私も連れてって

2010年11月9日 日常
 月曜日の夕方、橋を渡って飲みにいく。雨上がりで暖かく熱燗よりビールが欲しい。
 ジョッキで飲むと飲みきれないので瓶ビールをお隣の先生と小さなコップでチョビチョビ飲む

 少し「ぬるい」おもわず口が曲がった。此れを見た店員がシバラクして「スイマセン、此れ飲んでくれます。」と代わりを持って来た 

 さっき「ぬるそう」だったから氷で冷やしておきました、時間がかかてスイマセンと、馴染みは助かる、

 気分がよくなりまた1本追加した。

 帰りに橋を渡って家にもどるとき学生にあった「先生、わたしも呑みに連れててて。」と

 可愛い子と呑みに行くのも楽しいけど、もう一回、呑むほど体力がない、今日はビールが1本多かった。


 
 集まったOBの方の中には私が退職勧告をした人が何人もいる。幹事も大変だろう。僕みたいなのを呼んじゃって

 雨後の竹の子のように出来た携帯電話のお店を作ったり潰したり、毎日のように荒技をしていた

 その頃、デジタルホンと言ってたのがJ=Phoneになりヴォダフォンになり、その頃に退職して 大学の先生になった

 今はソフトバンクと言う、営業の世界を終わって、学校にくると、何と平和な学園生活なのだろう、年を取った自分のキャパに会っているのかも

 当時はよっぽど当時の僕は酷かったのだろう

「浅井さん、どっかお悪くないですか?」「お痩せになって、元気がなくて」と2度ほど 癌じゃないかと 殺されかけた

 だれも先生が板についてきたと言わない
 広島のテレコムの同窓会が有った、12年まえに赴任をしたので入れてもらってる。懐かしい顔が幾つもある

 昔話がでて、赴任された時は何と言う人が来たんだろう、東京の本社もイイカゲンにして欲しいと皆思ったそうだ 当然だと僕も思う。

 中の一人が言うには「浅井さんに呼ばれて最初に言われたのが「君は55歳になる、給与が減額になる。子会社に行ってくれ。」だった」と7つは僕より年上だ

 しかも、その子会社の社長は浅井さんが兼任で実質は自分が対応する。「なんて酷い事を言う人だ。」と思ったと

 やってみると色々考えてクレテル、結果も良かった。でも「驚ろき」は覚えてる。と
床屋を変えると、浮気したような気分になるのは何故だろう。ブラジルに赴任した時に30年は前の話しだが床屋に困った

ポルトガル語も下手だったし、坊ちゃん刈りは困ると思うし、見かける床屋はきたないし、中々入れなかった

東京に居た時は子供の頃から通ってる 3500円の床屋から1000円に変えたのは、多分15年ほど前の新橋駅の半地下の店が出来た時だ。

それ以来、馴染みの床屋の前が通りにくかった。

今、家の側の1000円の小母ちゃんが長いが、家の側と言うと学校から5kmは離れてる、土曜と日曜は混んでる。

学校の側に1000円の店がある。平日に授業がない時間に行ける。ウジウジしながら漸く決心して行ってみた。

小母ちゃんが少し若いのと、店が綺麗だった、元の床屋のまえが通りにくくなった。

漬物

2010年11月5日 日常 コメント (1)
 旅行会社のオヤジが、「これ持ってて下さい。」と新聞紙につつんでくれる。

 今まで、酸っぱくって食べにくいと思ってた。でも今日は違った

 朝もらって昼に食べたら「旨い。」これは良い

 朝、もらう時に「学校に行くんでしょ。お荷物になりませんか?」「いや学校でお昼に食べますから」と貰ってきた

 お昼にワイワイ言っている学生に「誰か、ぬかずけ切って?」と頼んだら、シーンとなった。

 女学生が尻込みして、男の3年生が綺麗に糠を落として丁寧に切って皿に並べてくれた
 朝8時に娘をおこして、10時に学校に向かう。休みが一日有ると身体が楽だ。

 土手道を自転車で行くと、何故か走る人が少ない。「もっと居ても良いのにな?」と思ってて「アッツ イケナイ、市民マラソンの日だ。」と思いだした。
 
 毎年、インターナショナルスクールの外人の先生方と10kmの短いマラソンを走っていた。

 この上天気に走らないのは勿体ない。でも今年は申し込むのさえ忘れてた。

 「年寄りは無理をしない。」と記憶が身体をイタワッタのだろうと言い訳する浅井であった。

新幹線4時間

2010年11月3日 日常
 広島は東京から遠い、日本は飛行機で飛べば2時間もあれば何処でも行ける、後は飛行場と町の距離だ

 広島の飛行場は駅や中心街から1時間かかる、飛んでる時間は1時間とチョット10分程度だけど、座席に座ってすぐ飛び立つ訳ではない

 羽田から東京駅も30-40分かかる。すると4時間の新幹線を選ぶ事となる。揺られてビールを飲むと時間は過ぎる。

 それに4時間の新幹線が、たまに行く東京であった事を色々考え、自分を見直せる時間をくれるのかも
 次の日曜日が学習院とのラクビーの試合の日だった。学生の試合を見ようと目白に行った。

 なんと学園祭の日だった。現役の試合を見たが、シッカリ負けている。身体の大きさが首一つ大きい

 40年は前だが僕は1年から1軍になったので学習院との試合は大学時代でたことがなかった。

 当時はこの学校との試合は2軍の試合だった。 時代は変わる。キラビやかな雰囲気のなか、「今年から人工芝にしたんです。」と学習院のOBが言っていた

 

 

台風

2010年11月1日 日常 コメント (1)
 東京に出かける前日に、今回は台風でラクビーは中止ですとメールが来た。天気には逆らえない

 きっと先輩が「墓参りに来い。」と呼んだのだと勝手に思い込み、切符をキャンセルしないで東京に出かけた

 先輩の家は大森駅から歩いてスグ側だ、中学校の時の通学路の途中にある懐かしい景色だ

 大雨の仲を歩くと子供の頃に不二家があった場所がコーヒー屋に変わってる、あの頃 不二家のローストチキンが食べたかったとと思い出した

 霊前でこの話をすると「兄も好きでした。」と言われた。僕は中学校から一緒だと思ってたけど、小学校から大学まで同じ学校だった。
「あら、浅井さんも機械体操部?でした。」と言われて「やめて下さいよ僕は小学校から体育は2で懸垂も出来ません。」

でもお兄さんはは中学の校庭の鉄棒で大車輪をやって「カッコウ良かった。」僕は覚えてます。

「入れて下さい、」と 高校のラクビー部の部室覗いたらキャプテンでした「お前、大丈夫か出来るのか?」心配してくれました

大学に入るとまたキャプテンしてました。アルジェに行って、日本に戻って人員整理をしていて、自分だけ残るのは忍びないと会社やめ

パリに行って,フランス語やってもう一回アルジェに行くんだと言ってました。でも日本と国交が途絶え,入国できずに戻って来て

「浅井、手伝え」って言って山の中でラクビーのグランド作り始めました。癌でこんなに早くなくなるなんて 僕の2つ上だから64歳だ

雨で中止に

2010年10月30日 日常
授業がないけど、学校に行く。小雨だが家は定時にでる。家にいたら女房に迷惑だ。

自分の家だと頑張ってみても、 女房に子供の家なのだろう。亭主達者で留守が良い。は昔からの真実だろう。

言葉でいえ「留守が良い」はおかしいが、感じで言うと帰りを待つのが楽しい時も有るのだろう

大雨が降るかもしれないで東京のラクビーがハヤバヤ中止になった。行くと計画してたのに、申し訳ないが、墓参りをしに東京に行く事にした

仲裁

2010年10月29日 日常
 「先生、すこし間に入ってくれませんか?」と電話がなった。言い争いをさけよう明日も今日と同じで平和であればと言う思いかも

 白黒をつけないで「まあまあ、ここは、仲良く。」と仲が良くないくせに、取り繕う、呑み会でも設定して形を取り繕えば、心が出てくると錯覚してるのかも

 世界は色んな衝突があるから、進んでいく、武富士が潰れたり、銀行がサエナくなったりお金の関係の仕事がイマイチだ

 でもお金は欲しい。昨日と同じようにほしい、いやモット欲しい。人間関係も昨日と同じように平和であって欲しい、もっと仲良くなって欲しい

 随分贅沢だな、仲の悪いのと住んでると思わないと、近隣諸国とやってけない

 
 なるべく小さな声で、回答だけ、ボソっと言う。に慣れている学生さんが多い。長hベリはするが教室での発言は最小限ときめてるみたいだ

 で本人に喋らせるのだが、なんとも小さな声である。うまく言えないと自分からニヤニヤわらう

 「読んで。」と言うとまるで子供のように棒読みになる、

「おい、役者のように、寅さんに成りきって、「たった一人の妹にすまない」と言う気持ちをだせ。」と言うと困って黙りこむ

 お願いだから 講義を聴けば、口頭表現が高等になると思わないようにと祈ってる

遅刻に、怒らないようにしているのだが、そうも行かない時がある。大型たのスクリーンに映像を写す時だ

i-padからの映像はわりとよく映る でも途中でms-dos仕様のパソコンに変更するにはプロジェクタの電源を一度落として最初からやらないと映らない

そんな時に、遅刻した学生が「前回 俺出たのに欠席になっとる。」とか言って入って来ると

「大学で出席を取るから、イケナイノダ。」と思ってしまう。この手の学生は何でも甘えて先生に聞けば良いと思ってて

「俺、何回出た?」とか「いま。何処のページヤってる。」とか遅刻したくせに聞く。
ホットクト「先生、俺の友達、何所に座ってる?」と聞きそうだ。
 久しぶりに娘が病院へ行った。小学校の5年で肺炎になって以来だ。今は高校1年だから5-6年ぶりくらいの通院だ

 イソジンのうがい薬がみて女房が「止めてよね、パパも貰って来て使い切らないし、洗面所が汚れるし、古いのが一杯あるわ」と言う

 娘が「どうして洗面所が汚れるの?」というから「ガラガラ ぺってやるから飛び散るじゃない。」と女房、「ヘーっ」と娘がこたえる

 かまわずに何でも自分でさせてた事が裏目に出た。娘が「そうなの、薄めて飲んじゃないの このまずいの、吐き出すんだ。」と

 きっとヨードチンキも飲めるのかもしれない

広島は大都会ではない。古本屋の数はさほど無い。勿論BOOOK-OFFがあるが、あのケバケバしさは苦手(にがて)だ

で欲しい本、書いた人が今は神戸大学の人で、年は僕の1年間後輩にあたる、があるので「買おうかどうしようか?」迷って2度めに見に行った

すると、悪い人ではないが、すぐ「呑に行きましょう。」と酒が強くつかまるとと帰れない人の影が古本屋の入り口見えた、狭い古本屋なので姿が隠せない

諦めて、古本屋の前を通り過ぎて、最近できた丸善(閉店したが、戻ってきた)に新品の本を見に行った

しばらく本棚をを眺めて歩いていたら、また彼の姿が眼鏡の端に映った、今日はダメだ。また諦めて家に帰った。
 シドニーからメールが来た。色々なトラブルが起こる。シドニーに電話して内容を確認する

 仕方が無いから東京に出張中の人に携帯電話で呼び出しをかける。

 なんとも失礼な話だ、皆で話しているのに割り込んで僕一人に話をさせる電話なんて、と思ってしまう

 僕は電話会社に居たけど、電話で呼び出されるのがいまいち好きにならない。

 この年になると呼び出しの電話に良い話は少ない。朝一番や夜中のに携帯が鳴る時は、思わず「誰が亡くなったのかな?」と心配する


 朝の8時半に出ると、「先生、発表のプリント直したい。プリンター使ってイイ?」と可愛い子が来た

 「ダメ、プリントは配布済み、アキラメな」と答えると、「違うの、発表原稿なの、原稿が無いとしゃべれん。」と

 「仕方が無い。棒立ちして恥かいたら?」というと「早く着たのに。」と頑張る

 9時15分には開始だから8時45分には発表する部屋で準備をしないと14人のゼミ生の面倒が見れない

 「貴女一人を可愛がる理由は無い。」と僕もガンバル。彼女もUSBメモリーを手にして「この中にあるんです」とガンバル

 可愛くても後に引けない「字の書けないひとは諦めて」と発表室に向かう

 9時20分に遅刻してきて「イヤー えへへ。」と入ってきた男子が居たので「入るな。発表中だ。」と止める。

 最初の発表の15分が終わって9時35分に廊下に居るだろうと思って探しに行かせると、「先生、あいつ帰っちゃた見たいです。」と

 帰れる家のある間は良いけど親が可哀想だ

遅刻

2010年10月22日 日常 コメント (2)
僕は遅刻に寛容な方である、どうしても朝起きれないとか、化粧に時間のかかる子はいる。

でも遅刻が教室に入って来るたびに、講義を中断されるのは困る、ヒドイのは。「これ何の講義ですか?」と入ってくる。

ぼくは教室のドアを閉めないので、扉から半身を教室に入れてのたまう。「わからなかったら、帰りなさい。」と言うと

「xxの講義でしょ?」と聞く、「そうだけど、僕は遅刻を認めないから、今日は諦めなさい。」と追い返す

すると。またしばらくして遅刻が来る。これも「今日はダメだ帰りなさい。」と言うと「エーッ、こないだ良かった。」とゴネられる

「さっき怒っちゃったから、今日はダメだ。ゴメン」と僕が謝る。いずれにしても遅刻による中断は続く
2時間め 試験に入った時、「先生、座れん。」と学生さんが言い出した。「友達の席取るなよ。3人掛けは3人で座って。」としたが

「先生、座われんけ、隣の教室で試験しても良い。」と学生さんがいう。「ああイイよ。」と答えたが

オカシイな何でも座れないだろう。と座席の数を数えた。3人掛けが4列で12人それが12段あるから144人だ

「アッ イケナイ、この講義は199の聴講生だ、隣の教室1個分は足りない。」でも何となく試験を終った

今まで講義を4回したのに、どうして僕は気が付かないのだろう。

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