名古屋で入隊し ガダルカナル パラオと 転戦(撤退)して

パラオで マラリアに罹り(かかり)寝ていて

インパール作戦に同行できずに  命拾いをした 父は

息子(僕)が 生まれたのが よほどウレシかったのか 

30年満期30万円の生命保険を 駆けた

月額の掛金は500円ぐらいだった  と言ってた

でも 原爆の広島では 勤務も6月からで8月に原爆と知り合いも少ないく 地縁もなく 

名古屋の地元も 義理の長兄と折り合いが 悪く

お袋の 実家の 岐阜県恵那郡加子母村に 相談しに 行くと

その山奥の 大野郡 朝日村が 無医村だったので 

そこだったら 給与も食べ物も 家もあると 言うので 3年程くらした

でも2年目からは 給与が出なくなり 保険金の支払いに苦労した と

それが 30年経って 30歳の息子に 30万の「小遣い」にしか 成らなかった

30歳の息子は 生意気で 家にも寄り付かん 

あの 当時500円を毎月払うのが どんなに 大変だったか と

父は 言っていた 

そんな 事もあり 僕は 一切の保険に 今でも 入って居ない

住友商事に 勤務していた時は 住友生命の 叔母ちゃんが

社内をウロウロしてたので えらく毛嫌いされた 気がする





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