蕎麦の売り込みの電話が 長野から あって 毎月1回は 日本蕎麦を家で食べてた
でも 子供も東京に出て居なく成り 今は夫婦2人なので
2ヶ月に1回程度 食卓に出て来る
食べながら アフリカで食べた 蕎麦ガキを おもいだした
蕎麦でないかも知れないが 小さな雑穀の食べ方は世界でこでも同じなのだろう
小さな実を 石で挽いて 外の皮をとり 粉にして 捏ねて 湯がく のだろう
アフリカでは100kmも車で走れば 高原に出る 出ると奥地で 泊まらないと帰れない
高原の そこの家で夕食をご馳走に成る で 出してくれたのが
そばがきだった 日本にも同じの有るよ と 言うと 喜んでくれて
俺たち アフリカは 遅れてる と 思ったし ヨーロッパの奴は 馬鹿にしてたけど
日本人は違う 日本人が来たら 同じ物 食べてる と 言ってくれた
革命して 独立して 良かった と 繰り返し 繰り返し 手を握ってくれた
今 そばがきを 知らない 若い方も 多い
多分 貧しい戦後を知ってる僕らの強みかも 知れない
でも 子供も東京に出て居なく成り 今は夫婦2人なので
2ヶ月に1回程度 食卓に出て来る
食べながら アフリカで食べた 蕎麦ガキを おもいだした
蕎麦でないかも知れないが 小さな雑穀の食べ方は世界でこでも同じなのだろう
小さな実を 石で挽いて 外の皮をとり 粉にして 捏ねて 湯がく のだろう
アフリカでは100kmも車で走れば 高原に出る 出ると奥地で 泊まらないと帰れない
高原の そこの家で夕食をご馳走に成る で 出してくれたのが
そばがきだった 日本にも同じの有るよ と 言うと 喜んでくれて
俺たち アフリカは 遅れてる と 思ったし ヨーロッパの奴は 馬鹿にしてたけど
日本人は違う 日本人が来たら 同じ物 食べてる と 言ってくれた
革命して 独立して 良かった と 繰り返し 繰り返し 手を握ってくれた
今 そばがきを 知らない 若い方も 多い
多分 貧しい戦後を知ってる僕らの強みかも 知れない
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