幼稚園に行く頃に 東京に出て来た 

父が30万円で土地代金込みで建ててもらった 浅井医院には

看板はあったが お風呂が無かった

昭和28年ごろ 70年ほど前の事だ 

で 春は麦畑 夏はトウモロコシ畑をぬけて  鉄工場の 相川さんに

母に手を引かれて お風呂をもらいに行った 

父は(子供心に分からなかったが 多分 遠慮して) 庭でたらいで体をこすってた

五右衛門風呂と いって お風呂の下に スノコが引いてあった

今は 女房と僕しか入らない風呂だ 72歳になって 初めて お風呂って 出る時に

中の 水滴を 落とす為に ぞうきんで 水滴を 拭き取るのだ と 言う事を 知った

随分と 女房に 世話になってたんだと 思った

コメント

マサムネ
2020年5月27日8:52

もらい湯とかもらい水とか調味料の貸し借りとかとても人情味溢れる時代でしたねえ。私の小さい頃は酒屋さんの御用聞きが毎日来てましたもの、懐かしの昭和です。

yasai
2020年5月27日20:17

マサムネさま
   
 懐かしいけど お金も 物も 無かった時代で

お袋は 酒屋(醤油 味噌)の 掛け取りが 来ると また 来月まで 待ってね

と 言い乍ら 悔しそうに 下向いて 手ぬぐいで手を拭いてたのを 思い出します

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