比治山

2009年2月8日 日常
 「僕も比治山です。」と言われた。高校の英語の先生からだ。昨日の高校の1-2年生を相手に客寄せパンダの如き営業の模擬授業が終わった時だった。

 僕の講義を朝から2回も聞いている高校の英語の先生が居る、と不思議な気がしていた。

 ダイタイ、僕の講義は高校の先生に評判が良くない。

 例えば僕が「勉強だけで、世の中が良くなるわけではない、感性が大事だ。」とか「英語を使う世界は戦争が多い。」とか言うのを聞くと、高校の先生が首を傾げる。

 でもこの先生は9時から10時20分と10時35分から11時55分と2回も座って聞いている。同じような冗談を2回も微笑んでくれた。

 「久しぶりに大学の講義を聞いた気がしました。僕は比治山をに卒業して7年目になるんです。」とよって来てくれた。

山陽女学園

2009年2月7日 日常
 僕は大学の先生だが、営業として出前の講義を高校でする。僕はこの出前持ちが好きなのだ。だから高校へ良く行く。

 この山陽女学園は綺麗な高校であった。吹き抜けの4階に上がると教室が並ぶ。女の子の学校なのだろう床にゴミがない。

 金髪よりもう少し色が抜けた銀に近い髪にグレーの目の女の子が「もう9年も日本にいます。英語は上手じゃない。」とはにかむ。

 良く笑う楽しい講義だった。アップルのスティーブ、ジョブズの話を振ってもキチンと付いてきて「それで」「それから」と話が弾む

 9時から10時20分と10時35分から11時55分と2回も同じことを話すのは僕はキツイ

同じ冗談を同じ日に2回も言うと何故か自分で白けてしまう。どうしても2回目は手抜きか、ネタばれの手品になってしまう。

 その下手な講義に付き合ってくれる楽しい学校だった。

会議

2009年2月6日 日常
 出ないツモリであったが、2人の先生が呼びに来たので、仕方なく会議に出てしまった。

 時代小説のなかの田舎の寄り合いの名残のような会議であったと思う。僕はその時代に生きていないので、想像だがたぶん

 欠席して余分な仕事が回ってこないよう「私は力不足です。」と下向きの顔で表現し、発言すると「でしゃばり」と言われて貶(けな)されるから口を閉じてと言う感じだとおもう。

 人柄のよい人が、苦労して決断して一人で心細いなら、お手伝いの気持ちで側にいても良いし、決断された方に感謝をする集まりなら喜んで参加したい

 その方に賛同でも称賛でもなく、「仕方ないですね」の承認を与える会議に「発言権がないのですが」とでる人もいる。

 会議と言う名前を借りた心理作戦であろう。

入試

2009年2月5日 日常
 良い学校にに入って、良い企業に勤めて、仕合せな人生を送る。のが目標なのだろう。学生さんはこの考えに沿って行動しているようだ。

 アメリカの良い大学を出た人が、世界恐慌をつくって、日本の良い大学を出た人が日本の将来を不安にさせている気がするのは間違いだろうか?

 企業や組織が欲しいひとは「頭の良い」人も必要かとおもうが「誰も見てなくても、サボらない人」の方が大事だと思う。

 学校は何時も誰かが見ている、先生が見てる、友達が見てる、でも夫婦に成って大事なのは「見てなくても大丈夫」な人なのだろう。

 見られている間だけ上手くやる人が偉くなると、人が見てないからズルする人がふえて、仲間は大事にするけど、国民のお金は気にしない、頭の良い人が増えた結果が官僚の天下りに繋がる気がする。

 学校の成績の悪い人ほど信用が置けるのではと思って採点してる僕であった。

煮物と漬物

2009年2月4日 日常
 色々な御馳走を出雲で食べさせてもらった。出雲そばも美味しかったが、一番、これが旨かったとして舌に味の残っているのは

 煮物の長芋と漬物の赤株だ、何故か心に残る。胡瓜の浅漬けも良かったが株の味が勝る。

 勿論、蟹も平目の縁側も雲丹も美味しいが、どうも煮物と漬物が一番美味しかった気がする。

 久々に築山のある庭を見ながら、縁側の広い、畳の新しい日本間に泊まらせてもらったので気分も良かったのも、味を後押ししている。

 広島に帰って、「お土産」と漬物をだすと、「水が美味しいのね、漬物が美味しいわ。」と言われた

出雲

2009年2月3日 日常
 春の様な穏やかな天気だった。広島から浜田へ抜けて、海岸を出雲に向かう。5人乗っている車だがエンジンの音は軽い。

 街道の行く手の小高い丘に大きな風車が5基ほど聳え(そびえ)たっている。海岸には建設中の10基程がならぶ。

 時代は変わるのだと実感させらる。残念だが 快晴無風のこの天気ではどれも動いて居ない。

 風まかせの人生だと聞いた事があるが、風の便りを待ちながら発電する世の中に成ったと車の窓の景色は告げていた。

入試

2009年2月2日 日常
 今年の入試は試験の監督も面接も無いからと安心していた。研究室でメールの返事をしていると電話が鳴った。

 「先生、採点をしますから来て下さい。」との事、「僕は今年は担当じゃないよ。」と答えると「採点は全員で行います。」とのこと。

 慌てて採点をする部屋に向かった。今年も入学定員は割らずにすみそうな答案の数である。

 不況を感じると子供に勉強をさせようと思う親と、学歴でもつけようと思う学生が増えるのかもしれない。

 学校に期待されても不況を乗り切れないが。不況を乗り切る力は民衆の行動力だと言うことは確かだろう。

ラーメン

2009年2月1日 日常
 風邪をひいているので、温かい饂飩を食べようと、お気に入りのB級グルメの「たかもり」まで出かけた。

 風が強いので、目に当たると涙が出てくると女房が言い出し、2人で饂飩屋まで歩いた。

 所が、行く途中に新しいラーメン屋が店を開いている。家を出るまでは浮気をするつもりが無かったが、其処の看板に引っかかった。

 「醤油ラーメン700円」と一つしか書いてないのだ、しかも店が混んでいる。饂飩に未練を残しつつも「看板にメニュー一つの自信」に騙されても良い気分になった。

 麺が少し太く、かん水の利きが少し弱く、饂飩に近いと言う点を除けば、出汁とチャーシューの焦がし具合は良い。

 お汁は澄んだ醤油色ではなく、トンコツに魚粉の香りがしていたが味は良かった。 でも風邪の体には澄んだ薄口醤油の饂飩が正解だったかも。

 

風邪

2009年1月31日 日常
 風邪を自分で治そうと、一日、静かにしていた。でもやはり喉が痛い。熱はないし、咳も出ない。

 医者へ行くと待合室にいる患者さんから、より強い風を貰わないとも限らない。できるだけ医者へ行かずに治そうと思っていた。

 しかし、体力の限界なのだろう、世界一良いと思う、日本のな医療システムに頼らなければならない。

 医者の中にも良い人も悪い人もいる、でも日本の医療は世界一だと思う、ブラジルでアメリカで病気に成った時の事を思い出すと本当に大変だった。

 朝一番で医者に行こうと起き「ダメだ、自分じゃ治らない。医者へ行くと言うと」女房が「皆がね自分で治れば、医者が要らないじゃない」と

ヒヤヒヤした

2009年1月30日 日常
 「先生、少し言葉つかいが丁寧になった。」と言われて少しガッカリした。自分らしさが消えたような気がした。

 「久々に先生の話を聞いて、大丈夫かと心配してヒヤヒヤした。」と続く。

 先生は「英語なんか勉強するな?」とか「成績が良くても役に立たない。」とか平気で言われるから、そばで聞いている私たち教師はヒヤヒヤしてしまうのですよ。

 今回、久しぶりに先生の話を聞いて、前ほどは過激でなかったので少し安心したけど、思い返すと危ない言葉をうまく避けるようになってきましたね、と続く

 話しは、面白かったとし、本当なのだが、学校は勉強して、努力する建前だから、先生の話は、ヒヤヒヤ、ハラハラの連続なのですよ。と

フランス語の先生が 紅茶の湯気のむこうから下向き加減でお菓子を運ぶ。
 14歳になる娘の代りにパスポートの申請にいった。前回のパスポートは失効しているのは分かっているが何処にやったか行くえ不明である。

 使えない(期限の切れた)パスポートとは言え、無いのは僕の不手際である。この点を心配しつつ、官庁街のパスポートサービスセンターなるカタカナ並びの事務所に行った。

 パスポートには写真と戸籍と住民票がいる位は知っていたので、娘に1050円かけて立派な写真を取らせ450円で戸籍謄本を取ってきた。

 住民票は要らなくなったらしい、パスポートの申請と言うと区役所で申請用紙もくれた、少しは気の利く事をするように区役所もなったらしい。

 この申請書に(ご本人の)「サイン」と「署名」と書いてある欄がある。娘にこの欄に記入させて持っていった。

 アメリカンスクールに通う娘は当然ながらローマ字で2つとも書いた、所が違うのである、サインはローマ字でも良いが、署名は誰もが読める楷書に近い漢字で書かなければイケナイのである。

 この手の細かな行政指導が日本を支えて来たのに感謝すべきなのだろう。翌朝もう一度、申請書を書き直して届けた。

年賀状おまけ

2009年1月28日 日常
 年賀状の景品が当たるとは思ってないが、切手セット80円と50円のは毎年何枚かあたる。

 今年は12枚当たっていた、市も桁が94と46だったから100枚に2枚当たる事に成っている。だから600枚の年賀状と言う事に成る。

 今年こそは年賀状を整理したい。何んとか200枚に収めたいと思うのだが、なかなか一度出すと辞めきれない。

 若い人宛てに出そうと、人数を絞り込み、お年寄りの宛先に目をつぶってご遠慮しようと思った。

 でも、逆の貰う立場で考えれば、自分が年になり、歳の若い人からの年賀状が途絶えると、「あーあいつは年賀状のリストから僕を外したな?」と思うだろうと思った。

 サラリーマンを辞めてから中元、歳暮も減った、年賀状も減った。でもあの人からは忘れてほしくない。と思う気持ちは減らないのでは?と今年も年賀状に迷うのであった。

本をあげる

2009年1月27日 日常
 大学の講義は15回で一つの講座に成っている。僕は休みたいのだが、何故か学会も行かないし、体調も壊さないので講義は15回してしまう。


 この15回の講義に全出席した学生に僕が読んだ本で学生にあげても良いなと思う本をあげる。

 全出席が4-5人なら本人に合った本を選べるのだが、全出席が30人とか50人となると選べない。大きな袋に本を詰めて教室に持っていき、好きな本を取って下さいとお願いすることに成る。

 易しい英語の本をまぜているのだが、英語の本は人気がない。可愛い全出席の子が本を取りに席を立たないので「あなたは全出席だよね」と声をかけると

 「前期に、先生から頂いた英語の本がまだ読めずに机の前に飾ってあります。もう1冊の英語の本を増やすと恥ずかしいので、ごめんなさい要りません。」と言われた。

 机の上には日本語の本がなくなって、英語の本だけが残っていた。

採点

2009年1月26日 日常
 月曜日が期末最後の講義なので、日曜日に採点をした。月曜日には順位を発表して表彰しなければイケナイと僕は思い込んでいる。

 別に期末の最後に試験して、ゆっくり採点をして2月の中頃に優良可、不可を決めればよいのだが、どうも僕の気持にしっくりこない。

 学生が自分の点が分かるのが4月になり、僕も忘れた頃に、学生に評価や点数が渡るのが嫌だ。

 だから14回目に試験をして15回目は可否の回答と順位の発表をする。月曜日の講義は2つあり、3時間目が153人 4時間目が218人で、合計373人だ。

 この答案を読んで仕分けて、順位をつけるのに日曜日を丸々1日使った。一人1分でも6時間はかかる、10時間以上は使ったのかもしれない。

 少し草臥れた。落ちそうな学生は自分で分かるのだろう最終の講義にはまず来ないから少しは楽なのだが。

昼の酒

2009年1月25日 日常
 学生と卒業論文の発表会の打ち上げをして、昼間っから酒を飲んだ。飲んだと言っても6人でビール6っ本である。

 車の運転をしていて飲まない学生が1人いたが、お酒の量から言えば大した事はない。

 昼の13時から初めて16時には終わった飲み会だった。酔いを覚まそうと家に戻り風呂に入ったら、風呂場の椅子で少し寝た。気がつけば18時だった。

 風呂上りに考えた。自分は学生を育てているような、生意気な態度に成りがちだが、この学生に育てて貰っているのだろう

 学生が先生と飲みに行こうと思わないのは、僕の人柄もあるのだろう16人のゼミ生うちで一緒に酒を飲んだ事の無い学生がまだ8人もいる

雪の朝

2009年1月24日 日常
 土曜日は家族が起きない。僕だけ9時に始まる卒業論文の発表の為に8時に家をでる。

 寒いと思って5時頃に目を覚ました、寝床で靴下を履きもう一度寝たら7時だった。

 窓の外は雪が舞っていた。この雪だと人数が集まるかな?と心配しつつ学校に向かった。

 教室に着くと何故か人数が揃っている。学生もやる時はやるのだなと思った。卒論を4日間で書いたとか豪語している若者も多いが

 自分の書いたものを人前で発表するというのは嬉しいのだろう9時から12時まで16人の発表だったが、欠伸も私語もない気持の良い時間だった。

ワイシャツ

2009年1月23日 日常
 寒いので自転車に乗らないで学校に向かう。残念だがまだ下腹が痛い。寒い中自転車で体を冷やすほど元気でない。

 電車に乗るのと自転車では洋服が違ってくる。白いワイシャツを着るとネクタイを締めて背広を着てオーバーコートを羽織る。

 これでマフラーをして出かける、どこから見ても普通のお年を召したオジンだ。

 学校に着くと「どうしたの?先生。バリっとして。」と言われる。普段はサンダル半ズボンにT-シャツだから、その差が大きいのかもしれない。

 久々に白いシャツをきてサラリーマンの格好になると、靴が気に成る、学校はサンダル履きで良いので、皮靴がない。有った筈だが、今どこにあるのかも探せない。

 もう少し暖かくなれば広島はすぐ蒸すから、サンダルに戻るから良いや、と好い加減な靴で学校にむかう。

 白いワイシャツに替えただけで大変だ。

期末試験

2009年1月22日 日常
 今週は試験の週である。試験は紙に書いてもらって順番をつけなければならない。

 この子は書いてあるからOKでこの子は書いた字が汚いからXバツみたいな「良い子」と「悪い子」を分けても意味がない。

 試験を受けた学生が「どれだけ悩んで一生懸命書いたか」が基準であるべきで、字の汚いは気にしないと思うのだが

 沢山の答案用紙を読んでいると、勢い字のきれいな方に点数が良くなる。だからワープロで書かせたレポートにしても良いのだが、そうもいかない。

 本人が時間内に書いたかどうか学生さんを信じるわけに行かないのだ、ワープロ書きの答案は同じ言葉が並ぶ答案が多い。

 12時半研究室をでて1時からから4時まで試験をして、教室に立っていたら草臥れてしまった。

 研究室に戻るとゼミ生が僕の机に座ってパソコンで履歴書を書いている。「先生ここが、書けん、あそこが書けんと」僕を使う。

 「書けんなら受けるな」と怒ってしまった。彼女は僕がまだ腰を下ろして無いのに気がついていない。
 

正義感

2009年1月21日 日常
 「浅井さん、正義感だけじゃ世の中は動かないですよ。」と弁護士から言われた。

 そんなことは分かっている。でも自分の住んでいる日本ではまだ「殺さない、盗まない、嘘つかない。」は存在すると信じたいではないか。

 僕はアフリカやブラジルで宣教師と言う名の侵略の形を見てきた。だからキリスト教はまだ心を許せないものがある。

 でも、そのキリスト教はホームレスへの対策として日曜の朝はスープキッチンと言う貧者への炊き出しが行われている。

 
 確かに日本のお寺でホームレスのメンドウは見ていないが、その日本でも「貧しい者を救うのが宗教で、嘘を吐かないのが日本人でありたい。

指定席

2009年1月20日 日常
 講義も期末を迎えてきた。大学の講義であるが、13回目から指定席にした。

 指定席と言っても大きな講堂の端に座らないでほしい。真ん中の2列に座ってくれと言うだけの指定席だ。

 流石に講義はしやすくなった。たぶん目の動く範囲が少なくて済むからだろう。

 それに学生も僕の講義に慣れてきているので、単位だけ下さいという学生は少なくなった。

 「卒業すれば良いのだ。」と言う「思い込み」はマダマダ残っていると思う。

「大学で何してきた?」と聞かれると「卒業するためにツマラナイ講義を我慢して聞きました」が正解なのかもしれない。

 尤も(もっとも)僕が同じ事を聞かれたら「僕はラクビーしてました。」としか答えようがない。

 でもあの下手なラクビーをしていたと誇れるとは思えないのだが、若いと言う事は恐ろしい。
 

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