半年の留学を終えて、昨年末に韓国から帰って来た女の子が変わったお茶と辛いインスタントラーメンのお土産をくれた

 この女の子が来るというので、韓国から留学生の女の子が2人部屋にきて待っていた。

 久しぶりに、僕の部屋に韓国語があふれた。どうも言葉がキツく聞こえるのは僕が年を取ったせいなのかも

 6年ほど前に学校の先生になった僕は「韓国語をなんとか覚えよう。」と思ったのだが、気ばかり焦ってモノにならなかった。

卒論

2011年1月7日 日常
 毎年のことだが、卒論の締め切りが来週の11日だ。ゼミ生が14人いると、各自いろいろな言い訳がある。

 一人一人にああだこうだと良い乍ら(ながら)なんとか文章を今日、明日中に書かせねばならない。

 卒論は大学の最後ぐらい、自分の言葉で、自分の文章を書いてね。というだけのものだと思う。

 しかしコピー文化というか、人の真似する文化に浸かっている学生には自分の言葉が大変らしい

 かく言う僕も40年前に教わった古い論文の書き方を、そのままコピーして話している気もしてるが

 「若い君たちが、オジンと同じでどうする」と言葉だけは勝手な事を言って、朝から夕方まで久しぶりに学生さんと話して一日を終わった。
 お正月が終わったから寝酒というか晩酌を止めようと、また明日は朝が早いからと10時に寝た。

 すると夜中の1時に目が覚めて、眠れない、よく考えれば12月23日から毎日呑んでた。

 冷蔵庫に息子のビールが有ったので、失敬して。これは泡が良いけど値段がなー「息子も高いの買って」と思いつつ直ぐに寝た

 朝、学校に行くとお掃除のオバチャンに「先生、太った?頬がふっくらしてる。」と言われた。 

 困ったな次の試合は3月5日だ、寝酒を止めないと、デブで走るには重たい。
 昨日、岩国の五橋を誉めておいて、なにも黄桜はないだろう。と言われても仕方がないが、

 毎日1本(1瓶)買いに行くのだから、多少の目移りはご勘弁いただいて、浮気をしてしまった

 吟醸が旨いと削っている。削られた残りのは、安物の煎餅にでもするのカナと余分な心配をしているなかで「胚芽米仕込み」の文字にエコじゃないが引っかかった

 カッパ黄桜のルンパッパで育った世代である。また何か別の道を開いてくれるのかと期待して300ccを330円で呑んでしまった

 僕には量が多すぎで、夜中に喉が乾いて目が覚めた。でも残すと酸化してまずそうな気がして、1合の180ccで止められなかった

 お正月も今日で終わりだ
アンゴラに居たのは30年ほど前に成るのだろうか、アフリカの西海岸の赤道の下の少しくびれた辺りだ。

で思い出すと,アンゴラではワイシャツにアイロンをかけて着ているのが流行っていた。アロハは格下なのである。でもアフリカである。暑い。汗をがく

でもお洒落なのである。ワイシャツにアイロンをかける。日本から来た僕は「何と無駄な事を,どうせ汗をかくのに」と思っていた。

でも最近思い出すと「如何して無駄な受験勉強するんだ,知識は余っている。出来ないのは実行だけだ。」と

無駄な事に精を出すのはアフリカも日本も同じなのかも。

五橋

2011年1月3日 日常 コメント (1)
岩国のお酒らしい。有名でないかもしれない。高いのは旨いし、安いのはそれなり。の味だ。

でも180ccで220円だ。お酒である。今時は缶ビールも安いが1本では満足しない。それに僕は日本酒1合で満足してしまう

東京に居れば新潟や山形からお酒を持ってきてもよいが、広島に居るなら。運送費のかからない酒を呑むべきと思い始めた。

何もエコと言ってるのではない。価格と味を見比べて「醸造用アルコール」を出来るだけ少なく使っているお酒を安く呑もうというだけである。

雨後の月や獺祭を飲んでいて、値段と酔心地で、今は「五橋」にしようかと思うだけだ。JRの馬渡さんもこの酒が好きだった。
朝から青空で、風は冷たいが太陽がまぶしかった。元旦の昼に太陽の南中を目指し父母の墓参りに海に行った。

父と母は60年ほど前にこの広島で所帯をもった。僕は50歳で広島の生活を始めた。

父はガダルカナル島から撤退の船が撃沈され、パラオでも海に漂い、広島で結婚して夫婦で原爆を生き残った。

 両親とも「生き残って子供を産んで、70まで生きた自分達に墓や戒名が有っては死んだ人達に申し訳ない。」と言う気持ちに成ったらしい

 母が散骨を願い、父がお寺にお墓を返した。だから浅井家には墓が無い。その代わりに新年の挨拶を海にしに行く

 眩しい太陽が低く島影の上にある。薄い雲が一瞬よぎったがまた陽が戻った。日差しの中に亡くなった母の顔が浮かんだ気がした。 12時を少し過ぎてた。

「確か3つ目の橋を渡って左なんだけど,これかな?」と僕が言うと 「10年も同じ観音院に初詣するのに、パパは何時も道を心配するのね。」と女房がいう。

10年前に会った、お坊さんに毎年会える。お正月のお寺が混雑して、お堂に人が溢れてる。良い事だ。

そんなに大きくない、むしろ小さなお寺だ、でもお正月の1日の午前零時にこれだけ家族を集めて法話が出来るお寺が、日本に幾つあるのだろう。

僕はまだ女房子供に、この話だけはお正月に聞け。と言うほどの迫力がない。

でもこの鈴の僧正は日本で僕が会った初めて「あーこの人は宗教をしてる」と感じた方だ。

僕もいい加減だから真言宗のこのお寺にまいり、近所の日蓮さんで除夜の鐘をついた。これだけ安芸門徒、浄土真宗の多い広島なのに。

思う。

 図書館が年末しまるので、学校の司書さんに、「年越しの本を借りたいのですが、変わった本はないですか?」と聞くと
 
 「先生、此れ持ってて。サイズが会わないから仕舞いにくいし。うちの図書館に寄贈で送られて来ても分類にも気をつかうし。」と

 不朽のパートナーシップEnduring Partnershipと言う英語と日本語と併記の本である。しかも発行者が在日米国大使館である

 パラパラとメクルと全日空のポケモンジェットの写真と松井の写真があった。きっとこの2つは驚くに値する日本の逆襲なんだろうな?

 そう言えば、菊とポケモンの本にも全日空のジェット機は脅威として乗っていた。

 そうだこの菊とポケモンの本をもう一度読もうと思い出し市立の図書館に行ったら16人待ちでめげてしまった。

戸坂(へさか)

2010年12月30日 日常
 広島が出来る前の古い町であろう、そこにザ ビッグと言うスーパーがある、学校から北へ2Kmぐらいの所だ

 今はイオンの系列に入ってイオンカードの宣伝が流れてる、でも地元の古いスーパーだ。

 最近は綺麗なショッピングモールという光と清潔感にあふれる、買い物にならされれてしまった。

 天井の低い、ごみごみした、商品が通路にはみ出して、通る人とすれ違いにくい昔ながらの店に入ると懐かしい

 変化を求める心と、変化を求めない心、人間て贅沢だよな
 

雨後の月

2010年12月29日 日常
寿司屋の「とくみ」で寿司にあいます、と聞いた気がするので
早速,買いにいった

1瓶というtか1本180ccを337円という中途半端な値段で買った

昨日は自宅の夕飯がカキフライなので、油に合わないとイケナイと思い
食事中は呑むのをやめた

食事後、漬け物と柿の種で雨後の月をのむと、優しい良い味なのだが
柿の種には会わない。お醤油と漬け物で相性が良い気がした

やっぱり1合で寝てしまった

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 「先生、ご飯食べよ。」と3年前の卒業生が言ってきた「餃子の王将なら何時でも良いよ。」と言うと「やだ海の見えるマリオ」が良いと言う

 そう言えば給与を貯めて車を買ったと喜んでた「家まで、迎えに来てくれる?」と言うと「仕事が6時の終わりだから7時なら」と言う事に成った

 寒いので海辺のテラスは止めて室内になったが「先生、呑んで良いよ、私が運転するけ」と食事が始まった

 2時間ほどお喋りして会計するとき「先生、遅れて、ゴメンネ。初任給で先生を食事に招待する。って言ってて3年経っちゃた。」と

 この言葉を言ってくれる卒業生は多いが、実行してくれたのはこの子が始めてだ

八海山

2010年12月27日 日常
お酒である。180cc287円のアルミ缶は広島では見かけないが、1合瓶なら売っているのを見つけて1本(1瓶?)買う。

酒屋にして見ると「散々悩んで、出て入り、それで1合瓶を1つかよ。」と言う声が聞こえそうほどウロチョロした。

デパート3軒、三越、天満屋、福屋、と歩き、外に出て大和屋という酒屋にに2度目に入って、ようやく買った。

久保田も売ってるが高いし、浦霞はないし、広島の吟醸酒は麹の香りが強いしで中々買えない。

買っても1合飲めば、満足してしまう。300ccだと翌日に残る。次の日には、何か新しい味が欲しく成る。

でお正月まで1合瓶を捜す日が続く。
 メニューがない、蕎麦屋なんだろうけど、山奥ではないが、行きにくい場所にある。広島から車で古い山道を30分ほどだ。

 高速道路はもっと山の高い所を走っているが、側に出口がない。だから昔の山道をユックリ走る以外ない、

 この道は時速は20Km程で走るベキ道なのだろうが、都会の癖で40km以上だして走るとヒヤヒヤする

 一枚700円の笊蕎を2枚ほど頂く。蕎の味は文句の付けようがない。感激する。しかも添え物の、山葵が柔らかで、ネギが優しく柔、大根おろしが細やかだ

 只管(ひたすら)精魂込めた真面目な、蕎をどれだか旨く食べさせよう、水をどれだけ綺麗にしようと言う気迫にあふれてる

 蕎というより精神を頂きに来た感じがする 達磨(だるま)雪花山房というそれは近代建築の粋を集めた外人脅しの効く建物の気がした

 土曜と日曜と祭日しかやってない、昨日は雪のなか、スタッドレスなら、来られますよ、と電話で確認を取った友人に連れて行ってもらった

マウスピース

2010年12月25日 日常
 歯医者に行くと「浅井さん、唇をドウされました?」と聞かれる「昨日、60の爺さんのラクビーしましてブツかって少し切れて腫れてます」というと

 「健康保険でもマウスピースできますよ。」と嬉しい事を言ってくれる。頼む事にした、「歯の治療が終わってからですよ。」と少し先になったが

 つぎの試合は3月9日だから充分まにあう。ぼくは運動神経が鈍く、自転車でドブにおちて、ラクビーでタックルし損ねて、サーフィンで板にあたり前歯が4本ほどない

 だから市販のマウスピースだと歯に会わない、20年ほど前に一度、作ったがかなり高かった、それを無くしてから6年は経ってる

 体のアチコチが痛いが、回復している証拠ではないかと、勝手に解釈している。
 「浅井、赤いパンツで脇から入るな。目立つじゃないか」と3年先輩に言われる

 「成長の無い奴だな、学生の頃とちっとも変わってない」と続く

 でも目が笑っている60才を過ぎた年長組のラクビーだ、走れるだけでも、ラッキーと思うし、同じ様な年で、相手をしてくれる10数人がいるのも有り難い

 毎年会う顔もいるし2年ぶりの人もいる。古い冗談を真面目に喋っている人も、また懐かしい。

 オジン、若手OB、1軍、2軍と1日グランドで試合して100人ほどの集まりだ、若い学生さんを知ってる訳ではないが。40年いや45年前は僕も学生だった

黄檗

2010年12月23日 日常
 朝7時の新幹線で京都へ、奈良線の快速に乗り、六地蔵まで、各駅に乗り換えて黄檗まで

 電車が単線で、すれ違いの為に駅で対向車を待つなんて、この時代にあるのかな?と思いつつ、気持ちは急ぐが、電車は15分に1台だ

 宇治のグランドとよぶ天然芝のラクビー場についた「早く着替えてて下さい、スグ始めますから。」と

 学生の試合は12時半からだがオジンの50歳以上の年長組はその2つ前の試合だたかだか10分ハーフ、つまり10分を2回駆けるだけだが、この為に

 毎週末、広島の土手を走っていた
 男子の学生さんは母親が大事に大事に育てている。少しでも世の中の荒波に当てないようにと気を使っている

 だから運動部でもないのに「此れをやれ。」とか「そんな事も出来んのか。」とシッカリ、言うと彼らには語気強く言われてと思い逃げてしまう

 逃げても、彼らには「ひきこもり」と言う手がある。引きこもっているうちに、周りが処理してくれる

 学校の先生に取っては、一人の学業の成績がどうのこうのより不登校問題のほうが比重が大きいようだ

 学生ばかりに 文句を言ってもしかたない 日本の政治家にも引きこもりみたいな人もいる


 雨だったので、年寄りは風や雨に弱いから、大事を取って、電車に乗った。バスで190円で電車で200円の距離5Kmの通勤だ

 バスでもも良いが10円高い電車にのると、贅沢と言うか、体を労った(いたわった)感じがする

 10円で幸せになれるのはそうない。で8時12分本通り始発に乗るとガラガラで一両に僕ともう一人、同じくらいの年齢のオジンだ

 何処かで見た顔だと思ってたら、こないだ教授会で見た大学の事務長だった。

 降車のホームで挨拶して「もう何年になります?」と聞いたら「今年、転任してきました。」と言われてしまった。

 随分長い間、僕が教授会に出てない事がバレてしまった。

 I-podを聞き乍ら(ながら)走っていたのだが、どうも音楽とか英語とか流れていると何となく走るのが馬鹿臭くなる

 やっぱり走るときは何も聞かない方が良いとなり、いま走るときは風の音を聞くようにしている

 昨日は上天気だった。走ろうと思って家をでたのだが、朝飯をゆっくりタップリたべたので、お腹が止せと言う

 仕方が無いので10kmほど歩いた。歩くと色々考える?自分の人生の事、学校の事、机で考えるより正しそうだ

 明治維新が正しく?出来たのは 東海道を歩いて往復したからでは と足をほめるのはほめ過ぎかも

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