母の 火葬場は 五反田 の桐谷斎場でした

大勢の方がみえられる 式が周りであるなか

僕の家は  霊柩車と家の車と2台だけでした

 骨に成る迄 焼ける間を待っている 間  父との会話も まばらで

宗派にも拘らず 読経してくれる お坊さんも 斎場におねがいしまして

簡素なものでした 焼き上がると お呼びがかかります

骨を拾う? と父に聞くと  とても出来ん やってくれ と 座り込みます

でも 帰りの車では 母の骨を 大事に膝に乗せてました


コメント

都わすれ
2019年10月10日10:54

昨日のお母様のお骨にお話をされていたとのお話し、
お母様が亡くなられて1年が過ぎたからと仰り
自ら道を決められたこと・・・
沢山の色々なことがおありだったと思います。
けれど、お父様にとってお母様は本当に本当に
唯一無二の存在でいらしたのだと思いました。

yasai
2019年10月10日13:37

都わすれ 様
 
有り難うございます 

実は  晩年は 仲の良い夫婦でした 

デモ 若いときは  夫婦が別居をし

小学校5−6年と 僕は母と2人で 暮らしてました

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