生は全員参加のようだ、「来たくなければ、来るな。」と言っているのに。

学生と吞み会

2009年4月27日 日常
 韓国の留学生が3人居る。何故か吞み会に付き合う事が多い。韓国と日本の似ている点が付き合い易いのだろう。

 留学生から「先生は、優しいですね、私達を大事にしてくれて。」と言われて返事がしにくかった

 大事にしている訳ではない。付き合って気分が良いから付き合うのだろう。気分が悪ければ付き合わない。

 韓国人は日本の少し前に大事にしていた「親の苦労が分からないのか」と言う言葉が通じる所が有るからなのだろう。

 何処の国でも親子の感情は同じだと思うが、去年来たイタリア系やポーランド系のアメリカ人の留学生からは「親の苦労が可哀想だ。」の気分が僕には伝わらなかった。

2009年4月26日 日常
 草や木には花、枝、幹、根がある。人間も顔、手、胴、足とある。時間や人生にも苗、若木、開花、果実と時期がある。

 でも12年も小学校、中学校、高校と過ごして、もっと長い子は保育園から始まる15年間の塾と言うかグループ学習の中にいる。

 だから、世の中が学校の続きだと、思いこむ学生が多い。ズーット苗床に居て、嵐も干ばつも来ないし、困った時は先生に言えば済む。

 これが世の中だと思い込んでいる、これがイツまでも続いてほしいと思いこむ学生も多い。

 世の中には嵐も吹けば風も吹くを認識させ、早めに世の中のルールをほんの少しだけでも持ちこむ僕のような先生に学生は困ってしまう。

 その1つが「先生は5分遅れてくるのが礼儀じゃ。」という学生の発言であろう。彼は僕に気に入られようとして微笑んでいる。

 でも大事はレースに遅刻したら参加資格はない。社会人はテストもない、毎日の些細な遅刻が命取りだ。

 遅刻や欠席に救済方法が有る。と思いこんでいる。学生が可哀想だ。

講義を忘れて

2009年4月25日 日常
 電話が鳴った「先生、xxさんに電話して下さい。」と、何だろね?如何して自分で電話して来ないの?と思ってホッテ置いた。

 でも5分ほどホッて置いたが気になって電話すると「先生、今日の御予定は?」と電話口で女の事務員が言う。

 「何?デートでもしてくれるの?このオジンと」と聞くと「先生、講義時間が始まってます。」との事

 「アッ、忘れた今日から3回僕の講義だ。」僕は大人数の講義が好きなので、頼んでおいたのだ。

 慌てて出かけると、新任の先生が一人で焦って教壇に立っていた。「悪い事をした。」と思った



卒業生が3人

2009年4月24日 日常
 可愛い子が3人来た。もう卒業して3年も経つという。昼に来ると思ってたが 3時ごろ来た。

 ねえこれから何処へ行く?と相談している。僕も若い子と出かけたいが、何せ草臥れている。

 昨日のお酒も早めに帰りたくなった。夜は早めに寝たい。残念だが手術の後が未だ回復してない。

 3ヶ月も体操をしてないので、未だ飲み会が2回続くとキツイ。可愛い子ちゃんを残して、「早く、帰らないと教授会にイケと誘われるから。」と帰ってしまった。

10人で酒盛り

2009年4月23日 日常
 釜山から来た留学生と呑みに行こうと思った。学校の坂道を降りていたら、ゼミの女の子に会った。

 誘うと付いてくる。4人も居る。コッチは先生が2人と留学生が3人なので全部で9人になった。

 学校の門のところで若い先生が足早に歩いてる。じゃ誘おうという事で10人になった。

 でも行くところは餃子の王将である。10人で6時から10時半まで騒いで1万1千幾らであった。

 良いのかな?計算間違ってないかな?

 
 学校は叱らない所になったのだろう。モンスターと言う母と、マスコミという報道屋の見ているところでは、

 僕は授業の邪魔になるおしゃべりは外に出すのだが、これが気を使うし、講義の内容を忘れるのだ

 一度、叱るモードに入ると、本の授業モードにナカナカ切り替わらない。静に聞いている学生が可哀想だ

 大学なんだから、聞きたくない授業は聞かないでね、と言っているのだがナカナカ通用しない

 学校へ行っておしゃべりして帰って行く、この学生が僕の給与を払う。なんとも寂しい限りである

3年で辞めました

2009年4月21日 日常
 卒業生から電話だ「先生、居ます?」と「居るからおいで、久し振りにおいで。」と言う

 「先生もう3年経ちました。会社辞めたんです、」と微笑んでいる。純真なこの子には、実社会の品の無さが耐えにくかったかも知れない。

 もう一回他の所を探そうと思って。今は職業訓練校に通って経理を勉強してます。」と着実だ。

 社会人として通用するのに時間がかかるというのか、25歳ならまだやり直しが効くというのか、今の若者の通る道だ。

 若者のせいにしてはいけない。本来なら退く(ドク)べき年寄りがドカナイから、若者が自分の場所を得るまでに時間がかかるのだろう。

 年寄りの1人として申し訳ない気がする。

自転車

2009年4月20日 日常
 3ヶ月の間を置いて、自転車で学校に行った。暖かい日差しで、日曜日の朝8時半だ。

 ユックリこいで、45分の距離だ5Kmほどある。でも疲れる、傷口が痛い。

 学校に着いたら疲れた。充電をして(電動のママちゃりなので)家に戻ったら11時だった。

 何もしてない、自転車で往復しただけだ、体力の回復が遅いのが手に取るように分かる

 残念だが仕方がない。明日の月曜日は電車の通勤としよう。

 世界不況のアオリで広島のマツダに駐留していたフォードの人達が本国に帰った。

 と言う事は広島のインターナショナルスクールの生徒が減った事を意味する。すると学校の経営が苦しくなった事に成る。

 昨日の学園祭は何時もどおりのニギワイなのだが、校長の顔にカゲリが見えた。

 イギリス人の生真面目さで学校を立て直しているのだが、集めた外国人の先生への支払いと収入の差が毎日彼の頭の中にあるのだろう

 お金の出入りを気にしないで授業が出来る僕の環境は幸せと言うべきだと思った。

 バザーに出した女房のシホンケーキは完売していた。

卒業生

2009年4月18日 日常
 3年前の卒業生が2人でドアを叩いた。「先生、遊びに来た。」と「何時まで時間がある?」と聞くと8時にもう一人が仕事が終わるから それまでは と

 3年もいないと「先生、畳になっとる、絨毯どないしたん。」と話がつづく
「ブログの配信を辞めたん?」と色々ある

 gmailに変えたらマウスのドラッグの貼り付け(コピーペースト)が利かなくなり、文字化けするので 2手間かかり 朝の早い時間に配送を忘れるのだ

 それに入院もしてたと 答えるで「飲みに行こう、呑みに行こう」で餃子の王将まで歩いた
 
 「先生、歩き?女の子つれて。歩き?」と言われるが付いて歩いて来てくれる
がやがや騒いで9時頃まで王将で呑んでいたら3人目の卒業生がきて

 「先生、あたしの名前を覚えてる?」とやられて困った、入院してたので酒の回りが早い、可愛い子3人と酒を飲むと楽しくなる

 些か酔ってメガネを外して女の子のか顔を覗くと
「先生、どないしたん 眼がエロになっとる。」と

通信制の高校

2009年4月17日 日常
 「そんなに働いちゃダメだよ。やめな。」が最初の言葉だった。「先生と言う名前は格好良いけど親よりは上手に育てられないよ。」が次の言葉だ

 通信制に通う子供は増えていると思う。それに対応する学校も必要だろう。でもそこで働く先生は大変だと思う。

 親にしてみれば「学校が悪いから、家の子が通わなくなった。」であろう。世の中にイズレハ出さなければイケナイ子供を叱れない教育はできない。

 皆の前で叱られて恥ずかしいから伸びるのだと言う考えを、現在の教育はやめてしまったのだろうか

 人は皆、ええ格好しい、で伸びていく、ええ格好が出来ないと、何か考ええる。それが自分で考える元だと思うのだが

熊が祖先?

2009年4月16日 日常
 韓国からの留学生と呑んでたら、神様の話になって、ナゼ韓国のでキリスト教が流行っているのかとか 話になった。

 だんだん神話の話に成り、韓国の神様はニンニクを沢山食べたクマをお嫁さんにして韓国人の祖先を作った。と言いだした。

 彼ら留学生はアメリカ軍の駐留以降の教育を受けているから、古い事は正確には伝わっていないだろうがクマが祖先は楽しいなと思う

 しかもニンニクを食べないと人間に成らないと言うの楽しい。まるで韓国料理が一番美味しいのだと 言っている気がする

登校

2009年4月15日 日常
 1週間ぶりに学校に行った。イッパイ人が出てきた。当たり前だと思うが当たり前が凄いと感じた。

 朝。講義の10分前に教室に行くと9時前なのに20-30人が来ていた。テキストを100円で買って貰って講義を始める 遅刻を含めて50-60人の講義だった

 研究室に帰ると「先生、入院おめでとう。」と学生が来る。「先生、おらんかった。」とくる「先生、どないした。」とくる

 食事の時間は研究室がゴッタ返していた。「先生遊びにきた。」とバラバラと学生が来る。

 帰りに5時に広島駅で学会の会長と待ち合わせて一日が終わった。入院中は女房一人とと1日に1時間しか話さない日が有ったのに

たかもり

2009年4月14日 日常
 「退院ですね、おめでとう。」と言われ、ありがたいのだが、入院を1週間すると、人生って健康が大事とわかる。

 口で分かってても、現実が目のまえに有ると、心にしみこんでくる。退院して最初に銀行に行ってお金を持ってきて、清算して

 それから近くの「うどん屋」まで食べに行った。病院食は丁寧に作ってあるのだが同じ味を1週間も食べると、外食の味が懐かしい

 でも7日のあいだ病院から出てないのと言う事は、7日の間は歩いてないと言うこだ。うどん屋の「たかもり」の出汁が飲みたくて出かけた昼飯だが

 帰ってくるとわずかの距離を歩いただけで 草臥れてしまった。これから走れるように自分を戻すのに時間がかかると思った
 

仕事

2009年4月13日 日常
 病院に入っている間に残った仕事を片付けようと、書類を色々持ち込んだ

 税金とか保険とかだ。でも結局どの書類も開かなかった。整理すべき名刺もグチャグチャのままだ

 体が健康な時でも処理したくないものは、病気の時には処理できないと勝手に決め付けて開かなかった

 どうしよう今日が退院の日だ。本も5冊ほど持ち込んだが2冊しか読めてない。退院まで数時間しか残ってない

 朝風呂は諦めるにせよ、髭ぐらいは剃りたいし、止め処なく欲求は深まる。

訃報

2009年4月12日 日常
 入院中なので病院にパソコン持ち込んで打っていたら訃報が飛び込んできた。

 高校の同期なのだ、今年は大学の同期で集まろうなんて話している間に、去年の一周忌しないか、なんて話しになっちゃう。

 僕はヘルニアで大した病気でないので、丈夫に生んでくれた父母に感謝しなくちゃと思う。

 何か、自宅の近くのきれいな病院でキチンとした治療を受けている自分が酷く贅沢な気がした。

抗生物質

2009年4月11日 日常
 手術が上手かったのか痛みが少ない。入院していて元気すぎて申し分けない。

 と調子に乗ったら、薬を飲むのを忘れていた。昼過ぎに傷口が痛くなって寝込んだ、

 少し寝汗をかいて起きた時に思い出した。朝から2回分の薬を飲むのを忘れたと。

 抗生物質と痛み止めと整腸剤と3つの錠剤を朝昼晩と3回飲むのを2回忘れてた。

 気が付いたのが午後3時過ぎだった。流石は薬だ。飲むと痛みは止まる、よく効いている。

 でも今日の間に後2回を如何に飲もう。まー良いや。と2回分一緒に飲んだら効きすぎた。

 抗生物質が腸の菌を殺してくれたのか、お腹がゆるい。やはり僕はまだ病人なのだと思った。
もう夕方だ

病院

2009年4月10日 日常
 9時半に消灯6時に起床という時間割で生活をしている。慣れると便利なものだ。一日中パジャマで居られる。

 手術の事は麻酔で覚えてないが、5時ごろ始まって6時過ぎに終わった。それから少し寝て11時に点滴を取替え

 夜の2時にオシッコの袋を代え、朝の4時ごろに点滴を追加した。

 やはり24時間誰かが見ててくれる場所が必要なのだろう。9時ごろに医者の回診があって。「良かったですね。」と言われ

 10時過ぎに体についていたチューブと電線が外された。
管が付いている間は病人かと思ったが

 少し病人から普通の人に戻った気がした。
 なんとも実感のない手術であった。肩に注射を打たれた後の記憶がない。

 気が付くと女房がベットの脇から覗き込んでいた。自分で何かしゃべっていたと思う

 気が付けば翌朝だった。麻酔のチカラは凄いと思う。少し頭がボーっとしているが文章が書けない訳ではない

 傷口はシッカリとテープでふさいであるので見えない、多少の鈍痛はあるが大した事ではない。

 4月18日の試合は無理だが、9月の試合には間に合わせたい。それにKKDIと日本テレコムの試合、今やAU対SoftBankの試合にも行きたい

 この試合で走れるとは思わないが、自分で作った試合だ見るだけでも側にいたい。

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