広島 骨を撒きに 土曜日 晴れ
2020年8月22日 日常1)僕の父母は 原爆のとき 広島に 居た
戦後 食えないので
無医村を訪ねて 田舎をまわり を していた
でも 農協もでき 米穀通帳で お米が手に入るようになり 東京にでた
その時は 僕は2−3才だ だから ぼくの 記憶は 東京からだ
2)でも 親父もお袋も 所帯を初めて持った 広島が好きだった
3)テレコム言う会社で 37才から 営業をして50才に成った
すると 社長から お呼びが
「君は 東京本社でズートで仕事をしてきている 」 と 言い出し
『本社だけでは ダメだ 日本の地方を知らないと 日本がわからない』 と言うので
ならば「広島にして下さい」 と 頼んだ
すると暫くして社長が 廊下ですれ違った時に
「おい 辞令は いつ出せば良い」と 聞かれたので
「親父が あと 半年で 死にますから それ 終わってから」 と お正月に 言ったら
親父が 4月に亡くなって 6月に 辞令を 出してもらった
4)広島に赴任して 最初の日曜日
親父と お袋の 遺言どおり 骨を 海に撒きに 出かけた
戦後 食えないので
無医村を訪ねて 田舎をまわり を していた
でも 農協もでき 米穀通帳で お米が手に入るようになり 東京にでた
その時は 僕は2−3才だ だから ぼくの 記憶は 東京からだ
2)でも 親父もお袋も 所帯を初めて持った 広島が好きだった
3)テレコム言う会社で 37才から 営業をして50才に成った
すると 社長から お呼びが
「君は 東京本社でズートで仕事をしてきている 」 と 言い出し
『本社だけでは ダメだ 日本の地方を知らないと 日本がわからない』 と言うので
ならば「広島にして下さい」 と 頼んだ
すると暫くして社長が 廊下ですれ違った時に
「おい 辞令は いつ出せば良い」と 聞かれたので
「親父が あと 半年で 死にますから それ 終わってから」 と お正月に 言ったら
親父が 4月に亡くなって 6月に 辞令を 出してもらった
4)広島に赴任して 最初の日曜日
親父と お袋の 遺言どおり 骨を 海に撒きに 出かけた
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