75年前の続きです

(1)父を送り出した母は 家に居ました

8月6日は 朝から日差しが強く   鳥も鳴くし 蝉の声五月蝿かったのです

所が その瞬間 全ての音が止んだ と 母は 言ってました

「何か有った 鳥や 蝉まで が静まり返る 何かが」と 思って

思って 縁側から 下駄をはいて 小さな庭に 降りました

その瞬間  何がか起こって 

振り返ると と 今出て来た 木造の (官舎)が吹き飛んで 無かった と 言ってました 

(2)父が 将校ですから  アパートでなく  一軒家で 小さな 庭が有ったのです

その庭は 軍の宿舎なので シッカリとした  コンクリートの塀で 守られて居ました

この塀が 身長が 150cmない小柄な母を  放射能からも 爆風からも 

守ってくれたと思われます

(3)母は何が起こったか 不明で 何をしたら良いのか お父さんに どうしたら会えるのか

解らなかったのですが

壊れた家から 沢山出た 薪を使って

家に残っている お米を 全部炊いて おにぎりを 作ることに しました

ご飯を炊いていると 

兵隊さんが 担架に 父をのせて 「中尉殿が 電停に 倒れていました 」と

運んで来て呉れました 会えてウレシいのですが

 頭から血をながし 意識不明でした

家が吹き飛んで 無いので 官舎の 裏山の 横穴の防空壕に 

父を 運び込んでもらいました

これから3日間 防空壕の中で 父の意識の戻るのを  

今の 家庭用の 小さな救急箱一つで 消毒してました

(4)住宅の壊れたのは 我が家だけでなく 軍の官舎も 殆ど壊れてましたので

防空壕の中は まるで 近所が 全部 キャンプしている 感じだったと

で 母が思い出して言うのは

一番 役に立ったのは 蚊取り線香と 団扇だよ と

 寝ている 父を 蚊が刺さない様に 団扇であおいで

 夜は蚊取り線香を 炊いて そばで寝てたと母は言ってました


3日たった 朝 父が「水」と 言った とき 

母は ウレシくて ウレシくて  それ迄は 3日間 緊張していたのが ほどけて 

初めて 涙が 出たよ と 母は 言ってました


コメント

まるこ
2020年8月10日20:05

すっかり読み入っていました。
話でしか聞いた事が無かったあの日を、こうしてリアルに先生がお話下さることで、想像を巡らせる事が出来ます。貴重なお話をありがとうございます。

ポピー
2020年8月10日23:08

たまたま1本の煙草で電車を乗り過ごし、異様な気配にとっさに家の外に出た途端、
片や放水路の土手の影、片や宿舎の庭先の頑丈なコンクリート塀に身を守られ、
すごい偶然と強運が重なったんですね。
でないと、爆心地からその距離で夫婦2人とも助かるなんて、奇跡です!
振り向いたら家がないって、どんな気持ちだったんでしょう。

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