卵は一日一個 小春日和 水曜日
2021年1月20日 日常 コメント (4)1)つい最近まで 卵は一日一個まで と 言う 言い伝えが有った気がする
でも 最近は 解禁に成った らしく 毎朝 目玉焼きが出て来て 昼の饂飩も卵とじで
夕方にすき焼きで卵をつけて食べることに 抵抗が無くなって来た
2)でも 僕の60年くらい前の記憶は違う
隣の家が 鶏を飼っていて (東京の羽田と蒲田の間なのだが)
「あそこの家は 買わずに 毎日 卵が食べれる」って羨ましかった 時代に 僕は育った
僕の家は 東京の大田区の 羽田の側の 玉蜀黍畑の脇の 小さな開業医だった
3)近くには 商店と言う物が 一軒しかなく 酒屋と乾物屋が 一緒に成った 店だった
その酒屋に 付けで 買い物を するのだが 毎月の月末の支払いに 困ることもあった
小憎さんが「払って下さいよ」と母をさわるので 母が嫌がっていたのを 思い出す
4)ある日 母の顔が変わっていた ご飯のお櫃(ひつ)を 脇に抱えて
「今日は これしか無いよ」と 言って お櫃(ひつ)に 生卵を 1ッ個 割って お醤油を かけて
一家4人で 食べた 記憶がある
その時は 食卓に会話は 無かったと 思う
でも 最近は 解禁に成った らしく 毎朝 目玉焼きが出て来て 昼の饂飩も卵とじで
夕方にすき焼きで卵をつけて食べることに 抵抗が無くなって来た
2)でも 僕の60年くらい前の記憶は違う
隣の家が 鶏を飼っていて (東京の羽田と蒲田の間なのだが)
「あそこの家は 買わずに 毎日 卵が食べれる」って羨ましかった 時代に 僕は育った
僕の家は 東京の大田区の 羽田の側の 玉蜀黍畑の脇の 小さな開業医だった
3)近くには 商店と言う物が 一軒しかなく 酒屋と乾物屋が 一緒に成った 店だった
その酒屋に 付けで 買い物を するのだが 毎月の月末の支払いに 困ることもあった
小憎さんが「払って下さいよ」と母をさわるので 母が嫌がっていたのを 思い出す
4)ある日 母の顔が変わっていた ご飯のお櫃(ひつ)を 脇に抱えて
「今日は これしか無いよ」と 言って お櫃(ひつ)に 生卵を 1ッ個 割って お醤油を かけて
一家4人で 食べた 記憶がある
その時は 食卓に会話は 無かったと 思う
コメント
羽田と蒲田の間というと、糀谷とか萩中あたりでしょうか。
いまはもう畑は見当たりませんね。
終戦後10年くらいのことでしょうか。
高度成長前の日本はどこも大変でした。。。。
そういえば、卵は一個まで!って言われてましたよね??
あれはなんだったのでしょうね??
蒲田と羽田の間…今じゃ畑は勿論見当たらない上、あの辺り随分変わりましたね。
私も祖父母の家の最寄駅が立会川か大井競馬前だったのですが、今行っても全然変わってしまって。昔東京湾でハゼ釣りしたり、大井埠頭で凧揚げしましたが…。
今やマンションや会社や倉庫や。
そういえばしばらく浜松町からモノレール乗っていないです。
でも、健康オタクの美容室の方に聞くと、
たんぱく質だから、もっと食べた方が良いと。我が家の卵消費量は、増えました、笑
年寄りの昔話に付き合わせてゴメンナサイ
住所は 大田区萩中1−4−5でした 最寄りの駅は 糀谷でした
立会川は 当時の文化的に進んでて お習字と 算盤に 立会川まで
通いました
ハゼ釣りも 潮干狩りも しました
海苔の シビ(ささと網でできてる 養殖用の網)もありました