父と暮らせば その5 木曜日
2019年10月10日 日常 コメント (2)母の 火葬場は 五反田 の桐谷斎場でした
大勢の方がみえられる 式が周りであるなか
僕の家は 霊柩車と家の車と2台だけでした
骨に成る迄 焼ける間を待っている 間 父との会話も まばらで
宗派にも拘らず 読経してくれる お坊さんも 斎場におねがいしまして
簡素なものでした 焼き上がると お呼びがかかります
骨を拾う? と父に聞くと とても出来ん やってくれ と 座り込みます
でも 帰りの車では 母の骨を 大事に膝に乗せてました
大勢の方がみえられる 式が周りであるなか
僕の家は 霊柩車と家の車と2台だけでした
骨に成る迄 焼ける間を待っている 間 父との会話も まばらで
宗派にも拘らず 読経してくれる お坊さんも 斎場におねがいしまして
簡素なものでした 焼き上がると お呼びがかかります
骨を拾う? と父に聞くと とても出来ん やってくれ と 座り込みます
でも 帰りの車では 母の骨を 大事に膝に乗せてました
コメント
お母様が亡くなられて1年が過ぎたからと仰り
自ら道を決められたこと・・・
沢山の色々なことがおありだったと思います。
けれど、お父様にとってお母様は本当に本当に
唯一無二の存在でいらしたのだと思いました。
有り難うございます
実は 晩年は 仲の良い夫婦でした
デモ 若いときは 夫婦が別居をし
小学校5−6年と 僕は母と2人で 暮らしてました