1)昨日 川沿いの 大学からバスで街中に 戻った 午後4時頃だった

有名私立の制服を 着た 小学2-3年生が 12−3名 ゾロゾロ と バスに乗って来る

2)小学校から 近いバス停だが 小学校の門からは離れてる    バス停を4つ程行き

お屋敷町で 殆どの子が降りる 残った2名も 平和大通の手前で 降りる

3)女房と話すと 「塾じゃないの? 学校終わったら 直ぐ行ける様に 学校の側にあるのよ

塾って 」と 言われた そうかも知れない

4)勉強って自分がしたい時に しないと「何とかちゃんも 行くから」って 

勉強しても意味ないな と 思うけど 時代が違うのだろう

5)で偉くなって 官僚になって 国会の答弁で 堂々と 「訳の分からない 事を言う」のが

立身出世の道なのかな

昨日見た 小さな子供は 女の子の方が 多かった 気がするが

6)でその 官僚を使うのが

今回の岸田さん で 2浪で東大を諦めて 早稲田で 父親(官僚・代議士)の後を

ついで 首相なのだ 小さいうちから  あまり方向を決めなくても と 思う

1)可愛い清楚な感じの 大学4年生である

卒業が間近で「好きな事して 良いのだよ」 と 言われても

今まで 勉強しろ 他人と競え 以外の 事を 言われてない 学生さんは 可哀想だ

仕事の面折に 行くと 「嘘つきだな、この人達」と感じてしまう らしい

2)「明日から(来年3月で)大学は終わりですよ 社会人です」と 

説明会では 聞いては 居たが 就職の紹介先は 行って見ると

自分に あってるとは 思えない

3)しかも 周りは 適当に 就職決めて 居るのに

自分は どの職種の どの仕事に ついて良いかも 分からない

4)父母にそうだんしても 就職のコネはなさそうだし

頼りになりそうな 男の子は 皆無だし 

まして 専業主婦で 良いと決めても  相手が居ないし

 5)こんな事なら 「幼稚園の保母」さんの資格でも 取っておけば良かった と 

今日 一日 女子大学生と 話して 居たのだが

彼女達の 悩みは 深い
1)郵便局に 葉書を買いに行ったら  『家系図は 如何ですか』と 勧誘された

2)紙に書いた家系図は無くても 「心の中に」有れば良いのではないか

他人様に 見せて 孫に見せて 自慢した所で 今が寂しくなるのではと 思ちゃう

3)母の家系は「桑名藩の藩医と聞いているが 

現在の跡取りは 埼玉県熊谷市の老人ホームの住み込み医師だ

4)父の家系は 農民が 武士の位を「買った」 名前だけの武士で

祖父が牛乳屋を始めたくて 美人の芸者の嫁さんを 離縁して

非人エタの(当時 牛を扱える人は部落民だった)こぶ付きと結婚して

(連れ子の男子1名を長男とする約束で)だから父は次男だ

これも 跡取りが タクシー会社を始めるとして 土地を乗っ取られ

死ぬまで タクシー券 より他の財産は無かった

5)こんな本当の事を 家系図に書いて  何に成るのだろう

父母は 原爆で 生き延びて 「死んだ人は墓も 弔う人も居ないよ」

だから 骨は 海に撒きな「自分たちだけ 墓が 有っては 申し訳ないよ」と

言ってた

6)この僕に 家系図の 売り込みをしないで欲しい


1)昨日の日曜の夕方 キリスト教へのお誘いを 「無かった事」にして

犬と 平和公園を 歩いてた すると 懐かしい ポルトガル語が 聞こえて来た

2)此処の所 欲張って インドネシア語とか ベトナム語をやってるので

 ポルトガル語が 口に出て来ない 

3)でも 犬のお蔭で 「可愛いね」「何才」「抱いても良い」と言われながら

久しぶりで ポルトガル語をはなして 心がブラジルに戻った

4)家に帰って  僕が ブラジルに 最初に行った頃に 流行った

アルシオーネの 「あい愛のサンバは永遠に」

Nao deixo samba morrer 当時若かった 今 デブ伯母さんの  Alcione を

を 一人で 歌ってたら 

5)女房が「あら 外国語で歌うと 音痴じゃ なさそう  音が外れて無いみたい」と

ヨイショ してくれた
1)広島の中心街(本通でなく相生通りから 立町に入った所に)以前有ったが 

撤退したので  吉野家の牛丼が 食べたくて 

JRを一駅(今は2駅になった)のって また駅から かなり歩いて

横川の 吉野家まで 食べに行った 時が有った 10年以上前の 話だ

2)吉野家が 本通に戻って来て  3年は経つが  食べたいのだが

嫁さん(もう子供が2人とも独立して 東京なので 嫁さんでは 言い過ぎだが)が

毎日 食事を作ってくれるので ナカナカ行けない

3)で 昨日 中里先生が 誘ってくれて 嬉しくて 食べに行った

でも 座って メニューを見て  牛丼を食べたいとは 思わない

残念だ 「もう 脂が 受け付けなくなってる」

4)で 「黒カレー」成る 少し肉の乗ってる 657円のにした

満足した  でも 昔の 安くて満足から 少し 高い気がした



毎日 日記を書いてから 寝る つもりで

お風呂に 入ると 忘れてしまう

年のせいに したくないけど


1) 大手町(広島の)に ◯3cafeなる 喫茶店がある 朝は早いし 夜は遅いし 

ひとりの女の子が 切り盛りしてる

2)で朝8時半に 犬の散歩でcafe の前を通ると 

「先生」何で此処に と 声がかかる

20年程 前の学生さんだ

70才の定年で  もう今年73だから 毎日 犬2匹と散歩だよと 答え

喫茶店の 女の子に 犬を撫ぜてもらう

3)聞けば 出勤前の coffeeタイムだと 家では 子供3人の食事に 忙しく

パパの分は 「どうせ coffeeと タバコでしょ」と言われて 外で食べる様になったと

4)お変わりなく と 言いたいけど 声と元気さは 昔みたいだけど

髪の毛も 背格好も チャンと 年ですね と 

言われても ムカッと 来ないようになった

昔から 遠慮のない 物の言い方が 変わってない 

5)時代は変わる 後は この 3人の子持ちに 任せて 良いのだろう
1)平和公園で 子連れ親子の外人さん(白人で日本に長いようだ)が 

何処で食事したら? と 言われたので 本通のマックと バーガーキングを伝えたら

注:本通は 平和公園から 飲み屋街までの アーケイド通り 1kmは無いけど長い

2)アーあの ファーマーシー(薬屋通り? )か と言った

良かった この人は 少し日本人を気にして

 ドラッグ( drug隠語で ヤク屋見たいですね)通りと 言わなかった と  思った

3)食べたいのは お好み焼きでなくて 子供と食事だ という

「とみや」という 日本風の 牛肉やを 紹介して 連れてったら 喜んでくれた

4)タレの 塩が強いから ね と 言うと 「だから 貴方は 若くみえるのか?」と笑って別れた

5)そうだな この20年で 本通から 本屋さんは 3件くらい 無くなった 

デスカウントの 薬屋が 増えた 

カラオケ屋さんとが  若い人達の ホテルだか 雑魚寝場に かわった

変わった物は 戻らない 

6)「とみや」と言う 牛肉定食が 変わらないで 欲しいと 思う



1)明け方 雷と雷雨で 目が覚めた 8時頃になり 空が明るくなり 犬の散歩に出れた

2)日曜日の話だが ブラジル人が2名 「禎子」の折り鶴の前で

 「悲惨なミゼラブルな広島は今と 」でも言うべきタイトルで

自分を中心に 映像ブログを  you-tubeに乗せるべく撮影してた

衣装も(tーshirtsだが)こって 折り鶴を プリントしてある

3)でも 何か違う ブラジル人2名は  お互いを 撮影しあって いる

後ろで見ながら 「広島に居る 自分を 見せたい」ので 「広島」を見せたいのでは

ないな この撮影は と 思った これは 受けないビデオかも知れない

4)このブロッガーを見たので「今 加熱してる」アメリカのニュースを思いだした

Gabby Petito と入力すると 一杯 動画が 出て来る

 「 高校から知り合いの 2人が ブロッガーを目指し アメリカ国内の 山奥の観光地を

巡り 毎日 投稿して いたが」

 「8月の終わりに 投稿が消え 9月の初めに 男が帰宅し  女の子が 行方不明だ」

5)FBIが捜査にのりだし 女性の遺体を発見したが 

男子が 今度は 自分から 行方不明だ

6)男の 家の前には 群衆が「キチンと説明しろ」と 取り囲んでいる

見せたい自分と 見られたくない自分が 自分の中に 同居している

7)この男の人の考えは

邪魔な物は たとえ愛した女性でも パソコンの画面から消去するように 

消してしまう 

そして 説明できなくなった 自分も 

フロリダの湿地帯の中に 消して(自殺?)しまうのかも


1)敬老の日の 集まりが 流れて お菓子だけが 届いた

菓子袋の中身は  カステラ  煎餅 と 小さな 金平糖の 袋だ

2)カステラも 金平糖(confeito)もポルトガルから入って来たときは

素晴らしい 洋菓子だったのだろう

3)年寄りだからと 言って 古い物を 配るのは 考える方が「頭が古い」と 思う

僕が子供の頃の カステラは 嬉しかったが 既に 金平糖はありがたくなかった

只の砂糖の塊じゃないか と 思った 「砂糖が尖って どうした?」と思ってた

4)で 今 金平糖を 目の前にして

「食べて 甘くって 歯が痛くなったどうしよう」

「甘いだけの物たべて 太ったら どうしよう」と

「でも 捨てるのは お金をかけて くれた人に 失礼だし」 と 困ってた

5)女房が「時代は変わるのよ」 今 お砂糖は コンビニで 買う時代よ

 値段もスーパーと変わらないし 小さめな袋が 台所で 邪魔にならないわよ と

そうか「甘い」のが 邪魔になる 時代なのだ

6)高校の時 赤坂の とらや も 相模屋も 「甘み所」と  幟が

入り口に垂れ下がっていたのだが 「甘い」が 廃れる時代なのかも
1)今日も 一日 卒業生に 会いに行った 公明党の議員と 一緒に

2)残念だが 話してるときは 対応できるのだが

1日 誰と何をはなしたかが 多すぎて 処理が出来ない

東:間違って 母の所
井戸:階段を5階登った
岩井:不在
圓石:昔通り 目が優しい
黒川:行けなかった
越智: 冷めた話し方
栗秋:探せない住所が
郷田:行けなかった
小林:父親と
斎藤:半ズボン 中高一貫の三入?の中学
酒井:母と話した?
下岡:在 東京 父母が歓迎
小路: 覚えてない
田村:お母さん 嫁さん 子供2人
坂東 :家が探せない
細貝: 覚えてない
松尾: 行かなかった
三原 :覚えてない
佐々木:萌:外人かな?インターホンが
森崎:不在(運転手さん良く知ってた)結婚した
森田: 居住者なし
鍋岡:お母さんかな

70才の定年は 仕方ないかな

1) 日本人の女性が 英国で結婚して暮らしている ブログを読んでて

お菓子のレシピに「 小麦粉170gバター110g 」と 出て来た

2)何だろね この中途半端な数字は それに英国は ポンド ヤード オンスで

グラム表示じゃ 無いだろう と 思った(思っていた)

それに 台所に 秤を置く場所が無いだろうとも 思った

3)時代は変わる 変わったものは 戻らない

料理の下手だった母が テレビの 料理教室を 見ながら 「作り方」の 本を買ってたのは

50年は 前だ  料理の作り方がを  今は レシピ と 言う

4)家が開業医だったので レセプト(医療明細)は 父母の会話から聞いていた

で子供の頃 小型ラジオ模型を 作るのが 流行し

ラジオと呼ばずに  レシーバー  と呼ぶのが格好よかった

5)今じゃ7−11で 自分でお金いれ 店員さんに レシートはどうしますか と聞かれる

医者のレセプトも 女房の レシピも 7-11の レシートも 基を正せば 同じじゃないか

6)何か 漢字に 色んな 読み方を 覚えさせ 英語(ヨーロッパ語)も色々変えて

沢山 覚え込ます 日本人のひち面倒な 習性なのかもと 思った

7)今までは 慣れでコナして来てますが

イケマセン イケマセン

カタカナを 聞くと イライラする老人に成りつつあります




1)台風(の恐れ)一過 秋晴れの 気持ちの良い日だ

で 奥田さん(僕が教授に成って 最初の学生さん 20年の付き合い)と

¥580円の 刺身丼を食べた

2)家庭では  この値段で 如何に上手に 魚屋さんを 回っても

この商品は 食べられない と 思う

3)で11時に 行くと 開店は10時だと 思うが 明らかに 最初の客が僕たち2人だ

なぜって 鰹の 刺身の 外側が 多少 「色が変わっていた」から

きっと 端を切って捨てるなんと 言う事をしないのだろうな 多少の変色では

安い価格を維持するには 客も協力せねば と ガマンした

そうは 思ったが 味は 変わらなかった

4)でも 此処が行列も出来ず すいているのである

焼きそば お好み焼き 饂飩と 単価が ほぼ同じなのだが 刺身 以外の方が混んでる

「低価格の 刺身」に対する 不信感のほうが 根強いのかも

つくづく「変化という試練」を 直ぐ始める 僕が オカシイのかも なのかもしれない




1)50年前の話だが 大学にはいって 直ぐ 読まされた本がある 

エリック ホファーの  「変化と言う試練」だ 

学校なぞ 言ってないが 7才で視力を失い15才で回復し 

ひたすら 本を読んだ アメリカの沖仲仕の書いた本だ

2)この本を 英語で読めると 留学が出来ると 教授に言われたけど  

英文の原書を買う勇気は無かった

3)英語は勉強しなくて良いよ 

アメリカは いずれ終わる 此れからは 中国だと 思って 中国語にした

 「お蔭で すこし 早とちりで 失敗したが その話は 別に書く」

4)でも この本は 「思想」なぞ 振り回すな 

些細な変化が人間には大変なんだ 

まして毎日の 安心した 生活を 自分から ナカナカ変えられない

でも「世の中の 変化に ついてイケナイと」滅びるのだ と 書いて 有った気がする

5) 先週 娘に 手元に残した 古い本を 送ろうとして 

「読み返してご覧 好い事が 書いてあるから」と メモを いれようした  

6)すると 女房が
 「今 本を 送られても 娘も可哀想じゃない 聞いてからにしたら」と 言う

「老いては子(女房が僕より若い)に従え」 と思い 

娘に 「送って良いかな?」とラインした

7)パパ 現場は もう その古い本に 書いてある 技術は 意味を 成さないよ

 「気持ちだけで 良いよ」 と 言われ

今朝 本を マンションの ゴミ置き場に 紐で括って 捨てに行った

13時 中里先生
惚けたかな

日記を 書き忘れて
1)広島では「古江」の無花果が 美味しいと 言う事になってて

昨日 家に届いた 

2)子供の頃70年程前 無花果が 隣の家に有って 夏の終わりに 「食べて良いよ」と

言われて 食べたが 「美味しい」と いう記憶がない

3)で 中学 高校と隣の家と 付き合いが無かったのだが

僕が 大学生になって 暫くして

お隣の奥さんが 僕の3つ年下の高校生の女の子を連れて

「幼なじみ だから 付き合って」と 頼みに来た

4)親が連れて来なければ 来れない程 知らない訳ではない

お隣のお嬢さんの顔ぐらい 知ってる

「止めてよね」と キッチリ言わないと と 思ったが

幼稚園  小学校の頃 よく遊びに行った お隣さんの手前言い難い

5)何とか かんとか 「家に上げず」玄関で 帰ってもらった

でも 玄関に 何か 新聞紙に包んだ 手みやげが 置いてあった

あの隣の家の木の 「無花果」だった

1) 20年程まえに 息子と 良く通った 「かつや」というトンカツ屋が 

広島の中心街から撤退して 寂しかった たしか 祇園まで 行かないと無かった

所が 今に成って なぜか 街の中心街に 顔をだした 

しかも 「いきなりステーキ」と 「牛角」と「coco一番」が並ぶ真ん中に 小さな店だ

2)嬉しくて 2度も 行ってしまった でも  一回目は嬉しくて味が「懐かしい」しか

分からなかったが 

3)今日2度目に行くと年なのか 豚の脂が 少しお腹にもたれる

悔しいが 僕の年齢相応なのかもしれない 僕はこの市場の顧客対象から外れてるのかも

4)古い話で恐縮だが 「いきなりステーキ」も 東京の神田神保町に出来た時 うれしくて

娘と息子を連れて 行った あれから10年程 経ったのかもしれない

「いきなりステーキ」に 競合の「やっぱり ステーキ」も もう広島で1年程になる

残念だが 一緒に行ってくれる 相手が居ない

5)時代は変わる 変化について行かなければ いずれ滅びる ダイナソー(恐竜)かも
1)日曜日の 平和公園の土手は デートに気分の良い場所だ

そこで すでに数回 顔を合わせている インドネシア人のペアと話をした

2)彼女は来年で 3年の期間を終えて バリに帰る 僕はまだ後1年と少し日本に居ると

二人でスーパーで買って来た物を お弁当にして 食べてる

3)インドネシア人にしては 犬を怖がらないし 抱こうとする

大概の ベトナム人もフィリッピンの人も ミャンマーの人も

「犬を汚いか 噛むか、恐いとして触らない」

4)中国人の人ですら 留学生を除いては 犬を触らない

留学生は 日本の犬は 触っても大丈夫と言うか 

家庭の文化程度が上がって 愛玩犬を 認める所まで 来てるのだろう

それに キット食文化の 差なのだろう 昔から 犬を食べてた文化だと

膝にあげて抱く気には成らないのだろう

5)僕たちが 牛や 豚を 家にいれて 一緒に布団に寝るとは 想像しにくい

でも 家の2匹の犬は 僕と一緒のベットで寝てる
1)犬の散歩 以外は  家に居るので 宅配便の 受け取りは

僕が 家に居る限り   僕が出る

2)あら 最近は 危ないから (コロナか 不法侵入か 別にして)玄関の前に 置いて

おいて貰うのよ と

そうだろうな 女性の一人暮らしは そう成るだろうな と 思う

3)何となく 働いて 居る人に 「顔も見せない」のは 家に居る限り 失礼では と

思うのは 古い日本人の僕なのかも

4)で 先週 2人の 配達員に(男性と女性 ヤマトと佐川)

 「あのー 大学で 教えてましたよね?」と聞かれ

そうですか「表札」をみて そうかな? と 思ってたのですが

「懐かしかった 楽しかったですよ 授業」と 言われて 嬉しくなった

5)でも 20年前は たしか 高卒しか 宅配便は 雇わないはずなのに

僕は大学で教えてたんだよな と 思う 時代は変わる


1)流川の居酒屋さんの 旬華秋冬 が

 スーパー「ふじグラン」の3階の フードコートに店を出したので

 食べに行こうと N−先生が

 このスーパーは 20年程前 ロシア系の美人さんが (ジャパゆきさんと 思うが)歩いてる

目の保養ができる楽しいスーパーで

広島の飲屋街の終わった川沿いにある

2)道路を隔てた 向かいはホテル『ヒルトン』が建築中だ

3階の フード コートに 並んで 順番をまつ

確かに 580円の サービス丼は お値打ちだ

先週食べた 630円の 日の出鮨ありあけ より 量が1.5倍は優れる

3)で 秋の始まるを 思わせる  風に吹かれながら テラスで食べた

で 130円の アルミ缶の coffeeを コインを入れて ガチャンと 落ちたのを 吞みながら 

話して「来週も 此れを食べますか? 」と 言われて 答えに窮した

明日 女房にこの580円を 買って帰って 2人で 食べようとは 思うが

4)たまにあう 外食と しては 子供が 走り回る フードコートの 席で

ゲームをしながら 鼻くそを ほじくってる 中学生の脇で 食事をするのは

僕の 年に 会わない

1 2 3 4 5 6 7 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索