36年前の話しである

(1)海外で通用しても日本ではね

36才で 住友商事で ブラジルと アフリカと イ

ンドネシアとシンガポールを 回って来たから

僕は 海外で通用するから 大丈夫だと 思ってたら

サラリーマンは 気楽な家業とは 行かなかった

国内の出向ってのが 有って 

7人の爺捨て山みたいな 会社の しかも 一番下っ端なのだ

作業は 親会社の割引契約なのだ  

英語もポルトガル語も 必要ないのだ

(2)身寄りが無い

で 頼み込む 上司が居ない 「ネー 貴方の指示通り働いてたから 救ってよ」と 頼れない

色んな部署の仕事をしていたが 僕がお願いすれば聞いてくれる

コレ一つと言う上司が居ない 

親に愚痴を聞いてもらう年は過ぎた

仕方が無いから  ラクビーのグランドに 戻った

高校に 顔を出すと OBも居ないし 学生さんも「何だろね この オジンは?」と 言う顔だ

(3)大学のグランドに顔をだすと

学年が4つ上の 弁護士に成った先輩が 監督をして居た

会社で何か有ったか? と 直球で 聞いてくれた  ウレシかった

愚痴をひとしきり 聞いてもらって ホットした

大きな組織は 一人の力じゃ動かないよ と 言われてみれば 当たり前だ

それに アフリカ ブラジルって 威張るなよ とも 言われた

(4)そこへ 15年上の先輩が グランドの脇で 着替えてる

驚いて エッ 学生と走るのですか? と聞くと 

違うよ 学生さんは 俺たちみたいな 年寄りは 相手にしてくれないよ

それより 不惑って40才から入る ラクビーが有るから 少し早いけど おいでよ

次の 日曜日は 松戸の自衛隊のグランドだよ と

(5)松戸の自衛隊なら 行けます

松川さん(多分昭和25年 卒)の お蔭で合宿させて貰ったので 覚えてますと

次の週から 走らせてもらう事に した でも 直ぐに は 走れない

半年程して すこし 走れるようになると  あばらの骨をおり

腿の肉離れもあり  見に行ってるだけで 走れない日が 1年は続いた

でも 土曜日と日曜日は 別の場所で別の事が出来ると ホットした


頭ばっかりでも 体ばっかり でも ダメよね と 言う 歌が 身にしみた



 

コメント

naochan
2020年7月24日10:38

オンオフの切り替えが大切なんですね。

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