1)昨日 公園で僕を折伏された方に 自分の マンションの出入り口で 合った

「昨日は どうも お話を聞いて頂いて ありがとう御座います」と 会話がはじまる

2)縁は異な物と 言うかもしれないが  犬も吠えない程度に懐いていると

「人違いでしょう」とも言えない

同じマンションに 宗教関係の方が 居るのかと 焦ってしまう

3)「また機会ありましたら お話をさせて 下さい」 と 言うのに

「嫌です」と 73才になる僕は 言う勇気と 言うか 世間体と 言うか

ダメな 男だと 思う

4)スイマセン 犬は 外で トイレが できますけど

僕は できないので 慌てて部屋に戻りますので   と

挨拶なのか お断りなのか 分からない回答で エレベーターに 向かった
1)犬と 上天気の ガラガラの 平和公園を 散歩していると

お2人の女性 (1人は20才後半 もう1は40才過ぎ 両方とも やせ形 真面目)

が 犬を可愛がってくれるので  お話の相手になった 暫く話すと

2)「イエス様が あなたを救おうと してます」 と 言われ  返事ができない

僕が「父母が原爆で生き残っただけでも  キット神様に 救われてますよ」 と答えると

更に「 神様の お導きですよ」 と 続く

3)平和公園には 色んな 宗教の方が 来ている 遠くからも 団体で来る方も居る

来たついでなのか知らないが 

信者を 増やす 練習でもするのか 

平民の私たちに  良く話しかけて くれる 

4)でも こんな 平和な広島で 信者を さがさないで 欲しい

寄付が欲しいなら 募金箱でも 持っていて欲しい(多分 禁止されてるだろうが)

地の塩となり 人民を救うなら 困っている人の居るところへ行って欲しい

5)あなたが信じるのはかまわないが

 僕を救わないで もっと困っている  難民なら 香港だって フィリッピンだって 

アフリカだって 幾らも いますよ

日本の入国管理局の前に行って 「入国難民も 含めたら」幾らでも 居るでしょう

6)真面目さには 頭が下がるが お願いだから 僕を対象としないでと

お二人に抱かれている  犬を 「 返して」 と 丁寧に お願いするのに 時間が かかった
1)60年前  小学校の3年だから10才だと 思う 

初めて 羽田ーー小牧(名古屋)を飛行機に乗った

親父が 故郷に錦を飾る お墓の分骨をしに 行ったのだ

2)その時の記憶は 富士山を 右手に見て 飛んでいた 気がする

更に トイレには 底がなくて 排泄のペダルを踏むと ウンチが 空に散って行って

下に 伊豆半島が見えたような 気がする

3)老人のタワゴトか 夢の記憶違いかと 思うが

なぜか ふるい 記憶に

 トイレを流して 下を見たら 地図の様に 地面が見えた のが 残ってる


1)平和公園を散歩してると 犬のお蔭で 色々と ご挨拶ができる

僕と同じ年と 思われる 年配の女性2名に 犬が可愛がってもらっていたら

「あら 散歩は 犬とじゃなくて 、奥様とされて 犬はお供ですよ」と 言われた

2)こんな事も言われないと 気がつかない

橋のたもとの 喫茶店で coffeeでも お二人で飲まれたら 喜ばれますよと

そうか 女は そう考えるのかと 見知らない 方に 教えてもらった

3)犬のお蔭で散歩中は会話がある

3−1)ハンガリー人の彼とインド人の彼女のカップルと 合った まだ半年は帰れなさそうと

3−2) ロシア人の3人組の 男の子に話しかけると 

サバーチか(犬のロシア語らしい:鯖が近いなら マグロは遠いのか と思ってしまう)と

言いながら 僕の家の犬が 可愛がられていた

3−3)若い女の子で ダンスで 生きていこうとする タクマシそうな 女の子にも

 抱かれてた 世の中 変わって来てる 携帯とネットの無い時代には 戻れないかも
1)犬と散歩してたら 平和公園の レストランに 昔の鰐淵晴子みたいな 若い美人が居た

お母さんも年だが美人で 東欧系の50才くらいだ  で 2人で 食事してた

2)僕の犬が 持ち主の気持ちを察してか  近寄る

3)でも 今日は風が冷たいので テラス席でなく ガラスの向こうの部屋の中だ

窓を開けて「可愛い」と撫ぜてくれる

4)日本語は上手だから キット 鰐淵晴子みたいな 人生なんだろうと 勝手におもった

小さい時に 学校で集団で 見た  「ノンちゃん雲に乗る」 は

 随分可愛い子が居るんだな と 言う記憶しかない

5)西洋の美人だから 服部時計店の 息子と結婚して 離婚した と 言う記憶しか

ない 僕に取っては 「雲の上の人」だったのだろ

6)犬のお蔭で 美人に近寄れた 感謝しよう

 男は幾つになっても 美人に弱い


1)50年程前に 住友商事に入社し 研修を淀屋橋で受けた

配属は 東京だったが 担当する 住友金属の工場が 尼崎にあり

何度も 新幹線で 往復させてもらった

2)新幹線で浜名湖が見えてくると  鰻の「養殖池」がキラキラと夕日を反射しているのを
目にした  今は もう 本の 数個 しか 養殖地は 見えない

50年も経つと 世の中 変化して 戻らないのかもと 思う

3)最初の給与で うな丼を 2杯食べようと決めていたが お袋と親父にも と 思い

一杯で止めて 何を買ったか正確に 覚えてないが 

多分    お袋にヌイグルミの人形と 親父に煙草

(もう 光は ナカッタと 思うが  いこい か出たばかりの hi-lite(ハイライト)だと思う)を

買った

4)昨日夕ご飯の テーブルに 「あなたは 尻尾の方が すきでしょ 脂が少ないから」 と

一本を半分づつ食べながら 思い出した  

5)広島と東京では 鰻の 味が違う

日本橋高島屋の 北側の裏に 美國屋と 言う店があり あの味がなんとも 懐かしく

広島にきて20年は経つが ナカナカ 店に食べに行こう と言う気にならず

女房が スーパーで 買って来る物を 食べる様になってしまった




1)大学の事務に顔を出した    「勉強をし直そうと 思って」 と言うと

また ご冗談を とクスクス笑われた 「あなたを教える方が ビビっちゃいますよ」と

言いながら 科目等履修生の 申請の用紙を揃えてくれた

2)何で? と聞くので 英語もポルトガル語もできると思っていたけど

 僕は 元になる 日本語が 乱雑なのだ だから 

多分 僕の 英語や ポルトガル語も  乱雑なのだろう

通じるけど 品がないと 言うか 相手を敬う 配慮に欠けているのだろう

3)日本語を 教える(日本語教師になる)立場だと 乱雑さが 無くなるのでは と 思って

やってみようかな と 思ったと 言うと

4)凄いですね と 感心されてしまった

僕は日本語が下手だ と 言ってるのに イケマせんか? と言うと

「先生が 一生懸命 真面目に 答えれば 答えるほど 

 何を言っても自慢しか  聞こえませんよ、 だって 英語もポルトガル語も通じるでしょ」

 5)「私は 久しぶりに 先生の話すのを 聞いて 真面目なんだな 凄いな と 思うけど

先生の人柄を 全く知らない人が 聞いたら 自慢してると 思いますよ」 と
1)N先生から 漫画が 7巻 届いた 昭和天皇物語だ

読んでると 自分が 如何に 歴史を考えて 習ってなかったか 

この73才近く成って  ようやく 分かる 読みやすい 分かりやすい

2)この漫画 昭和天皇物語を 渡される時 

石ノ森章太郎の 「古事記」覚えてます? あれは あの漫画の躍動感は

今のまんがの「比」じゃないですね と 言われて 思い出した

サイボーグ009 と ミュータントサブを 大学生の時に 夢中で読んだ

3)僕も 多少 若い人に 物を 教えると 言う 事で 給与を頂いていたが

また ラクビーで 多少なりとも 若い世代に何か伝えると言う 気持ちをもっていたが

4)今の 「コロナ」でも 「少し前の 携帯」でも  始まったものは 元に戻らない

と言う 考えが 伝わらない

4)温故知新は 古いのを参考に 新しいのを考えろ が 本来の意味だが

試験に通るには

 「誰がかが 考えて しまった 過去のものを  類推する、 勘ぐり

能力は試されるが」 

新しい物を広める 能力は 残念ながら

漫画の方が 学校より優れて 居るのだろう


1)犬に 首輪を見せると  散歩は イヤだ 嫌だ  と 後ずさりする

外は雨で肌寒い 昨日一日だけの晴れで  このところ 天気がよくない

2)新潟や山形の人に対して  少し寒い雨の広島から 物を言える立場にない

でも肌寒ので 思いだした30−35年ほど前の事を

3)携帯電話がピークを過ぎ 手間も暇も有ったので 

 癌は暖めれば治る  と いう民間治療の話しに乗って  

自分で 出資さえしなければ 火傷はしないと 思って その話しに乗った

4) 体験すべく 45度の お湯用に 温度管理とお湯の循環を良くした風呂を作り

45度10分を 3回繰り返す 実験をした事がある

勿論 隗より始めよ とばかりに 自分が実験台と成って 何回も風呂に入った

5)でも 基本的には 「お医者さまでも 草津の湯でも」と 大した差はなく

事業化まではナカナカ行かない

6)そうこうして居るうちに 

オウム心理教が 信者の祖父母を50度の お風呂に浸けて 煮殺し

 息子娘が手に入れた 財産を 教団に寄付させる 手口が

暴露されて新聞 週刊誌を賑わすように成った

7)考える事は同じだが 神がかってないと 濡れ手で粟のようには 儲からないし

「オウムで煮殺された」との風潮から この事業から撤退した

8)思えば馬鹿な事を一生懸命やったものだ


平和公園を上天気のなか犬を連れて散歩していると

1)日本に来て3年だと言う 中国人の若い26才と言ってた 男の人と 話しができた

昨日は 呉 今日は 広島 明日は 岩国 と 日本の海軍を見てみたい と

 言う事がシッカリしてる

2)僕の中国語が 出て来ない そうだね 1年は口にしてない

彼の日本語の方が 遥かに上手だ

3)僕は 50年前に北京に 行って 文化大革命の 時だった と言うと

良く あの時代に 日本人が 北京を 歩けましたね と 驚いてくれた

4)今の中国共産党を 悪く 言う 人も コロナの責任を取らせようと 言う人も要るが

50年前の 毛沢東路線を かえて一党独裁をの経済優先をして来たから

今に成って
日本に きて 3年間もかけて 日本で 日本語を勉強する 若者を作れるのだろう と 思った

5)4−50年前に シドニーから お客さんが 奥さん連れで 来られて

浅井:仕事はできなくても 奥さんの観光の相手の英語なら できるだろうと 言われて

外人の奥さんと浅草を 歩いて 居たとき

「どうして 戦争に負けてるのに そんな 明るい 楽しげな 英語で 日本の事が

話せるのだ」と 驚かれた   

6)同じ事を 今の中国人に 僕が見ている気がした
鳥い赤 午後から晴れ 日曜日
1)平和公園に 赤い鳥(鈴木三重吉の発行した児童文学)の碑がある   

誠に失礼だが 僕は その雑誌も 鈴木さんの事も 聞いた事も習った事もない

2)ただ 毎日2回はその石碑の前を 通る

で その 石碑は 「鳥い赤 」 と書いてある

3)平和公園に 修学旅行の中学生が あふれていた時は

僕は暇なオジさんなので  学生さんが 気を許せば 声をかけ

「戦争に負ける前は 日本語は 右から左に アラブ見たいに 書いたんだよ」

と 子供に 話しかけて 居た事が 有った

4)勿論たまには  「変なオジさん アッチ行け」 見たいな顔をされる 事もある

最近の中学生さんは 不審者に 隙を 見せない様に してるのか

聞こえなかった フリを したり  修学旅行で 準備した 回答以外の

設問を されると 書き込む欄を どこにして 良いのか 分からないのか

回答の無い問題を 出すな 見たいな 顔を される

5)でも 今は コロナで 修学旅行も 来ないので そんな事は もう1年も 起こっていない


1)夏なら犬の散歩に 朝の6時に出るのだが  今この1月に  寒いし 暗い 雨が降る

7時に夜明けで 8時なら少し暖かく成る

2)雨に濡れない通りは 広島には 本通の アーケードの中である

1kmは無いが犬の足なら 片道15分程度はかかる  行って帰ってくると 30分を超える

 3)でも お店が開店していると 軒先に 犬のオシッコと言う訳に行かない

だから 開店前に 散歩を 終わらせないと 失礼になる

4)間に合うかな? と 朝ご飯を 駆け込んで 本通にでた 犬を抱えて 傘をさして

本通まで 早足で 向かった

5)で 行って見ると 

開店を10時とか11時にします と張り紙が貼ってある店が  多い 

少し 安心して 犬の散歩を終わらしたが

6)あまり欲張ると 「ペットの散歩 禁止」と商店街で 議決されても 困るし

雨の時に 犬の気分転換にも 大事な場所だから
1)朝ご飯に  女房が  納豆をはさんだ サンドイッチを 出して来た

薄く焼いた トーストに 納豆を塗って 少しバターをつけて ある

2)食べると 旨い  そうか ピーナッツバターにしたから 日本人の僕は手が出なかったのだ

まず納豆に加工して 潰して パンに 乗せれば 日本人の口に合うのかもと 思った

3)ピーナッツバターは 戦後直ぐの 進駐軍さん からの 頂き物で 学校給食で出たが

四角いパンはまだ 高かったし 細長いコッペパンも旨くなかった

バターを塗る ナイフも無くて 細長いパンに 塗ったのを 配ってもらった

4)僕が35才頃  アメリカ人の知り合いが 定年退職して暇だ  遊びに来い と 言うので

僕にそんな事を言うな 本当に行くぞと 言ったら 飛行機代を貴方が払うなら 宿泊と

食事は 俺の家でしろ と 言うので  ワシントンまで  息子を連れて 出かけた 

4)朝ご飯は 自分で 冷蔵庫あけて 食べろ と 言う

で 貴方は 何を食べるの? と聞くと インスタントコーヒーに ピーナッッツサンドだと

で 作るの見てたら 随分多い 

それでそんなに 沢山たべるの? と 聞くと

昼ご飯 用に 余分に サンドイッチを 作っておく 水筒にcoffee入れて 行けば

安上がりの 観光に 丁度よいよ と 言う

5)そうか アメリカ人でも 立派な家に住んでても チャンと節約するんだ と 驚いた

で アメリカで ピーナッツバターを塗ったサンドイッチに コーラなら 満足するのだが

なぜか 日本に帰ると 食べる気がしない

でも 今日は 女房のお蔭で 少し 進歩したかも



昔話のついでに 

1)父母は母の実家に30万円を お願いして 田舎から

東京に出て来た 昭和27年頃だと思う

その30万円で 土地付き一戸建てを建ててもらった 

羽田(穴守稲荷)と 蒲田の間 4kmのほぼ真ん中で  

ここなら2km以内に他の開業医が居ない(勿論 田圃も 畑も多かったが)とのことで

開業した  僕は幼稚園の年少だったと思う

2)母は 30万円 送って 取られやしないか 詐欺だっら 如何しようと

それが心配で 仕方なかったが 電報がきて

「建て上がったから 直ぐ来い」と言われ  東海道線を  乗り継ぎ 歩いて 

田圃の中に 「浅井医院」と看板が書いてあるのを見て

涙がでた と 言ってた 70年ほど前の話しだ

3)でも 風呂は無かった    母に手を引かれて

家の前の 玉蜀黍の畑を抜けて 夕暮れに 大家さんの 鋳物工場に もらい湯に 通った

風呂は 家族の後 職工さんの前の 順番で 忙しかった 

風呂は 五右衛門風呂で お釜の中に 木の スノコがあった

父は 夏はタライで 行水で 冬は 家の中で 洗面器で  済まして いた

4)3年程で 30万の借金を返して その次に 父がしたことが

女房に恥ずかしい思いをさせた として 風呂を 作った

5)母は 小柄で 痩せており  胸もなかった   それ故  覗かれると 恥ずかしかった  と

 もう少し オッパイが大きいと 見られても恥ずかしくないのに 結核だしね と言っていた
1)つい最近まで 卵は一日一個まで と 言う 言い伝えが有った気がする

でも 最近は 解禁に成った らしく 毎朝 目玉焼きが出て来て 昼の饂飩も卵とじで

夕方にすき焼きで卵をつけて食べることに 抵抗が無くなって来た

2)でも 僕の60年くらい前の記憶は違う

隣の家が 鶏を飼っていて (東京の羽田と蒲田の間なのだが)

「あそこの家は 買わずに 毎日 卵が食べれる」って羨ましかった 時代に 僕は育った

僕の家は 東京の大田区の 羽田の側の 玉蜀黍畑の脇の 小さな開業医だった

3)近くには 商店と言う物が 一軒しかなく 酒屋と乾物屋が 一緒に成った 店だった

その酒屋に 付けで 買い物を するのだが 毎月の月末の支払いに 困ることもあった

小憎さんが「払って下さいよ」と母をさわるので  母が嫌がっていたのを 思い出す

4)ある日 母の顔が変わっていた ご飯のお櫃(ひつ)を 脇に抱えて

「今日は これしか無いよ」と 言って お櫃(ひつ)に 生卵を 1ッ個 割って お醤油を かけて

一家4人で 食べた 記憶がある

その時は 食卓に会話は 無かったと 思う
1)朝 ホテル 歩いて出た

ロンドン橋の 南側の たもと にある  屋台のゴチャゴチャした所にでた

大きなピザを小さく切って売ってるし、焼き飯見たいのも あるし   

言葉が分からなくても 値段 書いてあるし 安いし ウレシく成った

2)で 朝ご飯を 腹一杯たべて コーヒーも飲んだら  お菓子の所に

ライス プディング と 書いてある  rice pudding なら 僕でも読める

3)日本では  不二家の プディングは 卵がツルンとしたのだけど

英国では お米で 作るのか?  不思議だな と 思ったけど 英語が読めてウレシくて

買って 食べてみた

4)クッキーでできた 皿みたいな 丸い くぼんだ  器に うす黄色い ブヨブヨが

盛り上げてある 木のスプーンが ついてた これで食べるらしい

で 中途半端に 生温い でも  卵のミルクのお粥みたいだ

5)食後に お粥を 食べるのが 英国なのかな と 思いながら 

朝から 満腹で ロンドン橋を 渡った

6)すると ロンドン橋が  平ペッタな 短調な 橋なのだ

嘘だろ と 思った だって 歌にもあるだろ 

 もっと タワーがあって  吊り橋じゃないけと 道路が斜めに上がる筈なのに

なんでもない 只のでかい 橋だった

7)アフリカで夢見た英国と  実際は 違ってる事が 多い 

1)40年ほど 前の話しで 恐縮だが アフリカの アンゴラと 言うところに 駐在していた

日本に帰る際に ヨーロッパを経由しないと 帰る飛行機便がない

アフリカと日本の往復では 寂しい

できれば2−3日だけでも 英国のロンドンを見てみたい と 上司に頼み込んだ

2)口実を つけてくれて  ロンドン経由 帰国しても良い事に成った

 「アフリカの ドサ周りで 可哀想じゃないか 文化の香りも 嗅がしてやろう」

との 計らいだった

3)住友商事の事務所は シティの上の方に有ったが 

「浅井、テームズ川の 南のほうが  ホテル代が安い 多少 歩くけど

朝飯は バラ  マーケットの 屋台にしろ  そこから 橋を渡って ロンドン橋わたって

市内見物を 足で(歩きで)しながら ユックリ 昼飯までに 事務所に来い」と 言う

4)これをアフリカへの国際電話で

 「良いよ ロンドンにきても」と 言われて ウレシかったのですが

5) 僕は 生意気だから

「エッ 何ですって バラ (市場)マーケット 

薔薇はローズでしょ それぐらいの英語しってますよ」

と言うと  電話の向こうで カラカラ 笑われた

「浅井 スカボロフェアー の 歌も 知らんのか パセリ セージ ロースマリー タイム と

続く 歌だ  ボローは 古い砦だ と」

6)知らない事のほうが 多い人生だ

1) 快晴だが肌寒い風の中

パレスチナからの 小柄な美人の 日本人の 旦那に 漸く 会えた

若い(当たり前だが)で 話すと、大学でアラブ語を専攻し パレスチナに留学したと

2)お姉さんとパレスチナの大学で知り合ったが 妹を紹介され 結婚したと

でこの奥さんが「日本語って 沢山ある 広島弁を教えて 」と 僕に聞いて来た

3)旦那に聞かない理由が 分かった 旦那は広島の大学だが 愛媛の出身で

音も抑揚も違うとのこと

 そうだろうな 漱石の「坊ちゃん」の時から 愛媛は愛媛の 方言だ

4)犬を抱いて喜んでいる 奥さんの 隣で 若い(どう考えても 大学を出たばかり)旦那が

「お目にかかれて 良かった 本当に」と繰り返す「 どうして?」 と聞くと 

来週から 東京に 転勤です 世田谷の千歳なんとか と 言う ところの社宅です、

 妻から 犬を連れた 親切な人が居る と 聞いてました

妻に親切にしてくれて ありがとう 御座います」と

5)小柄で 可愛い若い女の外人さんに  犬をダシに 近づいた ダケとは

白状しにくかった



2匹の犬のお蔭で 毎日 誰かと 話せる 公園のボランティアを仕切ってると

思われる方から「今日は 天気の良いのに 出て来るのが 遅いの」と声をかけられ

1)平和公園の 入り口の ポンテと言う 洒落たレストランで 食事中のご夫婦が

こないだも 居ましたよね この2匹と 犬を呼んでくれる

2)すると 後ろの席の 一人で食べていた ご年配の男性が

「わしゃ ステーキ 頼んだんじゃが 年で食いきれん、この犬に遣ろかいの」 

「待っとれ」と 声をかけてくれる

3)で待ってると 流石 犬は ステーキは大好きらしく  チビの2匹がガバガバ食べたした

女房が「油と 塩は 犬の健康に 悪い」とは 頭のスミで 聞いてたけど

この食欲は凄い  あげた方も 「ほら よう食うジャロ」と喜んでくれた

4)お店の前に 犬を何時迄も 置いておくのは失礼なので

暖かな陽射しの中 川沿いを南へ下がると

暖かな陽射しの中で ベンチで 食事してると ペアの前で 犬が止まる

5)日本語が少し違うので 聞くと 韓国の男性と フィリッピンの女性の ペアだ

何語で 話すの? と 聞くと 普段は 日本語で 話し合うけと

一杯 話したい時は 英語になる と

6)そうか この前は ハンガリーの男の子と インドの女の子

今日は 韓国の男の子とフィリッピンの女の子 だ  時代は変わる



1)年明け 初めて N先生に会った 

広島の紙屋町(そごうでパートのある 中心街)の

Veloce:ヴェローチェ と言う coffee屋であった

2)東京時代の記憶では

この veloceは 代々木の 新宿から歩いて渡る 踏切を超えたところに 

気の効いた店が有った 気がする そのフランチャイズが広島にも 来たのだろう

3)待ち合わせの N先生が 僕の前を 通りすぎて 禁煙席の方へ行く

呼び止めると 「白シャツ 着ないで下さいよ サラリーマンと間違えますよ」と

4)実は 定年に成って 背広と白いシャツが 余って 仕様がない

背広は 着ると ネクタイと クリーニングの白いシャツが 居るが

ジャケットなら 洗いざらしの ネクタイ無しでも 着れない事はないと 思ったが

5)白シャツは ネクタイしてても してなくても サラリーマンの 代名詞なのかも





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