もらい湯 火曜日 午後から雨 夜あがる
2020年5月26日 日常 コメント (2)幼稚園に行く頃に 東京に出て来た
父が30万円で土地代金込みで建ててもらった 浅井医院には
看板はあったが お風呂が無かった
昭和28年ごろ 70年ほど前の事だ
で 春は麦畑 夏はトウモロコシ畑をぬけて 鉄工場の 相川さんに
母に手を引かれて お風呂をもらいに行った
父は(子供心に分からなかったが 多分 遠慮して) 庭でたらいで体をこすってた
五右衛門風呂と いって お風呂の下に スノコが引いてあった
今は 女房と僕しか入らない風呂だ 72歳になって 初めて お風呂って 出る時に
中の 水滴を 落とす為に ぞうきんで 水滴を 拭き取るのだ と 言う事を 知った
随分と 女房に 世話になってたんだと 思った
父が30万円で土地代金込みで建ててもらった 浅井医院には
看板はあったが お風呂が無かった
昭和28年ごろ 70年ほど前の事だ
で 春は麦畑 夏はトウモロコシ畑をぬけて 鉄工場の 相川さんに
母に手を引かれて お風呂をもらいに行った
父は(子供心に分からなかったが 多分 遠慮して) 庭でたらいで体をこすってた
五右衛門風呂と いって お風呂の下に スノコが引いてあった
今は 女房と僕しか入らない風呂だ 72歳になって 初めて お風呂って 出る時に
中の 水滴を 落とす為に ぞうきんで 水滴を 拭き取るのだ と 言う事を 知った
随分と 女房に 世話になってたんだと 思った
コメント
懐かしいけど お金も 物も 無かった時代で
お袋は 酒屋(醤油 味噌)の 掛け取りが 来ると また 来月まで 待ってね
と 言い乍ら 悔しそうに 下向いて 手ぬぐいで手を拭いてたのを 思い出します