広島に 帰って来た 息子を 待って

原爆資料館の 出口に 居た 僕は 怖くて見に行けない

原爆の事は 父母から聞いているので

もう一度 記憶を新たにしなくても

忘れた方が良いと 思っても 忘れられないから  口だけで 忘れたと 言う

で家に帰って coffeeを 飲んだ 明日 東京に帰ると

 

コメント

都わすれ
2019年5月2日10:58

父は福山。母は呉。
いずれも広島に移り住んだのは戦後です。
私は広島生まれの広島育ちなので幼い頃から原爆のことを
学校や近所の方から教えられて育ちました。
当時15歳の母も大きなキノコ雲を呉から見たと言っていました。
夫の母は被爆者で、夫は二世です。
8月6日、黙祷を捧げながらお会いしたことない理不尽な目に
あわれた方を思い毎年、悔しかったであろうと涙がでます。
原爆資料館、私も怖くて行けません。

まるこ
2019年5月2日12:30

私が丁度広島へ行った時、資料館はまだ工事中でした。
中学生時代遠い群馬にも「原爆の悲劇」という写真展が高崎市内の学校に順番に回ってきました。言葉が出なかった衝撃を覚えています。
長崎へ行った時も広島へ行った時も原爆で亡くなられた方にお祈りを捧げられた事が私に出来るせめてもの慰霊な気がしました。この国が最初で最後の被爆国であるように、世界中から核兵器が根絶されることを切に願います。

追伸。平和記念公園でワンちゃんのお散歩させている先生にお会いできないかしら??とキョロキョロしていましたが、残念、ワンちゃんのお散歩させている殿方はいらっしゃいませんでした。

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