人工芝

2008年9月21日 日常
 朝9時半に小雨の中グランドに着くと もう走ってる連中がいた。「浅井さんは後半の試合でポジションは1番です。」 と告げられた。

40才以上の試合とはいえ 60才の僕から見れば かなり若い、でも笛がなると すぐ忘れてしまう。無理してボールを取りに行くと、

 タックルされ倒れて腰を打った、「ウッツ腰をヤッタ」と思うが、走りたい気持ちが勝って、痛くないフリをして走り続けた。

 セメテもの救いは、倒れたグランドが人工芝なので、地面が硬いがジャージが汚れない、と思い込んだ。

痛みはのこるが明日もう一つ試合だ

菅平

2008年9月20日 日常
 山の上は何故か晴れた。

昨日 広島から新幹線に乗りこんだ時は「傘を 」と思っていた。

菅平に通い出してから15~16年にはなる。
去年は高校生の講義が在って来れなかった。

 菅平で行われるJRのラクビ大会に今年は僕一人の参加になってしまった。

一時期は僕がテレコムで作ったラクビー部で30人2チームだしていた。

 僕一人の参加に成ったが、山に上ると昔の仲間が肩を抱いてくれた。
 可愛い子がメールを送ってきた「先生、居ますか?」と「何時でもオイで」と返事をだす。

 昼過ぎに、図書館に行くと、彼女が机に本を広げている。「どうした、今頃になって勉強をして」と言うと

 「先生、先ほど伺ったんですけど、お留守なので時間をツブしてから、もう一度と思って」と本をカタして、研究室まで一緒に歩く。

 「先生、私、彼氏と分かれて良かったんですよね。」と喋りだす。「若いって良いな惚れた腫れた、分かれろ切れろと」と答えると

 「茶化さないで下さい。先生に話を聞いてもらおうと思って来たんですから。」と
 
 研究室に入って愚痴を聞いていたら、ナカナカとまらない。ソコへ韓国からスカイプのテレビ電話が鳴った。お隣の先生からだ

 「韓国は、夜の飲み会が2次会3次会とキツクッテ、断ると怒るし、体が持たない。早く帰りたいですよ。」と30分ほど話して夕方になった。

 一緒に下校する坂道で彼女が「スカイプのテレビ電話が見えてよかった」とつぶやいた。

リーマン

2008年9月18日 日常
 「リーマンが潰れた」と言ったら
「サラリーマンですか?」とカワされた

 証券会社や保険にまだ縁のない学生さんは、新聞で知っていて、深刻なニュースを分かっているけどオチョクルのが上手だ

 よく考えれば僕も外資の会社を辞めて、今は広島の小さな大学の先生だ、証券会社に口座がある訳でも、株価に一喜一憂するわけでもない

 リーマン、パーマン、アンパンマン、ウルトラマンは3分の命と学生さんは気楽に騒いでいた。
 僕の講義用のテキストは手作りだ。、xx学とか xx概論という一冊の本は使わない。

 基本は僕がアフリカ、ブラジルに居た時の経験から国際関係論を教える事になるのだが、全ての学生が海外で住むわけではない。

 それ故、就職に必要と思われるニュース解説から、漢字の読み、カタカナ語、パソコンの説明と色々アッチコッチの本やWikiから取って来くる。

 学校では一人の先生が一つの事を教えるのが普通だ、でも世の中に出ると、一人で全部の事に立ち向かう必要がある。

 全部の事がダイタイ揃っているのを一人前と言うのだろうと勝手に思っているので、アッチコッチの本から少しづつ採ってくる。

 それを講義に会わせテキストを作る。勢いテキストがチャンコ盛りになる。「コリャなんだ」と言うほど内容が溢れてる。

 このテキストを見ながら僕の話を聞けば、言われた事しか出来ない、一つの事以外は考えない学生が少しでも減らないかなーーと。
 飛行機代が値上がりして高くなったので、東京に行くのに新幹線を使った。広島から東京は4時間かかるので本が2冊読める、と欲張る。

 でも本も読めない、久しぶりに新幹線で「岡山」のアナウンスを聞くと、「そう言えば、岡山ではこんな事があった、ああすればよかった。」と思い出と妄想がかさなる。

 「新神戸」では「そう言えば会社を失敗したな」大阪では「住友に入社した頃は」と色々過去がでてくる。

 齢も60歳になれば、思い出のない町は少ない。「名古屋」つくと名古屋生まれの親父を思い出す。

 東京までの行きの新幹線は思い出と一緒に4時間をすごした。本は帰りの時に取っておこう。

赤いパンツ

2008年9月15日 日常
 敬老の日に早稲田、慶応、明治、立教の4大学でラクビー部のOB試合をしていたとの事。

 今年から東大も入り5大学となるので「浅井、出てこい広島から」とお呼びがかかった。「赤いパンツも忘れずに持って来い。」と念押しのメールもくる。

 早稲田の下井草のグランドは初めてだ、僕らの時代は東伏見だった。朝の8時にグランドに着くと、懐かしい顔が「更衣室はあそこ」と指を指す。

 60歳を超えると「赤いパンツ」を履かされる。周りの若者がオジンに怪我をさせないように気をつける為だ。

 着替えてグランドに出る。試合の笛が鳴る時1列目に赤いパンツが3人ならんでいた。

講義が始まる

2008年9月14日 日常
 学校に10時過ぎにノンビリと通っていたら。「先生、お早いですね」と30歳は超えたと思うが若作りの女の事務員さんから言われた。

 「遅い」の間違えかカラカワレタのかと思って「おはよう、なんで?」と聞くと
「だって後期の講座の準備に出てこられたのでしょう。」と言う

 僕は朝、起きたら家を出る。息子や娘と一緒に出て、基本的には家に居ない。それが亭主の役目と思っているので「何も無くても、学校は来るよ」と答えると

 「今年は、後期の授業が早く始まるから、その準備かと思って」と言う「エッ10月1日からが後期の授業でしょ」と答えると

 「先生の思い込みです。9月24日からです」とシマッタ僕は菅平にラクビーをしに行く9月の19日から23日までだ。24日の講義なら間に合うが多少の準備がいる。

 「有り難う」と返事をした。
 お昼に「先生、居る?」と研究室のドアが空く、「久しぶりだな」と僕が振り返ると、

 「ラーメンのお湯が沸くまで、此処に居ていい?」と、そうだ、僕の部屋の隣は給湯室だ。

 部屋の中のをブラブラする彼女が学生の解答を見つけた、一番上に彼女の答案が乗ってる。「先生、これアタシじゃ。」と言う「何で此処に置いてある?」と聞くので

 「成績の順に並べてある。と言うのは嘘で。気になる解答だから捨てれなかった。」と答える。

 彼女は少し喜んでそれから口を尖らせて「また来るよ、あたし鬱じゃけん、学校に来れんかった。」と薬缶のピーの音で出て行った。

 素直というか「鬱」が隠す言葉で無くなったのかも知れない。



テスト

2008年9月12日 日常
送信テストです。ご迷惑をおかけします。

お酒

2008年9月12日 日常
 東京からメールがきて「広島に行くから、飲まない?割り勘だけど」と

 
 で予約したお店に入ると仲居さん、この言葉はもう使わないが、言い直すとフロアー係りの女の子が メニューにチョイスがありまして、と畳に膝をつく。

 「美味しいものを沢山食べたい」とあまり思わなくなったが、「気持ちよく酔いたい。」とは何時もおもう。

 その前に「食べ物を選べ」と言われても困るが、可愛いアルバイトの女の子をイジメル訳にも行かない。

 それから、吟醸酒をあれやこれや言いながら、選ぶ。ワインとビールに押された反省からか、最近の吟醸酒は美味しい。

 ロシア、中国、韓国に輸出が増えているそうだ。美味しさもあるが、どうも「日本人は若く見える、太ってない」ことからの誤解がありそうだ。

 日本のお酒は「飲んでも太らない、飲むと歳を取らない。」と
 今年も何故か「寿や の栗きんとん」を頂いた。

 長野の小布施のも味が良いのだが、僕はこの岐阜の恵那のがありがたい。

 今年中学2年に成る娘が生まれた時、「良かった,顔が見れて,間に合った」と死んで行った母は岐阜県恵那郡加子母村の出た。

 和菓子をパクパク食べる高校2年の息子を見て、パクパク食べる僕を母も見ていたのかなと思った

赤坂見附に4時

2007年5月12日 日常
  10時からの2限目の講義を早めに終え、昼過ぎに学校をでて飛行場に向かう。

紅葉饅頭を手土産に飛行機に乗る13時過ぎの離陸だ。

 羽田の空港でメールを送る「いま品川だ、あと20分でつく。」と

 羽田から赤坂見附へ向かう道は、僕の高校への通学路だった。30年は経ったが懐かしい道だ。卒業生から「了解」の返事が来た。

 赤坂見附のエレベーターを上がると、携帯を手にして待ってる。
彼女は4月から東京で働いている。

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