外人ランチ

2010年6月2日 日常
 ワシントンからの日本語をしゃべる外人と僕のゼミ生と一緒に100円ランチとなった。学生数は9人、だから900円で学生がオカズを作り、僕がお米を担当する

 お米は僕が11時にお米をといて炊飯器にかける、炊きたてのご飯と仲間が居れば、食事はたのしい

 お米と言えば、山の中で、新入生と合宿したときの飯盒炊爨(はんごうすいさん)の結果は悲惨だった。

 炊けるまでに、煙いし、汚れるし、熱いし、出来たお米は、焦げるは 不味いは、かなりの量を捨てる事になった。

 起用にお箸を使う外人と、ゼミの学生が卵焼きで話しているのを見て、この会話を支えているのは、炊飯器かとおもった

 日本のお米は美味しい。

外人じゃん

2010年6月1日 日常
 朝、ワシントンから来たナオミと一緒に登校してると、色っぽい美人なので、「先生、外人じゃん、」と男子学生が寄って来る

 「授業に出ておいで、今日はこの子がしゃべる番だから」と告げると「日本語でやるん、この子、日本語できるん」と目を大きくする

 ナオミはワシントンの高校生活を日本の学生に紹介する、写真を50枚ほどスライドショーにして、

 やはり学生はよく聞く、18歳のアメリカ人の普通の生活への好奇心は大きい。脇でナオミのしゃべるのを見ていながらアメリカも変わって来てると感じる 

 普段の講義で 僕から 古臭い事を 聞かされる 学生は カワイソウと思う

 

何年の生まれで

2010年5月31日 日常
 夜の9時にお客さんが来た、明日から1週間 僕の授業のティーチング、アシスタント、として日本語が出来る USAの学生が、ワシントンから着いた

 女房がお茶とクッキーを出して、娘、息子を交えて、英語と日本語も交えて話しだす。

 名前はナオミ小柄な色白の美人だ、「俺 関係ねーよ」と言ってた息子がきちんとテーブルについている

 多分、息子と同じ年齢だと思って、僕が「1900何年の生まれでしょうか?」と英語でモタモタ聞き出したら

 娘が ハウ オールド アー ユー と横から会話を持って行った。
 高校までだと想っていたら、大学にもあった。ウエルネスセンターと言う。勿論、少し病院の匂いもあり、個室のベットも幾つかある。

 授業がないので、日のあたる、花瓶に花のさしてあるウエルネスセンターの部屋で「昔は美人だったろうなー」がよく分かる保健室の先生と話す

 「どう生きていいいか、わからない子が ふえてますよ。」と「特に何がしたいもないし、傷つきたくない、悪く言われたくない。親には引きこもりと言われたくない。」

 で保健室への登校が有るのですよ。と確かに僕が話している間にも「良いですか。」と個室に入って行く子がいた。

 「あれもしたい、これも欲しい。」と欲と僕のと2人連れで今まで歩いて来た僕は過去の遺物かも
 「先生、アタシ、一般事務が良いんだけど、どこも募集しとらん。ドコ、行っても、営業できますか?」と聞かれる

 黒い、リクルートのスーツに白いシャツが少しづつ板についてきた、髪の毛の色も会社用に落ち着いてきた可愛い子が

 「ヤダー、事務がイイ」と言えない雰囲気の中で答えが出来ない、「どうしよう。」と相談に来る

 アルバイトの経験は大学の4年間ズーット同じ映画館のモギリ(入場かかり、切符切り)だったから会社の雰囲気は理解してるけど、営業はね と言う

 こう答えな、簡単だから、まず無言でうなずく、意外とこれ効くよ、それから「やった事はないので、わかりませんが、人が出来る事なら、私にもできます。」と

 サー練習してご覧、聞くから、と5回ほどさせた、「先生、もっと早く教えてくれにゃー」と言う、

 「その場に成らないと、こんなもの練習しないよ」と僕

「でも営業に回されないよね、ヤダモン、入りたいだけだもん、大丈夫よね先生」と 僕がウンと言えない事を聞く
 香典を集めたいので一人幾らにして、相手の家も大変でしょうから、代表が持って行きましょう。と声がかかる

 僕はこれを聞くと、凄く寂しい思いがする。母親を亡くした時に、父が言った「香典貰って何に成る。」

 母の死後1年で父が逝ったとき多額の香典を頂いたが、香典返しも世話を焼いてくれる人にお任せして自分でやる気が起きなかった

 お金を頂くのは有り難いが、父母の死を誰が幾ら持ってきたかの世界に引き戻される気がした。

 貧者の一灯と、母はよく言っていた「死ぬ時は、金持ちも、貧乏人もないよ、さい銭が出せない人も多いよ。」

 時が経ち、誰も来なくなった家に、父母の昔の知り合いが訪ねてきてくれて、遺灰を拝んでる後ろ姿を眺めたときユックリ涙がでた。
 「母さんが、ブロック崩しのチョコレートのタワーをゲーセンで倒したから、家にチョコレートが余って」と可愛い子がケーキを持ってきた

 「メレンゲに混ぜて焼くだけだから手間はかかってないよ」を聞き流しながら皆の感心は 幾つに切るかだった

 幸い今日のお昼ご飯は4年生しか、3年の心優しい男子は一人いたが、居なかったので8つに切ってお隣の先生呼んで、人数分が揃った

 お昼御飯は皆で食べると美味しい、一人で食べると少し寂しい。だから僕が学生を呼ぶ

 ケーキを切る学生が咳をしていたのだが、誰も「風邪がうつるから、嫌だ。」とは言わなかった、 若いと言うことは免疫が強いと言う事だろう
 お米は。僕が炊いておくから、ゼミの人数分のオカズを、一人当たり100円で作ってきて、と言う事でお昼を一緒にすることにした

 一人暮らしの学生が多かった事と、家事の手伝いをした事がない女学生が多かった事もある。

 昨日も大きな紙袋さげて、鼻の頭に汗をかきながら、「先生、あつい。クーラークーラー」と女学生がオカズを持ってきた

 「おとーちゃんがバチ心配しおって、学校に出かけるまで、アーだコーだ、言われた。」と言いながら、紙袋を開けると、から揚げ、卵焼き、モヤシ炒めが人数分入っている。

 「娘が、ろくにご飯も作れんじゃ、親も心配するよ。」と僕が言うと「そうよ、かーさんなんか、こっそりカレー用意してんの、失礼じゃん。」と。
 学会でこの本を書いた古賀邦正さんと飲んだ、僕が大学1年生でラクビー部に入った時の4年生の先輩だ

 ウィスキーの値段の話しになり、昔は高かった輸入物のジョニーウォーカーやらシーバスが安くなって、日本の山崎やら響きが高いのは何でですか? と聞くと

 「浅井、よくわからんよ、日本の製品が良いということかなー」と答え方が優しい

 「何処が値段の差なのですか?」と聞く「わからんけどフランスで人気があるらしい」と、これに続けて

 ウィスキーは作るのは1‐2ヶ月で10年‐15年寝かす、寝かしている間に味が良くなる。

 こんな長い時間の実験は 学校の先生は出来ないし、証明もできないよ。と
 学会で森一郎先生の話が出たら、よく言う人が少ない。「お金、儲けたでしょうな、正統派ではないよ。」と授業を受けた人までが言う

 はては「森一郎が鳩山の家庭教師するから、アンナの東大に入れて日本がこまるよ。」まで飛び出した。

 僕は住友商事の新入社員のころ、出る単を本屋でみつけ、奈良のご自宅にお礼の手紙を書いたら、返事が来た。

 何回かの引っ越しで先生のお葉書はなくしたが、「不思議と君の事は覚えている。」と書いてあって大事にしていた。

 
 森一郎先生の講義は「教科書の何ベージです。解答は1番オン2番ザット3番ーー等々ーーー。」と始まる。40年50年前の話である

 教壇に赤本:教科書に赤で解答の書きこんである、教師用の本、を広げて、わざと下手に発音する

 10分程で「これで文部省の指定した今週の過程は終了しました。」と終わる。

 英語が出来ると自慢しているxx君が質問しても「それは教科書ガイドを発行したxx堂か文部省、高校生指要領の英語を担当しているxxにお聞きください」と取り扱わない

 東大に発音の問題は出ません。(当時はそうだった)。しかし宗教という英単語を知らないと英語の問題が読めません。 と始まる

 宗教、本能、欲情、は論理の展開に必要な英単語です、人工衛星、軌道、打ち上げは纏めて覚えて下さいと、続く

 この先生のお陰で大学に入れた。出る単、試け単の原稿のようなものをキットこの授業で作って居たのだろう

比えい山 

2010年5月22日 日常
 学会で名刺を出すと、しばらく眺めて「アーそうですか。」と言われてポケットか名刺入れにしまう方が多い。

 僕が「大学はひじやまと言って。」と話しているのだが「エーエー。ご名刺、ありがとうございます。」と名刺を見ながら仕舞う。

 で学会の後の懇親会になると 「xxさんでしたね、ご宗旨は?」と聞かれてしまう。広島にある『ひじ山』と説明したはずだが、そんなことでメゲてても仕方がない

 比xx山 とくれば 比叡山、延暦寺、天台宗、最澄とここまで直ぐに出てこないと受験勉強は乗り越えられないし、学会で名刺を渡す相手は、おおむね何処かの学校の先生だ。

 もうメゲなくなったが、いつも学会で名刺を渡すと 僕の顔から僧侶というイメージは出てないと思うが「ご宗旨は?」と聞かれてしまう。 ありがたい話だが


 入学が決まった時に、父の転勤も決まり、弟の入学に合わせて父の実家がある埼玉に家族が引っ越して、今は一人住まいという男子学生がいる

 彼が「折れないように、郵便を送るのは?」と聞いてきたから、「郵便局で500円で箱を買うと折れないで綺麗に届くよ。でもその封筒なら240円で良いはずだから」と学校の下の郵便局をgoolge 地図でみせる

 何を送るのかい?「見ても良いかい?」と聞くと「母の日はすぎてますが、母の誕生日なのです。」と折りたたんだ紙をみせる

 開けると、薔薇の花が開いた、テントウ虫も3匹、トカゲもしたにいる紙細工だ。「どうした作ったのか?」と聞くと 「バイトもしないと暇ですから。」と

 こんな心の優しい男の子は、たくましい女の子のなかでドウヤッテ生きていくのかと思う

学会

2010年5月20日 日常
 明日から、学会で東京へいく、久しぶりだ自分の聞きたいと思う話を聞きに行くのは
 
 何時も、義理で出席する会合が多く、入学式や卒業式(学生の総代の話は聞きたかったが)も聞きたい話がすくない

 明日の朝1番の新幹線ででてお昼に東京だ、東京へ行くと、「世の中が変わっているのに、自分だけ範囲外に居た。」と思ってしまう

 まるで千と千尋がトンネルを抜けたように、新しい仕組みの中で動き方を覚えねばと焦っている自分がいる。



 

忠魂碑

2010年5月19日 日常
 山の中の細道(舗装は一応してあるが)を走っていると、裏に名前の掘ってある。大きな石碑が建っている。

 戦死者の碑が多いが、読んでみると、明治、大正である。2次大戦の物はない。一番、戦死者が多い記憶は石碑にならないようだ。

 自分の体力が無くて、走れない言い訳として碑文を読むと、戦争をしたかったのだろうな?と思ってしまう

 それに山の中に こんな立派な小学校を村の力で作ったという、誇りもつたわる、たかだか100年前の事なのに、山の中の田舎に大勢の人が住んでいたのだろう

 山の裾の林の中に 更に古い崩れかけた墓石と、寺の跡があり、ハイキングコースの案内板に「殿山」と書いてあった。

 日本は山の中に有ったのかと思わせる合宿と廃校だった。
 卒業して3年の可愛い子が、授業中の教室に、顔を見せた。「研究室に行ったら、講義中だったので、待ってるより、先生の講義を聞く、懐かしいもん。」と

 しゃべる僕は、毎年、イイカゲンな事を言ってないかと心配なのだが、3年前の女の子が来ると

 また、何年たっても同じ事をしゃべってる、と言われないか心配が増える

 で講義が終わって「良かった、お昼ご飯食べてなかった。」と部屋で弁当を分ける。彼女はいま2件目の料理屋で魚をおろす板前の修行中だ

 あと5年でサラリーマン相手の安くって旨い、食堂を出す。吉野家や餃子の王将だけが、日本の味ではない。と 僕の気の付かない事を言ってくれる。

 走っていると、歩いているほど遅いが、田んぼと山裾の間に、危険:感電注意と書かれた札が目につく

 農作業をしている人に、ご挨拶をして、これは何ですか?と聞くと「夜中に、イノシシが出よりますけ、電気、流してます」と

 じゃこの高いところの、升目の大きな網は?と聞くと「鹿です、はねてヨウ飛びます。高くないと飛び越えます。」と

 広島から1時間しか車で離れてないけど、鹿やイノシシの被害にあう農業なのだと思った

 猫の餌やりで裁判しているなんてニュースを聞くと、生活の背後に農村がある事を知ってるのかなと 思っちゃう

鹿とデート?

2010年5月16日 日常
 住んでる人には失礼だが、山の中の田舎道をジョギングしてたら、土曜の昼過ぎも、日曜の朝も、鹿に会ってしまった。 

 鹿に会うと言うのは、鹿は、一瞬、止まって僕を見る、すると僕も驚いて止まる。互いの目が合うと、パット鹿が駆け出してくれて、少しほっとする、

 土曜日の鹿は 道路、舗装はしてあるが車線もなく、車1台分の幅しかない山道2時間のジョギングで1台の車も通らない。の道の真ん中に居た。

 確か、去年もここで会った。少し懐かしい。自然は何時も暖かく迎えてくれると錯覚してしまう。

 日曜の朝の鹿は左手の山裾で「誰かが僕を見てる。」と思いジョギングを緩め地元の人に挨拶しようと顔を上げたら、鹿と目が合った

 すると、立ち止まって僕を見ていた鹿が駆け出した。鹿は僕を見ると瞬間的に止まるようだ。ホントかな?僕が鹿に好かれている事はないと思うが。
 名前が「本通り」と言うだけである、対応する「偽(にせ)通り」が有るわけではない。

 もちろん本屋が並んでいるわけではない。本屋が多いならブック街(ガイ)とか言いそうなものである。

 紙屋町(かみやちょう:と読む)からパルコを経て、三越、天満屋、それに仏壇屋、きっと仏壇通りと言うのでしょうなまでの 通りである


 昔はは紙を売る店が偉かったのでしょうな、紙屋町(かみやチョウ)、耳で聞くから 神谷、上谷(かみや)かとおもう。

 上谷(かみや)が有るなら、きっと(しもや)下谷(したや)もあるだろうと思うすると「貧乏をしても下谷(したや)の長者町、上野のかねのうなる音〔ね〕を聞く ...」を思い出す。

 妄想はともかく、今日から学生の5月病の予防に「今ごろになると、大学をやめる学生が増えるので」、収入が無くなるとこまる教授が学生にゴマをする合宿がある。

 その唐松の合宿に持って行くウイスキーとショットグラスを買いに、本通りまででたら学生に「先生。アッ先生」と3組9人に声をかけられた。合宿はもう 始まってる。

 粋な年増が「あらー、先生」なら良かったのに
 「来年は、就職でしょ、今、働ける会社は、営業か、老人介護でしょ。何か、ツマらん。」と言う

 「付き合ってる男の子は?」と聞くと「居るけど、真面目で、申し訳ないほど、良い人。」と言う

 「我慢して、営業や老人介護やるより、結婚でもしたら?相手は?」と聞くと

「2つ上で、就職してて、そんなに良い会社じゃないけど、堅実で、本人も貯金が趣味で、結婚して、家を建てるのが夢だと言う」とノロケではなく淋しそうに言う

 「先生、アタシ就職活動して、苦労して、我慢して営業するより、楽な方に行きそうで怖い。」

 「行っても良いけど、このまま、まじめな人と暮らすと、華やかな事から離れていく、どうしよう」と

 若いというのは、僕は羨ましいが、本人は大変そうだ

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