1)デパートのイタリア展で買った と女房が 言う

食べてみると 懐かしい ブラジルで 食べた 脂肪の多いチリペッパーの入ったソーセジだ

記憶が 40−45年ぐらい前に戻る

2)サンパウロには 日本人街もあり 日本食屋も 多い でも

古い日本が残ると言えば 聞こえは良いが 

米軍にギブミーチョコレートで育った僕には 

田舎のお爺ちゃんの村が 大きく成ったような物であり 足が遠のいた

3)僕は 多少 ポルトガル語が出来たので イタリア料理を良く食べてたから

この味を 覚えていた

4)一人で 食べると 味気ないので 会社の女子を 誘うのだが

食事と エッチが くっ付いて居るのが 常識らしく 来てくれない

2人でおいでよ 3人でご飯食べようと 誘うと

そんな アホな 誘いは無い  女に気の無いなら 誘うなと 怒られる

5)仕方ない テーブルに座って 食べるのを諦めて カウンターで立って食事をしてた


1)父母が東京に出て来た昭和27年頃 

萩中の家の前は玉蜀黍の畑で 中に肥だめがあった

2)家の前には 用水路が流れて居たが  東京にそろそろ人が住みだして 

畑が団地になり  用水路が纏められて 幅広いどぶ川に成って来た 

団地が出来ると 団地の北の端に公園なるものが でき 紙芝居屋さんが 来た

3)紙芝居屋さんは 飴を売ってた

杏飴が5円で 此れを買うと 真ん前で 見させてくれる

でも 5円欲しいが ナカナカ 母親に 言えなかった ので

紙芝居は 遠くから見てるから 良く分からなかった

4) 靴下も 欲しかったけど

お袋に 格好悪いよ 裸足じゃないと と 

見栄をはって 裸足でズックだった

5)お袋は 酒屋の ご用聞き(その家の若主人)が 嫌いだった

「払って下さいよ」と言って 手を握ったり 触ったりする と 言って

お金がないのを 悔しがってのを 聞いてた

6)だから 余計に5円欲しいと 自分からは 言えない

お袋が ニコニコしてる時に 「洋ちゃん あげようか」と 5円くれるのが 楽しみだった
1)60−65年前の話し 小学校の3年の頃 家の池に 金魚を飼おうと 思った

ガラス鉢じゃ 可哀想と 思った そこで 西糀谷の 養魚場へ 行った

今も有るらしい googleで探したら出て来た

そこで そこのお嬢さんに 叱られた 

勿論 僕が 悪い

2)初夏の 3時頃 殆ど毎日 金魚を見に行った お金は無いので 買った事は一度もない

どぶ川を渡って 養魚場の金網の扉を 開けて 「見せて下さい」と 言って入った

ランチュウは 知っていたが そんな 難しそうな 高そうな 金魚は買えなかったし

縁日の金魚すくいのような 金魚しか 知らなかったのに 立派な ランチュウに驚いた

3)良く行くので お嬢さんが お餅焼いて上げると 行って 金網に 2つ置いてくれた

一つが僕ので もう一つが 一緒に行った 友達のだ と 成った 

友達が お餅の位置が悪いと 金網をずらしたら 僕のが 灰のなかに 落ちた

「お前 酷い」と 言って 友達のを 菜箸でつかんで 痰壷に投げた

それを 見て居た お嬢さんが 

「残りを 分ければ良いのに 、灰はふけるし 仕方の無い子だね」と

怒られた

自分が 悪いと 分かってたのに 謝れず 逃げる様に 家に帰った

4)まだ 時たま 思い出す 京浜蒲田の 東口を出て 線路脇から 商店街のような

細い路地が 終わって 田んぼが出てきそうな所の どぶ川の脇に 有った
新人のボーヤと 46才の女性 ケニアナイロビに居たと 言ってた 子供が小さく 結婚して間近か 

2人で 来て 1時間半居て 書類を持って帰った

ダメな物と 良い物を 分けて 本来の税金を決めてくれるとの事

国税の支払いは 仕方ないね 本来は5年さかのぼるが 3年にしたと

一人で 税理士使わなくても良いですよと 

この 奥田さんは 何方ですか 奥様を指定するときは 登録してからに して下さいね と
30年程前  お腹の膨らみ始めた 女房と 一緒に

父母と 築地のてん竹 で 食事した

肌寒く成った 頃で 10月か11月か忘れてたが   河豚鍋が旨くなった頃だ

すると 12月の初めに  築地の聖路加に 女房が入院し 息子が産まれた

聖路加に父母が孫をみにきて  親父が

「ふぐ食って すぐ 産まれた てん竹に感謝しなきゃ」 とハシャイデ た




今日も 奥田さんに 手伝ってもらって 書類整理だ で お昼ご飯の 時に 僕が

1)犬を飼う独身の女性が 増えてる らしいし 犬猫を売る店が増えたし

マンションも犬猫 ok が増えてる 

でも 一人暮らしの人は犬を飼っちゃ 犬が可哀想だ と 言うと

2)どうして他人の犬を心配するの

飼ってる人は 一生懸命に 帰宅後に 夜の街を散歩させてるのに 

悪く言っちゃ 可愛そうよ

家で 一人で住んでると 話し相手が 欲しいのよ 例え犬でも と

3) 奥田さんは「先生の話しを 聞いて 理解するのは 10年くらい かかりますよ」

話題は直ぐ変わるし 言葉は 単語だけだし ドウなってるんだろ と 最初思いましたよ

何を言い始めたんだろう  ドッかに 引っ掛ける穴でも 有るのかなと 会話し乍ら

心配しますよ 普通の人は と

4)女房も ネーそうでしょう

でも もう 治らないから  無理せずに  ソノママで行けば  と 

女房が ネー華子 ネー祝ちゃん と 犬の頭を撫でて  話しかけた

今日も奥田さんと女房と3人で話してた

1)アメリカの大統領の けんか腰の討論を聞いてて 楽しかった と 僕が言うと

女房が

あれを 楽しいと 言う だから 遣り過ぎて コロナに罹ったんでしょ と あまり好きで無さそう

2)すると 脇に居た 奥田さんが

 「先生は トランプみたいでしたよ けんか腰で物を言ってると 思いました」

「良く定年まで 持ちましたよ 」と 奥田さんが 言う

最初大学に 来たとき 「あれ 持たんよ 半年も  本当の事を 直ぐ言う 」と 学生に 噂されたと

それが大学を2つも掛け持ちして よく 途中で 首に成らなかった

定年迄 もった  のが 不思議ですよ と

3)それを聞いてた 女房が 「そうよね 」と言いだした

 出会ったときは 出来たばかりの小さな合弁会社で8人しか 居なかった 

その中で 僕が最年少で 女性は お茶汲みの 後に僕の女房になる職員が1名だった

残り6人は JR 三井物産 三菱商事 住友商事の50−60才の 叔父捨て山のような会社だった

4)そこへ 当時は当たり前だった 「生保の叔母ちゃんが 勧誘に来た」 

すると ドアを 開けて 入ってくるない 「勝手に入るんじゃない」と 怒鳴った 最若手が居た

それが 僕だったと 最初は まさか 結婚するとは その時は思わなかった

この人 常識とか 他人を思いやるとか 無いのかな と 思ったと

まさか その頃 IDカードが無いと ドアが 開かないなんて 思っても居なかったわ と

30年以上前の話しだもの と
1)税務署が 来週の月曜日に 来ると 言うので 書類(確定申告)を 整えてる

自分じゃ出来ないので 奥田さんを呼んだ 実は一人で困ってた

で来てもらったら また お客が来た 

2)僕に 野菜運びの アルバイトを紹介した人だ 僕はコロナの前に止めたが

77才で まだ 野菜運びをしてる でも 此れから株屋をするんだと 意気軒昂だ

3)で僕には 外国人労働者が入って 来なく成ったので

60才過ぎ出来れば 身体障害者の 人を集めて欲しいと きた

単純作業の市場は 牡蠣の殻打ちから 始まって 幾つでもあると

浅井さん 老人仲間の集まりに 行って 誘って下さいよと

4)今の 年寄りは オレオレ詐欺に 引っかかる程 お金持ちだよ

贅沢で 御託を並べる年寄りは 幾らでも 居るけど

外人の出稼ぎの代わりに 働く ジジババは いま 少ないよ

日本は 老人天国かも と 話しは 終わった
夕食に グラタンが出た (グラダンがお焦げ料理と言うのは 50才を超えていた)

1)思い出が 初めてグラダンを食べた 大森の不二家でレストランに戻った 

10才くらいで  母と2人で食べた

駅前で母の帰りを待って ダンダン暗く成って 寂しかった

熱々で 美味しかった

2)昔 明治の大森海岸は 今の 江ノ島とか 大磯とか 熱海 下田とか ダンダン 西へ延びて行く 東京の避暑地だった 

其処は 別宅があり 銀座の旦那が お妾さんと女中を 置いていた と本に書いてあった

此れが 60年前の 銀座と 大森にも 未だ有った  

3)僕は慶応を落ちた程度だから 普通の中学の勉強は楽だった

大森三中で 隣に座った女の子の答案が 書けて無いのを 見た僕は

 僕の答案を ザーット速く書いて 名前を書かずに 隣の女の子に渡して 

ソッチの答案を よこせ とした 女の子は喜んだ

それが 何回か続いた

4)でも その子には もう 彼氏が居た 銀座の旦那の お妾さんの 一人息子だった

で 学校の帰りに「おい 顔貸せ。おれのスケに手出したろ」と 殴られた

隣で 後で 立教に行く 男の子が ケケケと 笑ってた 

「おい 眼鏡捕れ 」と言って彼は顔を殴った

5)やり返す程 つよく無いし 学校の先生に 言いつけても また 酷く やられるだけだし

鼻血出し乍ら「ハンカチってこうゆう時に 役に立つんだ」と 家に帰った

6)翌日 女の子が 「ヤラレタンだって ゴメンね 私の事で」と 声かけてくれた

7)10年程たって 大学卒業したころ

風の便りで彼は 日大三高に 入り 本物のヤクザと 喧嘩して 死んだと 聞いた


1)60年ほど前 駄菓子屋で1円で 紙テープを 売ってた と 思う

何に使う? と叔母ちゃんに聞くと 

駄菓子屋の 叔母ちゃんは 米軍さんの払い下げに 入っとるんよ と

油塗ってあるし つよいから マー紐の代わりかな? と 言い乍ら 何だろね って 一個くれた

2)まさか この 紙テープを 大学卒業して 住友商事に入って 新入社員で お目にかかると

思わなかった しかも ニューヨークへの見積もり提出用だ

この紙テープを作る鑽孔機を見ても 送信機も 受信機も 深い緑色のごっつい機械で

鉄板に アメリカ陸軍って 書いてある  オイオイ 戦後25年だぞと 思っても

現場では 「やっぱりー30年は 遅れてる」と 思った

3)そう言えば60年前を 思い出した 10才の小学校3年の とき 親父に 銀座のスエヒロで

ハンバーグ ステーキ なるものを 初めて 食べさせて貰った 時だ

アメリカは 毎日 此れ 食べてる  日本の僕は 小学校3年で 初めて食べて感激した

4)感激はしたが ヤッパリ此れじゃ 負ける筈だよな と 思った

外人さんは 偉いんだ と 認めたく無いが 不二家のミルキーぐらいじゃ 仕方ないと

思った

1)25年程前に 東京から家族を呼び寄せて 広島に移り住みました

もう 広大は 鏡山(東広島)に引越して 跡地は 囲いがしてあって 入れませんでした

2)ダンダン付近の住民が入れるようになり

9年程前犬を飼った時は 門があいて公園になり

 散歩にでかけられるようになりました。それが9年程前です

3)そこで家のチワワ3kgを散歩させてると

明らかに 僕のチワワが小型犬でした

4)でも 昨日 久々に 行って見ると 大型犬が 少ないのです

 大半が 小振りなのです キット庭付きの家が少なく成って

マンションで 犬がOKの所が 多く成って 皆 エレベーターで 公園へ来てるんだ

と 思いました

5)チワワは 昔 メキシコで食用犬だった らしく

 調理し易いように毛が無いのが 本来の姿で

一家庭が 一回の夕食で食べれる 大きさの肉だから

昔は 冷蔵庫が無いから 一回で 食べ切らないと お腹を壊すから

メキシコ人の知恵で 作られたとか

6)昔は 犬を食べてたから 器の 中は 大じゃ 無くて 犬を 4人で分けたとか

今 韓国を 犬を食べるから 悪い様に 言ってますが

仕方が無いのじゃないかと



家から25km 程の 峠に 犬と遊びに行った 朝10時から12時迄 犬2匹つれて 

夫婦で出かけた 犬を結わく紐を 忘れたが 何とかなった

他の犬と 争わない様に 飼主の側を 歩く様に と 言われたが

9才のは 躾が出来てるのか 問題なく6ヶ月のは 小学3年の坊やに 抱かれっぱなしで

殆ど 歩かなかった

外人さんの旦那さんと 日本人のシッカリ者の奥さんと 可愛いハーフの子が  ハチと 言う

犬を連れて来てた  旦那は米軍を45才で リタイア 此れから日本で 英語塾の先生かな?

凄いな 英語の取り込み方も 世の中 変えてるのは 女の力だと 思った

そう言えば この 犬の遊園地?も 女性が2名で やっていた

朝の10時に 近所で 住宅火災が あり 消防車と 警察の車で ごった返して 居たが

火は 近所の人の助けで 消防車のまえに 消えて居たと の事

チョット 動くと知らない事ばかりだ
1)50年前は タイピストと 言う 職業が有った

「鼻先で 笑っただけの タイピスト」 と 言う 川柳が 有って

カッコ良い仕事だった 

2)でも僕の仕事は 原稿が 出来上がるのが 夕方で 

夜中迄に仕上げ なければなりません

しかも  打つのは  日本語です nihon go desu と 打つので

格好のよい 英文の上手なタイピストさんに 頼めるような  仕事ではないのです

3)それでも  会社が 午後5時から8時迄 パートタイムの 

タイピストの女性を 雇ってくれました

英語のタイプは スペルが気になるけど これは 日本語だから 楽だ と 言って

彼女達の良いアルバイトに成ってました

4)夕方になると 多少 世間擦れして 煙草を咥える 方も 居ましたが

外資は時間通りに終わるから とか 言って 会社の女子事務員さんとは 違った

大人の魅力のある そして 当時は 丁度 沖縄が返還される頃だったので

沖縄から 東京に出稼ぎにきた 女性が多く

同じ日本人でも 米軍の支配する地域で 育った人は 「たくましい」と 思いました

5)其処で 自分の指の動くのを 速くするより

僕の汚い字を 読んで タイプしてくれる アルバイトの女性と 懇意に成った方がと

「ねー 帰りに ラーメンぐらい ご馳走するから」と  夜9時頃から デートしてました

だから戦争に負けたんだ

1)50年前でも 戦後25年だ 

当時に 住友商事に入って アメリカに 見積もりを 作る 仕事の新入社員だった

で 一番驚いたのが テレックスtelexと言う 機械と仕組みだ

2)このテレックスとは

今のメールや ラインと変わりないが 

それにタイプライターとコンピューターが一体になって

3) 紙テープによる 入力(東京で入力すると ) ニューヨークで 同じものを

 同時に瞬間的に 出力してくれる装置だった

4)この装置が何と米軍の払い下げなのだ 

戦後25年経って 未だに戦争時にアメリカが

使っていた機器を使うなんて 

此れじゃ 戦争に負けるのは 当たり前だ と25年経って また 感じた

5)でも便利なのだ しかし タイプライターが打てないと 使い用がない

しかも 英語で 書かなきゃ と 思ってたら 何と ローマ字で 入力して 良いのだ

 値段が高い が  NEDANN GA TAKAI と成るだけで 日本語で良いのだ

でも タイプライターが 打てなきゃ手も足もでない

6)仕方ない 女子社員の先輩に お願いして お局さま と 呼んでたが

タイプライターの練習から 始めた


50年 前の話しで 申し訳ない 

1)サーフィンに ワックスを 塗る事を 覚えたら

楽しく成って 友人を誘って 週末 伊豆の多々度の浜に通った

2)綺麗な浜なので 水着の撮影会が 有った  浜からは 人垣で見えない

で サーフボードを持ってる強みだ 海に出てよ 当然 眼鏡もかけて  見物してた

3)所が大波が来て ひっくり返り 眼鏡が流れた 

仕方が無い ボーッとした 目で 東京迄 運転して 居たら

4)浅井 危ない と 隣の友人から  声がかかる と あれは フロントグラスの蠅だろ

と 答えると  オートバイだよ 対向車線の と言われ  気がつくのに 時間がかかった

5)友達は ありがたい

仕様がないな

 「おれペーパードライバーで 此れが実際の初運転だけど 

見えないお前よりは 良いよな」と 運転を代わってもらった。


1)犬と散歩してたら チワワの白黒が来た 

今日は 奥さんじゃなくて 若い旦那さんが連れてる

2)犬 同士が 挨拶したら 若い旦那が 

「貴方でしたか 家のビビリで 吠えてばっかり だったのに

大丈夫だよ と 言って 待っててくれたの、 奥さんが そう言ってました」 と

3)自分の嫁さんを 「おくさん」と呼ぶなんて 

微笑ましい 若夫婦(30前後)だな と 思いつつ 

共働きだろうな 午前中の犬の散歩を 夫婦で交代にするなんて と 思った

4)で50年前のサーフィンの 話しだ

4−1)
大学の寮が 伊豆の下田にあった 4年生の時に 行ってみて 

空いてるし 飯は安いし旨いし ただ凄く 遠かった

何と 空いてるので 卒業しても 大学に申請すれば 泊まれるとの 事

ならば 伊豆で サーフィンだと 宿泊予約をした

4−2)多々度の 浜が 良いと言うのを聞いて 出かけた

で 浜で 新品の サーフボードで やってみるのだが  

何とも 出来ない 乗れない   何回か 失敗してると

4−3)大型の新品の ボード見たさに 寄って来た 女の子が 「乗せて」ときた

バランスの 取り方が 上手で 直ぐ乗って サーフィンしてる

で 返して くれるときに 「ワックス塗らなくて よく やれるわね」

「新品で すべすべで 気持ちよいけど 最初は 足でコントロールできるように

多少 ワックス塗らないと 難しいわよ」と

4−4)で 慌てて 浜にある小さな 売店に 行き  「ワックス? サーフィンに塗るの? 有る?」

と聞くと

下田の 何とかスポーツに 行かないと 無いよ 綺麗に塗ってもらうと 高いよ と

そう言っても もう学生でないし サラリーマンだし 今日 海で板に乗れないと

また 来週の日曜日まで 来れないじゃないか と 困ってたら

4−5) 蝋燭(ロウソク)ならあるから 代わりに 塗っとけば と 燃えさしを 一本くれた

100円ぐらい置いて 有り難うと 言って  足を 置く所に 塗ってみると

何と 立てるでは ないか 今迄 すべって転んで 波乗りに 成らなかったのに

此れで 土日に 多々度の浜まで 来た甲斐が 有ると

夜草臥れて 東京に帰った

4−6) ワックスって 英語で言うから ビビるだけで

そうだよな 鑞(ろう)だよな と 

帰り道で つくづく      日本語で考える  クセ付けなきゃと    思った
1)50年前 住友商事に入社させて頂き  大坂の研修が終わり

東京に配属が 7月だったので  東京の実家から通える事に成って

7月の給与から父母に 銀座の千疋屋で マスカットを買って家に戻った

2) で 8月にボーナスが出た 何とも良い会社に入ったと 思った

で最初のボーナスに8月の給与を足して で サーフィンを買った

三越で7万円だった と思う
1)町内会から お煎餅を 2箱頂いた 両方とも 噛めば直ぐ 崩れる タイプだ

お気使い 有り難いが 昔の懐かしい 大判の煎餅は

草加せんべい を含めて 固いものが 多かった 気がする

今の 入れ歯の状況を考えれば 正しいのだろう

2)50年前

プログラムをいじって パソコンで 書類をタイプして 打ち出す事が 少し早く成ったので

大口の 計算を 僕がする事に 成った 

当時 コンピューターは 偉くって 課長と 部長の間の 窓際の良い席に 置いてあった

そこで 入力して プリントアウト するのが 僕の 役目となった

でも 当時の コンピューターは 反応が 遅く 入力してから 打ち出す迄に

ウンウン言って 暫くしてから パタパタと 出力してた  時間がかかるのである

有能な 担当者が タイガー計算機の手回しの方が 早かった

でも タイプすると 格好が良かったし 時代の流れは コンピューターだった


3)で  ある日 課長が そっと 僕を呼んだ   

「浅井君 浅井君 

君ね 部長が在籍の 時は  鼻歌を 歌わずに 入力してくれないかな 」と




1)世の中4連休で ガラガラの筈の 駐車場が 

京都滋賀博多 等々のナンバーで 埋まってる

良かった 少し 観光客が戻って来た

2)犬の散歩で 何時も見かける ご夫婦が 居る

大型の白い老犬を 2人で 散歩させて いる

お爺さんが 犬をもち お婆さんが 彼方此方 と 指図している

3)側に 他の犬が 来ない様に 来ない様に 気を配ってる

僕のチワワは 好奇心 旺盛で 大型犬なら 好きなので 寄って行くが

お婆さんが「来ないで 来ないで」と ノタマウ

4)大型犬は もう かなりな お年なのだろう 腰が曲がりかけて 歩みもおそい

で 他の犬と すれ違わない様に 散歩してる  昔 他の犬でも 噛んで 問題でもおこしたのかな?と 思ってしまう

でも あの老犬なら 子犬でも 逃げれると 思うが 

何となく犬が可哀想かと 思ってしまう

5)僕の家の犬は 平気なのだが 犬同士の ご挨拶が出来ない 犬が多い

他の犬に接する事なく 人間の家庭に 入れられては 犬も文化ショックが大きいだろう

6)少しは 犬に戻して あげた方が と 思うが

x 吠えるんです x 噛むかもしれない と 心配する方が 多い

風が気持ちよい 連休が始まって 平和公園が 混んで来た ホテルに人も居る

50年前の 話しで 強縮ですが 

1)新入社員に東大なんか貰って 要らんよ アレ と 言い乍ら

使わないと 課長としての 力量が 試されると 思ってか

課長が 声をかけてくれて

「コンピューターは 分かるかね?」 と

「一応 フォートラン で 30秒くらいの プログラムを 一回 組ませてもらい 大型を 一回だけ

動かさせてもらいました、」と 答えると  

「なんじゃ フォートランとは 英語使って 威張るな 」と 怒られましたが

「分かるんだな?」と 念をおされ 「多分 大丈夫かと」と 答えて 

事務所で使っている ーイタリア製の オリベッティと言う会社の 電動式タイプライターの 

プログラム少し速くする様に 改修しろと 言う 仕事を 与えて呉れました

納入業者は 日本事務機(株)だから  納入業者に プログラムの作り方を聞けと 

言うのです

2) で日本事務機の方と 話すと 英語の 小さな プリントを呉れて

あれや此れや 教わりました

1ヶ月程 罹りましたが 何とか 少し早く計算する様になりました

 遅い原因は 64ステップで 計算を終了しないと 遅い と 言う事が わかり

プログラムの 組み替えを やってみたのです

3)この オリベッティの タイプライターつき 電算機は 150万位しました

僕の給与は 月3万円を 超えて威張ってた と 思います

でもキャノンの電卓が23万円して ナカナカ 買ってもらえず

皆さんの残業は タイガーの手回し 計算機で 残業してました

4)神田のYMCA の裏で 住友商事の方は 殆ど 手回し計算機を 使って

アメリカ向けの 輸出価格を 計算されてました


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