九州は 洪水被害だ 広島は何とかもってる

60年前の話しだ

小学校6年で 慶応の中学を受験した 

三田は落ちたが志木が2次の面接の通知が来た

僕の家庭教師(小学校の教頭先生)が5年6年と僕を見てくれた 高梨先生と言う

喜んで 喜んで「慶応の 面接は 親の面接です」 頭が良くても 

妾(めかけ)の 息子を 入れないように 両親を呼ぶのです

貴方がた は 開業医で 夫婦で 医者なので 落ちる訳が ありません

と 太鼓判を 押してくれていた  でも 落ちた

理由は 夫婦仲が 悪すぎる 別居してるのが 見え見えだった らしい

家庭教師が 怒った怒った 夫婦のゴタゴタで 息子の将来をダメにするのか と

そんな事を 言っても 父と母は僕が小学校4年の時から別居だ

父親が 看護婦に手をだして 我慢出来ない 母が 僕を連れてでた

だから面接の時は母と僕が 大森から 電車で

父は 車で蒲田から 志木までで きて 学校の前で 父と会った

家を出た日の事は まだ 覚えてる

「洋ちゃん 教科書つめな」 と 母の目が怒ってる 

言われる通り ランドセル背負って 母と二人で 家を歩いて 出た

蒲田の(萩中)の家から 大森の 冠状7号と 国道2号の立体交差の 側に 越した 

まだ 立体交差もなくて 寂しい 品鶴線と言う 貨物の 鉄道が 通ってた

大きな 木の沢山 茂った 家の 裏側にある 日当りの今一の アパートだった

コメント

loving-c.
2020年7月7日20:19

志木にいらっしゃったことがあるのですか。
志木駅はよく利用します。
慶應志木は、私の家から最も近い名門私学の1つです。
(立教新座も、慶應志木と同じ東武東上線の志木駅を使います。)
でも慶應志木は、小学校・中学生時代の私には敷居が高すぎる感じがして、
受験する気になれませんでした。
川越にある高校に通っていた頃、
たしか文化祭の宣伝か何かで1度だけ慶應志木のキャンパスに
行ったことがあります。

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