御見送り

2008年12月30日 日常
 ワシントンへ向かうお隣の先生を飛行場まで送った。朝は6時に起きて6時30分に先生を拾い、40分に女の子を拾い,飛行場には7時25分に付いた。

 廃車にしようと思っている三菱の14年ものディアマンテがよく走る,時速140kmで走ると気持ちがいい。

 飛行場は興奮と寂しさが入り交じった場所だと思う。人間,会えない時間が考えるのだろう。別れと出会いが有って色々始まるのだろうと感じさせる。

 飛行場の帰りに朝8時にマックドナルトに朝ご飯を食べに入った。家庭の主婦のアルバイトが沢山いるし、お客も家族ずれが多く込んでいる。世の中色々変わる物だと思う。

 韓国ではマクドナルに出前が有ってもっと繁盛しているとのこと、世界の文化になりつつ有るのだろう。

家族で京都

2008年12月29日 日常
 広島7時の新幹線で9時の京都、地下鉄バスの1日券を手に入れて33間堂から回り始めた。

 7条から京阪で3条へ、3条から地下鉄で蹴上(けあげ)へ南禅寺まで歩き、疏水の流れとローマ橋をみて、南禅寺から知恩院へはタクシーで

 知恩院からタクシーで3条、富小路で昼ごはん、湯葉の寿司は初めてだった。鯖寿司が品が良い。

 地下鉄で北大路へ、立命館の小学校に驚き、漬物を買って、北野天満宮までバスに乗り、澤やの粟餅を食べて、大徳寺までバスで戻り、和久伝でお節(おせち)を買って、出町柳までバスで行って、大福餅を食べる。

 バスで同志社の前を通って地下鉄で4条烏丸に戻りガスパールでプリンを買って錦小路で靴下を買って、祇園まで大混雑のなかを歩く

 帰りの時間7時に近いので、慌ててタクシーで京都駅に戻る。旅行というのは家族が1日一緒に居る時間と見世物とそれにかかる代金なのだろう。

明日は京都だ

2008年12月28日 日常
 年末に家族4人で京都に行く事に成ってるらしい、なぜか3回目だろうと思う、1泊ぐらいしたいのだが、猫が家で待っているので日帰りをしている。

 清水(きよみず)のお寺にに驚いたり、金閣寺で雪が降ってきたり、宇治の平等院の水に映る日の光がまぶしかったり、

 今年は何があるのだろう こんなお遊びに子供が何時まで付き合って呉れるのかと心配しながら、

 「明日は早いから、もう寝ろよ。」と声をかけてねた。

高校生

2008年12月27日 日常
 AO入試の高校生に「遊んできちゃダメ、シッカリ受験生みたいに勉強しておいで。」と言う為の講義をする。

 そのために26日に講義をした、しながら思った。受験でなくAO入試で大学に入ろうとする学生なのだ

 その学生に受験生なみに緊張感を持てと言うのは矛盾している。

 むしろ早めに大学の普通の講義を聴かせても良いのではないかと思った。

 一芸に秀でているなら、社会人に近いのだから、一般常識でなく、狭い分野の知識の開拓の仕方を教えた方がと思った。

 「のほほん」と大学に来ているだけですよ。と言う指摘もあるが、学生は「のほほん」を装っているだけかもしれない。

 「のほほん」顔の下には、どこまでの最小投資で最大の成果が挙げられるかを考えている「したたか」な顔が有るのかもしれないと思った。

前立腺?

2008年12月26日 日常
 この1週間ほど下腹部の左側が痛く、前立腺だ俺も60歳だ年だな、と思っていた。しかし23日のラクビーは走りたい。

 でもラクビーの最中に「おちんちんが痛い」で倒れて、救急車で運ばれては仲間に会わせる顔ががない。

 ラクビーが明日に迫る22日の朝、意を決して医者に行った。「なんともないですよ、尿も血液も、でも念のため精密検査に出しましょう。」と言う、でも痛いのである。強い痛みではないが、元気が出ない。

 20日も21日もジムに通った、熱があれば走れない。だから細菌感染による発熱はなさそうだ、

 22日に医者が止めないので、少し安心して、でも「恐る恐る」23日にラクビーをした酒も呑んだ。

 25日の昨日、医者に又行ったら、尿も血液も問題なさそうです、心臓がでかいし血圧が高いと別のことを言われた、おちんちんが痛いと言うのに 心臓がでかいから薬を出すと言われても、と思って学校に向った

 学校でこの話をしていたら「浅井さん。毎日、自転車で片道6km通勤でしょ、アームストロングとは言わないが自転車のサドルで睾丸をぶつけるでしょ。これが原因では?」と医者ではないお隣の先生に言われた。

 医者より役に立つのではと思った

ラクビー 20分

2008年12月25日 日常
 23日に京都まで出かけて、お年寄りのラクビーの試合は20分だった。この20分の為に、朝は6時に起き7時の新幹線に乗り、帰りは20時だ。

 新幹線代と12時間ぐらいをかけて20分の為にと思うか、走れるだけ幸せと思うかである。

 それに日頃ジムに行き走ってないと走れない、この前の試合は9月23日の菅平だったから3か月ぶりの試合だ。

 僕の通うジムは一回600円だ、たしかジムか100回来ましたのでと夏にサンダルをもらった、それから50回は通っている。

 一回にかける時間は2時間としても、かなりの時間だ、一瞬を生きるために何時間もかけていることになる。

 人生って男と女の出会いとかそんなものかな?と思う

宇治のグランド

2008年12月24日 日常
 朝の新幹線で京都まで行き奈良線に乗り換えて宇治まで行く。10時にはグランドに着きたい。

 奈良線に乗ると東京からの後輩が「浅井さん」と声をかけてくる。ホッとした間に合う。

 40年前に此処で試合をしたはずだが記憶がよみがえらない。どの道を歩くとグランドに着くか分からない。

 暖かな日差しの中でグランドで着替えて、少しぬかるんだ芝の感触を確かめる。良かったお腹が痛く昨日から走れるかどうか心配していたので又少しホッとした。

 僕たちお爺ちゃんの試合は10時、若手は11時、大学生の1軍は13時 2軍は15時とそれから3つ試合を見た。僕にもあの若い時代が有ったのだと思った。

 京都は底冷えすると言うよりも、グランドで10時から4時半までたってみてると流石に寒い。厚着をして行って良かった。と少しホッとした。

中間試験

2008年12月23日 日常
 答案用紙を回収し終わった。300枚近くある。ところが名前がない答案が1枚見つかった。

 僕は1枚1枚手渡しで貰っている筈なので、名前を書かない答案はその場で付き返し書かせる。

 残念だが50人に一人とは言わないが百人に一人ぐらいは名前を書かない学生がいる。

 それでも僕が答案を学生番号順に並べて変えている間に、「こそっと」答案を置いて帰る学生がいたのだ。

 先生の気がつかない間に、何か言われない間に答案を出して帰ろうとおもうのだろう。

 長い間の学校生活を12年以上しているのに「目立たない」が習慣になって居るのだろう。

 目立たない子は就職で選らばれない子に成るのではと心配する。

2008年12月22日 日常
 寒くはなかったが雨が降って来た。朝、図書館に出かけようと自転車に乗ると雨が降って来た。年寄りは雨に弱い無理をしないで引き返した。

 家に戻り、考えた、お正月に読む本を仕入れておかないとと思って自動車に乗り換えて図書館にもう一度、向かった。

 図書館に着くと、僕は欲張りなのでどの本も読みたいが、自分の目と頭の限界がある。限界を超えない範囲の本は読んでもつまらない。

 体も頭も衰えるが欲望はナカナカ衰えないのだろう。それに年寄りになって気が短くなって来ている。

 あれこれ探して本を6冊ほど抱えた、往生際が悪く、もう2〜3冊と思うのだが、これ以上は自分の腕力で持てないと20冊借りる予定をあきらめた。
あきらめた。
 

学校の先生ですか

2008年12月21日 日常
 学生を連れて食事にでる。込み入った、ほとんどが男女の問題だが、話になると大勢で聞く訳にも行かず、僕の研究室で話すわけにも行かない。

 山の上にピザ屋がある。僕の卒業生が以前ここでウエイターをしていた。彼は今、船のコックになっている。そこで2人で話を聞く。

 お店の人の目が、「また来た、今度は違う子をつれて」と言っている。そうだろうな、土日でも何でもない日の昼間に女の子と食事をするオジンは、只のヒヒ爺だろうな?と思われてもしかたない。

 まして、可愛い子が食べながら時折ハンカチを目に当てる。会計の時に「学校の先生ですか?」と聞かれた。

 研究室に帰ってこの話をしたら男子が「違いますよ、腹違いの娘が沢山いる親父と間違えられたのですよ。」と言われた

 そうだな、どの学生の父兄も僕より若い。そんなことより23日は試合だ。今週はまだ走ってない。焦りながら、左ひざが痛くないか?とか体と相談している。下腹も痛かった、腹筋をやった訳ではないが。

餃子の王将

2008年12月20日 日常
 水曜日に餃子の王将で行った呑み会の写真を貰った。僕の顔が真っ赤に写っている。僕はこんなに赤くなるのかと不思議だった。

 「先生、楽しそうだった。」と皆が言う。確かに気楽だし可愛い子がお酌をしてくれるし、料理が餃子の王将と言うだけで問題はない。

 学生の一人で中国人の朝鮮族の女の子が「辛くない蝦のチリソース、とか青椒肉糸とか、中国に無いです。」と言いながら餃子だけは「美味しい。」と食べていた

 中華料理と思えば、「此れは違う」と言うかもしれないが、日本料理でよいではないかカレーライスもライスカレーもヒョットしたら日本が一番美味しいのかもしれない。

 商社の時代にアメリカのバイヤーに日本のステーキを接待したときも、日本の肉が一番美味しいと言っていたことを思い出した。


寝坊その2

2008年12月19日 日常
 また起きれなかった、目が覚めたら9時を回っていた。今日は家族を起こしている余裕がない。

 10時半から講義である。息子と娘は冬休みに入っているので、家族を起こす必要もない。

 慌てて着替えて、出かけた。朝の日が眩しいが、気温はさほど低くない。自転車をこぎ出したらお腹がすいた。

 途中で牛丼のすき屋によって豚丼を食べてしまった。朝から高カロリーだなっと心配しながら急いでかきこむ。

 そうだ、お昼に食事を約束していた。年末に色々忘れる事が多い。年かなと言い訳しつつ、学校に向かった。

バスの帰り道

2008年12月18日 日常
 先生3人と学生9人全部12人で忘年会をした。5時に学校をでて川を渡って餃子の王将まで20分ほど歩く。

 自転車で来た人、歩いてくるのに道を間違えて迷子になった人、バスで来る方が近いのに電車に乗った人、夜遅くまで授業を受けていた人等々でようやく人数が揃ったのが7時ごろだ

 ユックリ学生と話しながら「僕にもこんな時代が有ったのだ。」と思いだしている。酒の相手を学生にしてもらいながら昔を思い出すなんて年を取ったのだろう。

 遅れて来た若い先生に「先生、こっちこっち」と可愛い子が座席を空ける。僕も若ければアレぐらいモテるだろうな?と勝手に思う。

 9時半を回り、帰りの道で可愛い子と一緒にバスにのった、ガラガラの人の乗ってないバスで乗客は僕たち5人だった。

 一番後ろの席に座った。両側に女の子が2人ずつ、真ん中にに僕で両手に2輪の花であった。少しうれしい。

寝坊

2008年12月17日 日常
 年寄りは寝坊しないと安心していたが、朝起きたら8時20分だ昨日は11時には床に入っていたのに。

 特に体操も行ってないし、授業もキツかった訳ではない。キット若返ったのかと勝手に妄想している

 イケナイ家族を起こす役割は僕の大事な仕事だ。遅刻の息子を起こし、女房に朝飯を作ってもらう。もう9時に成っている。

 電話が鳴る、今日は学校が終業式で大掃除とのこと。またサボってしまった。

映画がない。

2008年12月16日 日常
 僕の講義は1時からと2時40分からだ。でも12時半には学生があつまりだすので、12時半にはサービス(おまけ)として映画を流す。

 学校であるので,それなりの映画だが、これを見たくて来る学生もいる。「今日は手伝ってくれる奥田君が多忙なので、僕一人です。映画はありません。」とした。

 凄い不評である。帰る学生が増えた。僕一人の力ではこの大きなホールで大人数の講義が出来ない。

 鍵の束を事務室に取りに行き、鍵を4つ程あけ、照明をつけ、緞帳を上げ、DVDの再生機とプロジェクターを繋げ、音量と画質を調整し、学生にプリントをくばり、食べながら歩いている学生に注意し、とトテモ出来ない。

 奥田君に感謝しなきゃと学生の皆が思ったのか彼の似顔絵が提出させた用紙に描き込んであった。

陳述書

2008年12月15日 日常
 土日をかけて、隣のマンション20階建から、僕たちのマンション14階建があまりに見えすぎてプライバシーの侵害だという裁判所への文章を作っていた。

 書いているうちに、日本は狭い国土なのだから、お互いが覗けるようにして集団監視のなかで生きてきたのではと思いだした。

 他人に顔を覗かれるから心と顔を別にしていたのではないかと古い歌をおもいだした。

 物や思うと人の問うまで の歌である。忍ぶ恋をしている訳ではないが日常生活でも隠すものは隠し、相手に悟られないようにして日本人は生きていたのかもしれない。

2008年12月14日 日常
 猫がお起こしに来る。朝だ。布団を出たくないほど寒い訳ではない。日曜日だから朝寝がしたい。でも起こしに来る。

 死んだ猫のマリアは僕の頭をひっかいて起こした。痛くはないが頭に何か触るのでそれにシツコイので仕方なく「うるさいな」と言って起きて餌をやった。

 去年の暮の30日に猫の女房のマリアが居なくなった。残された猫の夫のマーフィーは「女房」が居ないと寂しげに寝ている。

 あまりよく寝るから名前が「ねこ」に成ったと思わせるほど寝ている。それでも朝は起こしにくる。

 起こし方は枕もとでゴロゴロ言うだけだ、あとは僕の顔をみてる。あまり僕が起きないと小さくニャとなく、でも殆どなかない。

 猫がゴロゴロ言うときは朝なのだろう起きて餌をやる。

アンデルセン

2008年12月13日 日常
 パン屋さんの名前である。このアンデルセンの本店が広島にある。朝は7時からコーヒーが飲めるし夜は宴会もできる結婚式をする人もいる。

 味は良い。6階建ての古い建物であるがパン屋からおチョコレート、菓子、惣菜、レストランと食べ物は何でもある。

 此処で学校の忘年会があった。知っている先生の顔が何人か見えない、テーブルにも空席がチラホラある。

 宴会のように価格の高いものを事前に欠席したり当日「まー良いか」とできるほど日本が豊かになったというか

 美味しいものを食べて楽しいオシャベリで時間を過ごすより、人と会うのが苦痛とか、ソットしておいて欲しいと言う「要求」の方が価値の高いものに成ったのかもしれない。
 娘が 「来なくても良いよ。」と言うので
「今年は行かない。」と 言うと息子が
 「あと2年で妹が卒業なのだから
僕は行かないが親は行くべき」と説得された

 で7時から9時まで学芸会10時まで体育館で
父兄とお喋り、11時からマクドナルでその続きと
草臥れてしまった。

 従い翌朝に日記を書く事をわすれて 間違って
次を ブログに自動配信してしまった。
 
謹賀新年。

 お祝いしないとバチが当たりますが
この年だと訃報も多く,世代の交代を感じます

加えて昨年は僕に教授の仕事を譲って頂いた
長谷川先生がお亡くなりになりました。

学校の方は調子にのりすぎて、
私語している学生を追い出したところ

たまたま中国人留学生を中国語で怒った為に
問題が大きくなり一月ほど謹慎してました。

頭だけだだとイライラするので
謹慎中に毎日ジムに通い習慣となり
94cmのウエストが85cmとなりました。

所が学生の同情が集まってか僕の
研究室は学生でごったがしております。

お茶

2008年12月11日 日常
 年とともにカフェインが効く。

 深大寺のお蕎麦を東京から送ってもらったので食べた。美味かった。
お蕎麦のあとにはお茶と和菓子だ

 京都から和菓子もお茶も来ているので、心配しながら
夜の9時過ぎに満喫した。

 布団にはいり寝たのだが夜中の1時から4時まで起きてしまった。
もう一度寝たら、家族の朝の起こし役のぼくが 8時に目をさました。
シマッタ。

 当然、娘と息子は遅刻したが
僕の大学の講義は午後だったので問題はなかった。
ただ寝ぼけた頭のまま中間試験の監督をした。

 イカン、昨日のお茶が効きすぎた。睡眠不足でフラフラする、午後の試験が終わると慌てて家に帰って午後の4時には布団に入った。

 5時ごろに遅刻した娘が帰ってきて、言うには、
「遅刻したらプリンシパル(校長)が玄関に立っていて
「ツーオフトん、ツーオフトン(Too Often,Too Often)
しょっちゅう遅刻する」と言われたと

 日本では often は オフン と習うが
イギリスからの校長は  オフトン なのだろう。

此れを聞いていた女房が

「ツー(2)お布団?、うちはマットレスよ。」と

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