古い blogを整理してた 14年前の blogです

1)僕は高校と大学は課外活動として ラクビーをしました。

先週大学のラクビーOBの集まりが あり 広島から東京まで出かけました

高校も大学も 体育会系でありますが 両方とも 民主的なクラブで、

1年生の時から 誰からも「浅井、ボール磨け」とか「早く来てグランドに水を撒いとけ」とか言われませんでした。

と卒業して33-4年経って先輩に話をした。

2)すると先輩がニコニコして 言うのには

「浅井、お前がやらなかっただけで、俺たちがやってたよ。部員が少ないし、俺達はラクビーさえ出来れば、楽しかったから、後輩に雑用をさせようと言う気は無かった。」と言われた。

 3)すると同期が「お前だけだよ、先輩がやってるのに手伝いも、しないし『代わりましょうか。』も言わずにボール蹴って遊んでたの。」

4)僕が 「エッツ そうですか 言ってくれれば遣ったのに」と言うと 

同期が言うのには

「だから会社を3つも代わるのじゃ無いか? そんな気のつかない奴に、手間隙かけるより

自分でしたほうが早い。」と思うのだよと続いた。

5) 確かに40歳を過ぎて別のクラブで再びラクビーを始めたら。

最初に出て行った日に 50歳の先輩が「浅井。ボール磨け」て言うのに驚いた

コメント

naochan
2020年9月15日18:03

なんか、微笑ましいクラブでしたね。
良いですね。

ピーターパン in Japan
2020年9月16日1:12

yasaiさま
夫さんの大学時代のクラブは端艇部(ボート)で、ここもかなり民主的で、父がコーチを1年だけやっていて先輩としてかなり関わっていたので私たち家族が頻繁に瀬田川に通ってました。当時から体育会系でも考える頭脳集団が多く、ボート部の日誌でも「思考こそが最大の敵。漕ぐ時は何も考えるな」というナウマンさんというあだ名の人の意見がうけて以後「ナウマン哲学」が採用されたとか云々。まあとにかくそんな雰囲気で争いが少なく、夫さんも結婚してから、回想するときは
「隣の艇庫は私立大学であったがいつも後輩をしかりつける声がしていた」と言います。
今は常にトップは私立大学が占めてエイト(八人乗り)は廃れた感がありますが「民主的」なクラブでもそれなりのポジションにいたのが不思議であり羨ましかったです。 
私が大学一年まで試合に通っていたんですが、試合後の残念会?で選手の一人が「常に僕はボートと勉強のはざまに立ち悩み苦しんだ」と言った選手がいて、なんだか応援といってもチャラチャラな存在だったような気がして急にいかなくなりました。そんなストイックさも好きだったのですが。

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