喫茶店

2009年1月19日 日常
 「パパ、友達4人と家で勉強するから、家から出て行って。」と娘に言われた。確かに、娘の部屋に5人は入れない。僕が居間に入れば娘たちが気軽にできない。

 「良いよ、喫茶店にでも行くから。」と家を出た。今は昔みたいにチョット金額の高めの音楽の流れている店でなく200円前後で明るい店もある。

 僕は本さえあれば時間は幾らでも潰せるので、気にならない。座っていると知り合いが「オヤ、浅井さん。」とご夫婦で隣に座った。

 「今日は駅伝じゃけ見にきた。」と言う。そういえば道路の交通規制で平和大通りが通れず。随分と交差点で待たされた。

 「息子が2人いるが去年2人とも結婚して東京と大阪に居る、はー寂しゅうて寂しゅうて」と随分と贅沢な悩みを聞かされる。

 女の人が結婚しても良いというほど立派な男の子を2人も育てたのは羨ましい限りである。

4色ボールペン

2009年1月18日 日常
 4色の中の赤だけが無くなった。一番使うのが赤なのだろう。赤の詰め替え、今はリフィルと言うそうな、を1っ本と言うか1芯84円で買った。

 詰め替えようとすると、メーカーを間違えたらしく、長さが少し足らない。古い芯を少し切り、爪楊枝を中にさして、同じ長さにした。

 此処までは問題はなかった。いざボールペンを分解してみると、スプリングが4つ、と小さな部品が2つ出てきた、これらを順番に入れ替えていった。

 所が、4つのスプリングを指で押さえているのが難しい。ポンと音がして、小さな丸い部品がピーと飛びトン、コロコロと音がした。

 アーアーと呟いて、床をさがした。しかし見つからない。この小さな部品が探せない。

 さほど広い部屋ではないが、今、飛ばしただけの部品だが、10分ほど探し、ソファーの下、猫のトイレの下、本棚の下を探すがない。本棚を動かす体力と気力は無い。

 今は替え芯を使って、古いものを使う時代ではないと、自分を慰めるのに時間がかかった。

入れ歯がない

2009年1月17日 日常
 「先生、今日は何だか変だ。」と学生に言われて、入れ歯をしてないのに気が付いた、学生も「先生、前歯がない。」と言う

 困った、僕は人前でシャベルのが仕事だ。「噺」を売り物の僕が「歯無し」ではシャレにもならない。

 話僕は前歯の4本が入れ歯だ。最初に前歯をブツケて壊したのは、確か自転車でドブに落ちた時だと思う。

 中学生の頃だと思うが汚くて、痛くて惨めだった記憶がある。

 その後、運動神経の鈍いぼくは、高校や大学のラクビーでもブツケて前歯がグラグラしていたと思う。

 極めつけは、大学を卒業後に始めたサーフィンだ。海に落ちた僕が水から顔をあげた時にサーフボードが空から降ってきた。これで前歯が完全に無くなった。

 何回も歯医者に通ったが、どうせブツケて壊すならと、取り外しの利く入れ歯にしている。

 慌てて家に戻り探したが無い。悔しいが何処に置いたか記憶がない。昨日の夕ごはんまで前歯は存在してたのに。

来客

2009年1月16日 日常
 「新年のご挨拶をしてないので。」と昔の仕事でお世話になった人が訪ねてくれた。

 訪ねてくれるのは嬉しいのだが、もう会社の役には立たない。単に昔話をする程度なのだが、それでも来てくれればうれしい。

 学生が僕の部屋にたくさん出入りするのでお客も驚いていた。「コーヒーを淹れましょうか」と1年生が動いてくれ

 「履歴書が書けん」と3年生の女の子が入ってくる。「新しい先生かと思った、先生の部屋にいて話してるのだから。」と男の子が言う

 4年の女の子が「先生、就職決まった。歯医者の受付」と入ってくる。「先生色々あって忙しいね」と来客が言う。

あなた7時半よ

2009年1月15日 日常
 朝、女房に起こされた。おかしい僕が家族を起こすはずなのに。60歳なのだから僕が一番の早起きでなければと思うのだが時計は7時26分だ。

 「年よりは目が覚めるのが早い。」と思いこんでいたが「僕が若返ったのか、体力が無くなったのか?」と考える。

 昨日は、早く帰って、早く寝た。大学の先生はこんなに時間の余裕があるとは、サラリーマン時代に想像できなかった。

 講義が始まるまでに学校に行けばよいし、講義が終われば学生さんと無駄話をして帰ればよい。

 それによく寝れる、こんなに寝ては病気かと心配するのは、気の遣いすぎかもしれない。

卒業論文

2009年1月14日 日常
 提出の締め切りが5時だ。3時半になった。16人いるゼミ生の内でまだ提出してない学生が2名いる。

 心配してメールを打つと1人からは「今、プリント中です。出せます。」と返事が来た。

 でももう一名はメールに返事がない。今朝から、「プリントしてない。」とか「英訳がオカシイ。」とか色んな事があった。

 25ページの論文に英語200語以内で要約をつけるのに、200字以内の英語と思い込み、「先生 195字に収めました。」と3行に纏めた英文を書いてくる学生もある。

 でもあと1名は修正しようにも論文も本人も今日は見てない。5時15分前に心配で自宅に電話すると、お母さまが「すいません、今、出ました。」と電話口でいう。
 
 お父上が学校まで学生を車で送って来て、何とか間に合った。手のかかる子供ほど親は可愛いのであろう。丁寧に頭を下げられた。

もう6歳

2009年1月13日 日常
 修士の論文を書いている女性の中国人留学生が来た、「大学に入る時に子供を産んだから、子供はもう6歳です。」と

 「小学校に入りなさい」と通知が来たから子供は4月から小学1年生ですと言う。自分は4月から中国人の子供達に中国語を教える仕事をする。との事。

 広島には中華学校がないから、学校とはまだ呼べないが、中国人の子供の人数が増えれば学校にしたいと。

 国際交流はこんな所から始まっている。そういえば、僕は子供の頃に中華街に行って横浜の中華学校を最初に見た時に「違う言葉の学校がある。」と驚いた。

 でも自分がブラジルに行くと、ブラジルで日本人学校でラジオ体操をしていた。民族は何処でも自分の文化を育てるようだ。
 
 

 

停電

2009年1月12日 日常
 休みの日に学校に出てみると停電だった。何か工事でもしているのだろう。パソコンもプリンターも使えない。

 電気がないと仕事をしなくて良い気分に成るから不思議だ。

 お隣の先生も学校に出ていた、2人で仕方がないですよね、飯でも食いに行きますか?となった。

 卒論の学生も来てたので3人で餃子の王将にまた出かけてしまった。昼からビールを飲んでいい気分になり 本当の休日になった。

 体力が余って夜が寝れないかと心配したが布団に入るとまたすぐ寝てしまった。
寒い中に学校まで歩いたからかも知れない。

歩こう

2009年1月11日 日常
 朝は寒く小雪が舞っていた。ズルをして車で学校に向かった。休日の研究室は学生も居なく自分の時間が持てる。何時もは皆で分けて食べる女房の弁当を一人で食べて、昼過ぎに帰った。

 家に帰り、着替えて、体操をしにジムに向かった。ジムの入口まで来た時に、研究室のストーブを消したかどうか忘れてた。

 学校のストーブが心配なら学校に行くしかない。学校まで6kmある。僕はジムに行く時は、歩いて行くし、財布も持ってない。と言う事は。

 バス代も電車賃も無いから、家に帰って車に乗るか自転車をコイでで学校に向かうしかない。と言うことだ。
 
 せっかくジムに来たのだから、ジムの運動代りに、片道6km往復12kmを歩くことにした。空も晴れてきた。

 学校に行くとお隣の先生の部屋で、4年生が卒業論文を書いて、先生がそれを指導していた。

新年会

2009年1月10日 日常
お店の場所が分かりにくいので、パルコの前で7時45分の集合だった。学生さん8人と先生2人の新年会だ。

雪が降りそうで風が寒く、皆パルコの前でなく中で立っていた。寒いと何故か誰も遅れない。

2時間で食事とお酒が付いて3千円だった。料理もいろいろ注文できて牛肉のたたき味もよくカーマンベルチーズの天ぷらと何故か海鮮アンカケご飯が上出来だった。

 何より10人でゆっくり座って、片付けも準備も要らないで満腹で、焼酎の黒霧島もアルコール度数が高く、不況と言うけど金曜日の夕方のお店は満席であった。

 お酒も、食べ物も大事だけど、何より意味もないオシャベリが楽しいのかもしれない。まだこのオジンの先生と付き合ってくれる学生が居るうちは、学生の飲み会に付き合おうと思った。

ジム

2009年1月9日 日常
 漸くジムに通えた。年末の21日以来である。足の付け根はまだ少し痛いが走れない事はない。

 懐かしい顔が迎えてくれる「試合、勝ちましたか?」と「負けて、体が壊れまして、ジムにもようやく通えるようになりました。」と答える。

 暮れからの泌尿器科、前立腺、睾丸痛、錐体筋を伝えるには時間がかかる。「で大丈夫ですか?」と聞かれても

 「今は少し走れるし、ウエイトもできるから大丈夫でしょう。」と答える。でも走った後はよく眠れる。

 色々問題はあるが、走っていた方がよく眠れるので、快眠が何よりと思っている。

やりすぎた

2009年1月8日 日常
 ドアがあいて「ナンヨンハセヨ、先生のゼミに入りたい。」と言う。「オイオイ違うだろ韓国に1年留学だろ」と思った。

 「僕のゼミは一杯だよ、ゼミの調整なら淳先生に言って。」と言うと「ベー」と下唇を尖らす。

 韓国は近いスグ帰れる、半年で留学を辞めたくなる気持も分からないではないが、了解しない方が良いだろう。

 学生が甘えるのは分かるが、それを救わないのも本人に取って大事だろうと思うが、助けを求めているのに手助けしないのは気にかかる。

 でもその後に学内で事務とセンター試験の打ち合わせだ。毎年の事であるが1時間半の説明を聞くのはタマラナイ、20分で終わらせてくれと僕が言い出しモメタ。

 事務の課長にはズイブン嫌な事を言った。学生を救わない分だけ事務を苛めたかもしれない。やりすぎた。

 
 「先生だけですよ、センターの英語の聞き取りのレコーダーの予行演習してないのは」と言われて出て行った。

 すると其処にもう一人座っている「僕だけ、と言ってながら2名なのは?」と聞くと「色々ありまして。」とくる

 僕はこの手の嘘に我慢が出来ない1と2は別である、1+1=2である。これを譲らなかったら「こんな人は初めて見た。」と言われた

 朝から学生が部屋で泣いて、親が相談にきて、大学なのにまるで小学校みたいな(小学校を知らないので幼稚園かも)日常を過ごしている。

せめて名前は大学であるので大学らしく振舞いたい。1+1が2である。

100円パソコン

2009年1月6日 日常
 0円携帯が有ったなら、100円パソコンが有っても不思議ではない。千本さんのE-モバイルが売っている。それを買いに広島でデオデオと言う量販店に買いに行った。

 所が「100円パソコンは12月末で止めました。」と言われてしまった。仕方ないのでヤマダ電機まで歩いた。

 「やってますよ未だ。」と言うので申し込んだ。

 「ネットから自分で申し込めばE-モバイルが代理店手数料を払わなくて済むから、E-モバイルが少し得する。」と思ったがパソコンをすぐ手に入れたくて、ヤマダ電機まで歩いた。

 でも「人気商品なので、配送に時間がかかります。手元に商品がない。」と来た。「じゃやめる。」と答えようと思った。

  家に帰って「自宅のパソコンから申し込むから良いよ。」と答えるには店員さんが親切すぎた。

 それに、千本さんへの年賀状に今年はE-モバイルに変えると書いてしまったので、今更、後へは引けない。

 ゴメンナサイ、代理店手数料のかかる買い方で申し込んで。


浅井ゼミOB会

2009年1月5日 日常
 4日の13時から17時まで、皆の持ち寄りで学校でゼミOBの新年会を行った。決めたことは「お盆の8月15日の土曜の夕方17時から集まること。」だった。

 5年前の卒業生の恵谷がチーズとサラミとカステラを、4年前の打海がかっぱ海老せんをと言う具合で始まった。

 気がつけば水野や黒川が「先生、ハムを切っていく?」とか電話してくれて宴会の食べ物は揃った。何を話すわけでもない井戸端のおしゃべりが続く

 明日の9時から大阪で出勤ですと西村が言えば、東京で7日からと出田が言う。でも、今日も働いていて来れないと来れないけど、メールや電話出席もいる。


 3年生の島川と1年生のカヤ根がオトナシソウに聞いている、全部で20人ほどだったと思う、集まってくれて楽しかった

年賀状

2009年1月4日 日常
 営業の頃は2000枚を超える年賀状を誇っていた。一緒に働いてくれる女の子が居たので、その子が処理をしてくれた。

 返事が帰ってきても来なくても、気に成らなかった。自分を世の中に出す手段だと思っていた。

 その年賀状のお陰で今の大学の仕事があると思う。広島大学の先生が1度しか会ったことのない僕を覚えていてくれたのだ。

 その先生の紹介で今の比治山大学で仕事をする事に成った。些細な偶然かもしれないが50円の葉書が繋いでくれた縁だとおもう。

 今年は200枚にしようと自分のフトコロ具合から考えていたのだが400枚に成りそうだ。

下腹が痛い

2009年1月3日 日常
 暮れの19日から下腹の左が痛く、温めてないと痛さがます。23日にラクビーの試合なので、22日に慌てて医者に行った、前立腺か尿道の病気かと思ったからだ。

 それでも23日の試合もできた、25日の精密検査の結果も問題ない。医者が分らないなら、自分で解決しなければと思い、本屋に出かけた。

 暮れの31日に解剖の本を見ていて、腹筋の一番下にある三角錐のような錐体筋が欠損しやすく、肩を回すのに必要と書いてあった。

 次いでスポーツトレーニングの本を見ると「筋肉の欠陥なら、くしゃみをすると痛い。」とも見つけた。それで風に当たってくしゃみをすると下腹の左が痛い。

 良かったキットこれが原因だと思いこむと元気がでた。でも腹筋の肉離れなんてどうやって固定して安静にするのだろう? できないと決めつけて普通に行動することにした。

 それでも心配だから自転車をやめて歩くことにして昨日も10kmほど歩いた。
 元旦は少し日差しが有ったので海に出かけた、死んだ父母に会う為だ、父が「墓はいらない、骨は海に撒け。」と頑張ったから僕の家は墓がない。

 浜辺で南中する太陽を拝んだ。お供え(おそなえ)の蒲鉾とお酒が横風にあおられる。海は寒い。

 父母が逝って10年、毎年お正月に家族と海に来る。瀬戸内の海はこんな冷たい風の日も穏やかだ。雲が動き日差しを隠しわずかだが雪が降ってきた。

 家に帰って、年賀状の返事を書く。頂く年賀状に「いろいろ書いてある長文の年賀状」が増えている、会社の決算書ではないが、1年の生活記録のような年賀状が増えた。

観音院

2009年1月1日 日常
 12時に間に合うように家をでた。観音院(広島の観音町にある)にお参りするのだ、子供が「福袋」を貰うときから通っているから、今年で10年程に成るのだろう。

 僕はなかなか感激するお坊さんに会った事がなかった、英語で貴方の宗教は?と聞かれて「無宗教」と答えて恥ずかしくなかった。

 アフリカに居た時に一度、神様を信じたが、日本に帰ってきてまた忘れた。50歳になり広島でこの観音院のインターネットのお手伝いをした時に「信じて良い」と感じた。

 神の啓示があるならこれが2度目であろう。読経のなかに「元気をだして」と民衆に呼び掛ける姿が本物の宗教だと思った。

ジムが休み

2008年12月31日 日常
 学校に車を置きに行った。僕の家の駐車場は1台分しかないので、2台目の車はおけない、学校の駐車場に置くしかない。

 学校は家から6kmほど離れているので、丁度良い運動だ。でも昨日からジムは年末のお休みなので、もう少し歩くことにした。

 僕の家から駅まで3km程だろう。そこからもう3kmほど行った所にショッピングモールなるものができて2年ほどたつ、そこまで歩くことにした。

 所がカーナビがない年寄りの一人歩きは上手く行かない。駅の裏に出たら道が分からなくなった。

 体操の代りだから回り道には感謝すべきなのだが、自分が間違えたと認めにくい漸く辿り着いたら 汗だくだった。

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