75年前の 父母の 話しを 書いてる

(1)玉音放送

父には 終戦の時の 玉音放送の「 忍びがたき」の 記憶が無かった 

言いたく無いのか 忘れたいのかと 思ったて 聞いてみたが  違って

官舎の裏の防空壕に  大竹や 呉から 顔見知りの 衛生兵が訪ねて来てくれ

玉音放送の 有る事は知ってたし 内容は 負けたと言う事を言うのも知ってた

広島の大本営は お城に有ったし  将校だから お城の大本営まで 行ったのかも知れない

岐阜の田舎に返した母とどう会うのか 自分が どうやって 食べるのか

 名古屋の実家にどうやって 帰ることしか 考えてなかった

(2)俺たち国民は 戦争で何回も 天皇陛下と 言う言葉に 騙されてるよ

兵隊さんが 戦場で 恐くなって どうして良いか解らない時に ワーって言って塹壕から

飛び出して 相手に 打たれるのだよ 打たれる方も 危ないのは 解ってるから

やけっぱちで 死んでも良いと 思って出てくのだよ だから 天皇陛下万歳って 叫ぶのだよ

この言葉を 聞く度に「アーまた死んで行った」と 思って 

俺は卑怯かも知れないが 防空壕の中で縮こまってたよと

でも 格好が悪くって 困った時が 後で考えると 良い時なのかも知れないよ と




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