40年程前の 話しで アフリカの アンゴラです

1)住友商事が窓口で NEC製の 市外通話の電話網を 請け負った

小さなNTTの地方局みたいのを アフリカに作るのです

2)当然 メンテと称する 維持管理の 職人さんを 育てないと いちいち日本から 出かけられない

で 一応 読み書きの出来る と 言う基準で アフリカから10名程度を 日本の 新横浜の側の

NECで 教育するのですが

3)黒い人達も  土日が 入ると 研修も無いし 日本も見てみたいし

と 言ってもアンゴラが 生活水準が低く 日当が800円ぐらいしかない 

電車賃もでない(仕事上の移動は 当社が負担しますが)

4)だから 食べるものも 駅前の 吉野家の牛丼が 精一杯なのです
1)僕は 政治には 口を出さない 日本は どんな 方が 国会を遣ろうと 立派な国民が

シッカリ 生きてくから 良いのだ と 思っていたが

今回は ガッカリした

2)国連が 意味をなしたのは 小さい頃の 60年前のユニスコ村ぐらいだろう

40年前 アフリカに 行って  難民の群れに 如何に 国連が無力だかは 

 見て居て 可哀想を 超えて 国連職員には 成りたく無いと 思った

3)それでも 叶わぬ夢でも 原爆を生き抜いた 父母から 教育を受けた身に

してみると 「如何に 実現不可能でも お題目を 下ろしては イケナイのではないか

4)御釈迦様でも どの宗教でも 有るだろう

衆生無限 誓願 渡  人間は一杯居るが 何とか 全員を 彼岸に 渡したい

死んでから 本当なら 行けなかった お彼岸に あの父母が

 行ってるだろうと 思って お盆になって お迎えしてるじゃないか
1)70年程まえ 子供の頃 田舎から東京に出て来て

米軍さんが シェパードを連れて 歩いているのを  見た

その時 驚いた 秋田犬が偉いんだと 思ってたら 

戦争に負けるのは 犬迄 負けるのかと 思った

2)今日 黒い 綺麗に手入れされた 子馬のような 大きさの シュナウザーを見た

訓練も 良くされていて 僕の家の2匹の子犬に 振り向きもしない

家の犬達は 凍り付いて 通り過ぎのを待ってた

3)文化って 言う物は 犬に迄 現れるのかと 思った

また 日本で この 犬を飼うなんて どれだけ 広い 運動場を確保できるんだろう

野原の少ない平な場所の少ない 日本で この犬は  可哀想な気がした

1)時代は 進むものだ

 USAの大統領選挙の 討論が 同時通訳で 日本で パソコンで見える

お互いの非難を 堂々と言い合う  仲裁役もキビビキしてる

2)政治が 生きている 気がする と 言うより

ドノ政治が自分に有利かを 自分で判断しないと イケナイせかいなのだろう

3)比べて日本の政治は 「どんな無能が やっても 上手く行く」時代が長過ぎて

日本は 会議で寝ている 議員が 映し出される 

4)鼓腹撃壌と いう 漢文の先生も 居るかもしれないが

コロナを逃げ切った  病気老人の大群と 

家庭に籠っている 中年男子の 隠れ爆弾 の時代になるのかも




アフリカの アンゴラの お昼の ご飯の 時の 小話だ

自動車教習所に 行くと 運転だけじゃやなくて 事故を起こさない マナーも 教わる

質問1: 運転中に 道路に ボールが 転がって来た時は どうしますか?

正解: 停車します   理由は:後ろから 子供が 駈けて来るかもしれません

質問2:運転中に  道路を 鶏が 横切ったら どうしますか?

回答: アクセルを踏みます  理由は :後ろから キューバ兵が 来ます

何で 此れが 冗談かと 言うと

黒人は  脅しは しますが 実際の 戦いは 極力避ける様で

戦争の下請けを キューバ兵に 頼むのです  だから アンゴラ国内に

キューバ兵が 居るのですが 手癖が 悪く 道路にいる鶏は 自由に取って良いと   思ってる様で 

戦後 直ぐの日本のように 都会でも 鶏を 飼う家庭も ありまして  大問題に成ったのです
1)35年位 前の話しだ  アフリカのアンゴラ と 言う 国に居た

此処は テレビ放送が 有ったのだが 内乱で 鉄塔が壊されて放送がなく

娯楽が無かった 勿論 通信手段は 市内の電話しかなかった

2)で 娯楽が無いので 食事の時に テーブル7ー8人用に 集まって

皆がそれぞれ 持ち話を するのだ

3)僕も 這入れと 言われて 「日本はああだ こうだ 」と言ってたら

そんな事は 聞いても仕方ない 日本に行けそうもない

もっと  楽しそうな 落語も前フリみたいな 小話しを しろと いう

4)知らないなら 此れをやれ それを何回かヤレバ 間の取り方とか 発音を直してやる

と 言われて 「中国人と 米」という 小話を 教わった 此れを ほぼ 毎日 やらされた

おおー少しポルトガル語が 上手く成った とか そこで 間を取って 皆の顔をみろ とか

言われて ダンダン仲間に入って 行った

5)中国人と 米 と 言う たわいない 話しは

5−1)肉もパンが最近 市場から無くなって 前の湾で捕れる 鯵のフライと 炊いた米しか

食べ物が 無くなった

5−2)エッツ 今日もまた 米か と 涙が出て来ちゃう   涙を見られないように 目尻を手で
 隠す

5−3)でも 鯵のフライと 米の ご飯しか 出て来ない 頭を抱えちゃう

5−4)涙を隠すために 目尻に 手をもってて うつむくと 目を 横に引っ張ることになる

5−5)毎日 目を横に 引っ張ってると 中国人に 成っちゃう

と 言って 眼鏡を外して 目を横に引っ張て 見せる  と言うだけの 冗談だが

5−6)俺たちには 中国人と 日本人と 韓国人の差が 分からん

お前が ヤレバ 受ける と 言うので この話し は 他所で ご飯を 食べる時に

何時も していた




僕は ブラジルとアフリカに 居たので 黒い人が 好きだ

相手にも通じるのだろう 犬と散歩の途中で 黒人の夫婦と 子供2に 会った

1)ケニアから 来た 家族で 双子の5才の女の子で 奥さんは 幼稚園の先生

旦那は 無職とのこと   犬を撫ぜて良いか? から 始まった会話が 職探しに成った

2)パソコン ビデオ編集 なんでも するから 仕事を くれないか

女房が 働いて  僕は 家で子守りだ と 来た

3)日本は 未だ 黒人 優先 枠の 就職はないだろうし 

彼の日本語は 新宿の歌舞伎町で客引き出来る程 上手く無いし

回答に困った でも ツテが有れば 直ぐ頼るのは アフリカなら 何となく わかる

4)でも 僕は72才で 定年で 世の中に 影響力無い と 言うと

ケニアでは 年寄りの 健康な人は 世の中を コントロールしてる と 言われた

日本は 健康な年寄りで 溢れてる
2匹の 犬と 暮らしている

勿論 女房の世話になってる(食事 洗濯 掃除)  出された物を食べてる

で それ以外は 犬に使われてる気がするのだが

犬のお蔭で 平和公園で 知らない人と 会話が出来るのだ 

あまり文句を 言ってはイケナイ

犬を2匹のお蔭で 朝1時間夕方1時間 一日2時間の散歩が出来るのだ

お腹の贅肉を 減らそう
平和公園に 観光客が 戻って来てる 

外国人は 少ないが ベトナムの若者で  広島近郊で働いて 居る 人達が 何組か出て来てる

で 小さなチワワが ベトナムの人には 珍しく 写るのだろう 人気なのだ 

大概 女の子は 怖がって 抱かないが 勇気を出した 男の子が 

僕の家の犬が 静かに男の子に抱かれると

男の子は「問題ない 問題ない 」と 言って 女の子に 抱かせてみる

で 終わって 別れるときに

「お爺さん ありがとう ございました」と 丁寧に 言ってくれる

何と無く ウレシく無い と言いたいが

感謝の気持ちは 理解できたし  

自分が72才と言う年は 年だ なのだ 公平な見方を 受け止めなければ
1)平和公園を犬と散歩してると ベトナムの2人連れが 「抱いても良いか?」とか 「恐い」とか

言ってくる。ベトナムの犬はこんなに可愛くも綺麗でもない 日本は良い国だと

2)日本も昔はそう野良犬が一杯居た 竿の先に 針金の輪っかを付けた オジさんが

野良犬退治で チャリで 追っかけたり 路地を地下足袋で歩いていた

3)子供の頃(小学校3年だと思うが)野良犬に 噛まれた事があり 狂犬病が危ないとの
噂が流れた 60年程前の事だろう

4)50−60年経つと 誰に抱かれても 文句を言わない無防備な犬を連れて 

良いですよ 吠えませんから と 観光客に抱いてもらって 日本は幸せな国なんだろうな

5)ギリシャじゃ 難民を焼き討ちするし ミャンバーでも難民の村は 村ごと水没してるし

イギリスじゃ難民を冷凍車に入れて運んで 凍死させるし 

半年程前に合ったロシア人が  日本に居ると安心します  とも 言ってたからね
1)30年ほどまえ 40才の頃 住友商事での昇進は もう無いと 思って

休暇を 目一杯とって 子供との旅行に当てた

2)丁度 アメリカに退役した 知り合いが いたので ワシントンに 向かった

子供と スミソニアン博物館で 遊んで 彼の家に泊まった

3)で 彼の家は 大きな マンションが20棟ぐらいで 凄く背の高い壁に囲まれているのだ

まるで 万里の長城の中に いるようだ

 中には 公園が3つ程あるのだが  問題は 

出い入り口が 高速のインターに近い 細い道 1本なのだ

無論24時間の 守衛が 居る

4)この守衛の居る門を 車を使わないで歩いて出ると 

路線バスの停留所が有るのだが(少し歩けば ショッピングモールも地下鉄も有る)が

通常此処を 歩いて出入りするのは お掃除の叔母ちゃんぐらいだ

5) 僕は 息子と2人で 世話になったいるので 車が無いから

お掃除の叔母ちゃんと同じ所を 歩いて出入りする

嫌ではないが 貧富の差が シッカリ見える社会なのだ
1)2匹の犬を連れて 散歩してたら 13才のチワワを連れた お婆ちゃんと 合った

「そうかい 2匹目かい 生後6ヶ月かい 可愛いね」 と 言われ

名前は? と 聞かれ 「死んだ お婆ちゃんの 名前を貰って ハナ子」と 言うと

2)そうだよね 一人に成ると 寂しいからね 犬でも良いから 話し相手が居た方がね

お体 気を 付けなさいよ と

3)老人の 男やもめ   の一人暮らしだ と  思われてしまった

1)片言だけど インドネシアに居たので 僕は少しはインドネシア語が 話せる

今日 スカーフを冠って もう半年 五日市に要る と言う 女の子と 

平和公園で 犬のお蔭で 話しが出来た

2)  恐くって 触れない と 言い乍ら 「日本は犬まで 綺麗」と日本語も上手だ

でも 韓国も 犬を食べると言うけど  インドネシアでも 食べますよ と 言う

3)大丈夫だよ このチワワは メキシコの裕福な家庭の 夕食用だったのだよ

だから 本当は 毛がないので この大きさでないと 冷蔵庫が無いので 一回で

全部たべきれない のだよ

4)食べきれない と 言う 日本語は 通じなかったが

彼女が言うには 日本人は すぐ 英語にしてくれるけど その英語が良く分からない

 貴方のは 英語は 分かり易い なぜ? と 聞かれる

僕は   元々 日本語が下手だし  教科書通りに話さないし ポルトガル語か楽だし

英語も 貴方達が インドネシアで 教わった オランダ人の英語に近いのだろう と

と言うと 変に 感心されて しまった


1)海兵さんの話しを 半年ぶりで合った USAから県庁に来てる 美人と

高校の先生とに 話した

2)するとあの人達の世界は あの人達のものよ と 会話に入って来ない

そうか black lives matter(黒人の命が大事)でアメリカで暴動騒ぎに成ってるのは当然なのだ

兵隊さんに 成る階級と 大学へ行く 階級が 違うのだと 気がついた

3)30年程まえ  gated sociaty(塀に囲まれた社会)を ワシントンで 見た時に 驚いたが

アメリカでは お金で 階級が 別れているのだ USAに行かなく成って 20年もすると

忘れてしまう

4)今 幸せな 日本で 安心して 生きてるので 広島に来る外人が

こんなに 安心できる 世の中は無いと 言ってるのが お世辞しか聞こえてないのだ


チョット 問題が 大きすぎて 1枚に書き切れてない


1)岩国の海兵さんは 群れて平和公園を 歩いているので

僕が 5−6人の内の一人に話しかけても

ブロークンな英語を 外国人に分かるような 早さと単語に 変えようとしない

2)でも 一人だと違う  

タマタマ小柄な でも筋骨たくましい男の子が 聞けば 岩国の海兵というtが

日本人の女の子と知り合いになるには   どんな バーが良いのか 教えてくれ と 

犬を連れた 僕に 聞いて来た(これを 日曜日に書いた)

3)女房にこの話しをして 僕は

「日本人は バーで ナンパしないよ」 と 回答したと 言うと

「貴方の 時代は そうだったのかも 知れないけど 今は吞む女性も増えているし

高級クラブの時代でなくて 個別勘定で 相手を探す 男女は 多いわよ」 と

「貴方は お酒を 吞まないから 知らないのよ」と 言われた 

そう言えば バーに20年は行ってない

4)日本も ネットで恋人 とか バーで恋人の時代に成ってるのだよね

若そうに自分で思ってても 72才は 72才だ
1)住友商事で ブラジル アフリカ インドネシア と 南半球のドサ周りをして

転職して JRの子会社で J−Phonという携帯を売って また転職して

学校の(大学)の教授とやらに成って 今は犬と散歩の定年だ

2)大学の先生に成って3年目の2006年から14年間 この blogに お世話に成ってる

良く bad gatewayと 表示がでるので 引越を考えて やってみたが

72才で 新blogで居候から 始めるのも この古屋を見限るのもしかねてる

3)で自分の人生と重ね合わせて見た

今更 ブラジルに 戻れるとも アフリカに 行けるとも 思えないし

終わった事は 終わった事で 人生に 予備は無いのではないか

4)幸い 僕の 勝手な 拙文を 読んで 書き込んで くれる方も

いるので この diarynoteの  blogが死んだときは その時に考えよう

自分の 頭に持って行けない 外部 知識に 頼るのが イケナイのだろう

昼過ぎから 犬と散歩していると  犬が勝手に話しかけてくれるので 

日本人とも外人さんとも よく話す事になる

日本に居る外人さんが 広島でも 行こうかと言う 人がチラホラ出て来た

昨日は 女性12人が 川辺で 誕生日会をしてた 国籍は USAと オーストラリアだった

今日は 5人の子持ちの アメリカ人が来てて 一日 平和公園で過してた

また若い海兵のの20才の 男の子が 日本の女の子と知り合いに成るのは どうしたら 良いのか

と 真面目に聞いて来た 岩国の飲み屋に いる オバさんの日本人には 辟易だと

日本の幼稚園で 英語の先生してる と いる英国のリバブールから来た青年もいた

だんだん 日本も変わって来る


謝るけど 責任は取らない

87才の 東大でた 官僚が 自動車で 事故とはいえ 2名轢き殺して 無罪を訴える

池袋なら 山手線ではないか 東京の都心だろう

恥を知れ と 広島の 田舎から 怒鳴りたい

もう充分 甘い汁を 吸って 世の中 生きて来たろう

潔く 引退も しないで 車に 乗ってるから と 思う
1)40年前 僕は住友商事の職員で ブラジルのポルトアレグレに居て

ブラジルの靴を アメリカに輸出していた

ニューヨークからの指示に従って 靴の生産工程を管理して 検品して 輸出する 仕事だ

日本人が やった方が  アメリカのユダヤ系の安売り靴屋に 律儀に輸出が出来るらしい

2)所が ポルトアレグレの港は ポルトと名前はついて居るが 内陸の湖で 

中世のの帆船くらいしか入港できない 

アメリカ迄行く 大型の船は  250km程南の ペロッタスへ トラックで運び

其処から 船に乗せる

3)船に積み込む際に ニューヨークから 

流行が終わる前に 売り切りたい から 高級品の女性用 皮のブーツだけは

飛行機便に変えろとか 細かい指示がくる 港の倉庫まで 取り返しに 行かねば成らない

4)この取り返しに 港迄往復600km程はしる

これが 気持ちのよい ユーカリの並木の一本道なのだ  

道路の両脇は 水路と成っている と 思ってたら

道路を造る 土を 両側から 掘って 集めて 道路を高くして 路肩が 壊れない様に

ユーカリを 植えてあるのだ 葉っぱは だらしないし 低い所にこんもりと生えないので

見通しは 良いし 車のライトも直ぐ分かる 只  片側1車線なので  追い越しは不便だ

5)そうだよな 日本なら  田中角栄さんが 新潟から 砂利はこんで 東京の道を 作って

くれたけど ブラジルのど田舎なら 周りの土を掘って 道路を盛り上げるしか無いよな

で 両側に水たまりがあるので

夏の夕方此処を 走ると ヤブ蚊の大群が フロントガラスに ぶつかる

ワイパーを まわして 何回も 水をかけないと 走れない しょっちゅう 止めて 水を 補給する

その際に 蚊に刺される
1)40年程 前の話しで 恐縮だが 僕は ブラジルの南部 ポルトアレグレに 居た

サンパウロの本社まで 車で1200−300km 2日の行程だ 本社に呼ばれると ウレシくて

1泊2日で 途中 フロリアノポリス かクリチーバ(栗-千葉と言って 日本人が多く 日本食屋もある) で 泊まって 出かけた

2)そこで もう日本食は いいや とフロリアのポリス に 泊まってみたら 何とも風光明媚で

食事は旨いしねーちゃんは綺麗だ で 驚いた 海の側に 幅広い砂浜で仕切られた

半分海水の綺麗で浅い  何とも安全な 誰も居ない 綺麗な 湖が広がってるのだ

3)此れは 皆さんに お知らせしないと どうせ ポルトアレグレに居る 日本人留学生の

仲間は 半年に一回は サンパウロの本社に ご挨拶に行くのだからと

三井三菱日商岩井帝人のそれぞれの 留学生に 吹聴した

4)フロリアノポリスまで 500kmだから そんなに遠くない で 皆で出かけた

すると ご家族と一緒に来てる 帝人の方が 海じゃないのですか 良いですね と

これなら 子供つれても 安心だ と いって 一月ほどして ご家族で来た

5)そこで 旦那さんが 溺れて 死ぬ と いう 事故が 起こった

だれもが あんな 砂浜の 遠浅 の 内海で 波も無いのに  どうやって 溺れるんだろう

と 思ったが 事故は 起こるものだ   

6)奥様と 男女の小さな お子様が 不憫で 成らなかった

もう40年も前の事で 会社も違うし 知り合ったのも

ポルトアレグレを 歩いて居た時 商店街を歩いて来る 日本人の家族に 声かけて

お互いに 紹介して 始まった 一応 身分は (会社の経費の)留学生と いうことで

時間も自由だし ポルトガル語が出来る様になれば  後は 役割は 果たせた事に

なるので 気ままだった

7)こんな事も 書いておかないと 40年前の事が 風に消えそうで

< 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索