学級委員を首になる 母と暮らせば その4
2019年10月16日 日常 コメント (1)小学校の3年の 春の 60年前の話しだ
1)3年生になり 組み替えがあり 3年から学級委員を選ぶ事になり 僕が選ばれた
2)今迄は お爺ちゃん先生だったが 3年の 新しい担任の先生は
算数と体育を両方教える 若い方だった
3)ある日 算数の時間に 「今日の算数は校庭でやる 運動靴を履け」と
まだ 靴下をはけない子が何人か居て 僕の家は 靴下を買ってもらえたが
僕は靴下をはかないで頑張ってた
小さい頃 綺麗な靴下が欲しいと 母に言ったら 母は下向いてしまった
家が医者なのに お金が無いのかなと 思ったけど
周りはもっと お金がなくて 日本が貧しかったときだ
だから 体育の授業なら仕方ないが 算数の授業で 新しい運動靴が汚れると 思った
4) 先生の言う 算数と体育を一緒にした ゲームは
チーム分けした 5人で リレーをして 先に着いた方が 点数が高い
何点か溜まると 1回 お休みして見ててよい と 言うものだった
5)で 僕は 足の速いのを4人集めて その4人に まず走ってもらい 得点して
5人目の僕が 走る前に 得点と一回休みの権利を 僕らのチームが毎回とるようにした
僕は 走らなくても 必ず 勝つので ジャングルジムの上で 座ってみてた
6)すると 其れを見つけた 教師が おっかない形相で 下から あご上げて 詰め寄り
「学級委員が サボるのは 良く無い 委員を辞めろ」と
7)言い返せない僕は 次の日から 学校のまでは行くのだが 教室に入るのが嫌だった
今で言う 不登校になった
8)朝は 学校まで 歩いて行って 学校の前の駄菓子屋が開くのをまって(1時間目の終わりくらいに 開いたと 思う)
小遣いの5円で パンは 買えなかったけど
麩菓子のような ものを食べ お昼ご飯ごろ 学校の裏で ウロウロしてると
給食の 残りの パンとかミカンを 友達が 僕を見つけて 持って来てくれて
学校と線路の脇の小さなブランコで過ごし 2時頃 家に戻って行った
1)3年生になり 組み替えがあり 3年から学級委員を選ぶ事になり 僕が選ばれた
2)今迄は お爺ちゃん先生だったが 3年の 新しい担任の先生は
算数と体育を両方教える 若い方だった
3)ある日 算数の時間に 「今日の算数は校庭でやる 運動靴を履け」と
まだ 靴下をはけない子が何人か居て 僕の家は 靴下を買ってもらえたが
僕は靴下をはかないで頑張ってた
小さい頃 綺麗な靴下が欲しいと 母に言ったら 母は下向いてしまった
家が医者なのに お金が無いのかなと 思ったけど
周りはもっと お金がなくて 日本が貧しかったときだ
だから 体育の授業なら仕方ないが 算数の授業で 新しい運動靴が汚れると 思った
4) 先生の言う 算数と体育を一緒にした ゲームは
チーム分けした 5人で リレーをして 先に着いた方が 点数が高い
何点か溜まると 1回 お休みして見ててよい と 言うものだった
5)で 僕は 足の速いのを4人集めて その4人に まず走ってもらい 得点して
5人目の僕が 走る前に 得点と一回休みの権利を 僕らのチームが毎回とるようにした
僕は 走らなくても 必ず 勝つので ジャングルジムの上で 座ってみてた
6)すると 其れを見つけた 教師が おっかない形相で 下から あご上げて 詰め寄り
「学級委員が サボるのは 良く無い 委員を辞めろ」と
7)言い返せない僕は 次の日から 学校のまでは行くのだが 教室に入るのが嫌だった
今で言う 不登校になった
8)朝は 学校まで 歩いて行って 学校の前の駄菓子屋が開くのをまって(1時間目の終わりくらいに 開いたと 思う)
小遣いの5円で パンは 買えなかったけど
麩菓子のような ものを食べ お昼ご飯ごろ 学校の裏で ウロウロしてると
給食の 残りの パンとかミカンを 友達が 僕を見つけて 持って来てくれて
学校と線路の脇の小さなブランコで過ごし 2時頃 家に戻って行った
コメント
でも、厳しいけど、ちゃんと叱ってくれるいい先生。
給食の残りを持ってきてくれるいい友だちにも恵まれて、不登校はいつまで続いたのでしょうか。
yasaiさんの日記を読むのが、毎日楽しみです。