母と暮らせば その1
2019年10月13日 日常父と暮らせばを 書いていたら
父の2年程前に逝去した母とも 僕は2人で 暮らしていた 事を思い出した
小学校の5年生の春だとおもう
日曜日だと 思うが 母が「ランドセルに教科書入れな 出るよ」と 僕に言い
タクシーで 大森駅を過ぎて 馬込の 森の中みたいな古い家の脇の
新築のアパートに 2人で暮らす事に成った
母は 新橋の何とか病院に 勤務医として 勤め始め
大森駅まで 毎朝 一緒に アパートを出て
(バスに乗って行ったか 歩いて行ったか記憶はないが)
僕は 蒲田駅まで もどり 池上線にのって 雪谷大塚の
清明学園と言う 私立の学校に 通っていた
僕は小学校の3年の遠足の日から 小学校の6年の12月までこの学校の生徒だった
父の2年程前に逝去した母とも 僕は2人で 暮らしていた 事を思い出した
小学校の5年生の春だとおもう
日曜日だと 思うが 母が「ランドセルに教科書入れな 出るよ」と 僕に言い
タクシーで 大森駅を過ぎて 馬込の 森の中みたいな古い家の脇の
新築のアパートに 2人で暮らす事に成った
母は 新橋の何とか病院に 勤務医として 勤め始め
大森駅まで 毎朝 一緒に アパートを出て
(バスに乗って行ったか 歩いて行ったか記憶はないが)
僕は 蒲田駅まで もどり 池上線にのって 雪谷大塚の
清明学園と言う 私立の学校に 通っていた
僕は小学校の3年の遠足の日から 小学校の6年の12月までこの学校の生徒だった
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