タピオカの 続きで 申し訳ないが  

僕は 20才台の後半に ブラジルに3-4年いて

30才台の始めが  アフリカの アンゴラと言う国に3-4年居た

そのアンゴラの 主食(お米代わりの 餅みたいなのが) キャッサバの粉から 作った

フンジ なのだ 味も無いし お米を潰して オジヤにした様な 其れを ちぎって 食べていた

あまり美味しく無いないし 玉蜀黍(トウモロコシ)の粉もかかってた

70歳になり 少しづつ 昔の事を 思い出してると

今の タピオカの お店の前で 涙ぐんで しまう 

情けない 老人に なっている 自分が 居た

コメント

都わすれ
2019年9月4日18:57

広島から一歩も出たことがなく、
地平線も水平線も見たことのない私です。
先生の、これまでの人生をうかがうのが
楽しいです。(^-^)

yasai
2019年9月5日15:52

広島に戻ったのは 父母が亡くなってからです

広島で 結婚した 父母は 三男と三女でしたので

新憲法のもと 新しい所帯を 持てた事が 嬉しかった みたいです

僕は殆ど 東京の田舎(海辺)で 育ちましたが

父母は 新生活を始めた 広島が 懐かしかったようで

広島に 呼んでくれた 気がしてます

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