山の中の細道(舗装は一応してあるが)を走っていると、裏に名前の掘ってある。大きな石碑が建っている。
戦死者の碑が多いが、読んでみると、明治、大正である。2次大戦の物はない。一番、戦死者が多い記憶は石碑にならないようだ。
自分の体力が無くて、走れない言い訳として碑文を読むと、戦争をしたかったのだろうな?と思ってしまう
それに山の中に こんな立派な小学校を村の力で作ったという、誇りもつたわる、たかだか100年前の事なのに、山の中の田舎に大勢の人が住んでいたのだろう
山の裾の林の中に 更に古い崩れかけた墓石と、寺の跡があり、ハイキングコースの案内板に「殿山」と書いてあった。
日本は山の中に有ったのかと思わせる合宿と廃校だった。
戦死者の碑が多いが、読んでみると、明治、大正である。2次大戦の物はない。一番、戦死者が多い記憶は石碑にならないようだ。
自分の体力が無くて、走れない言い訳として碑文を読むと、戦争をしたかったのだろうな?と思ってしまう
それに山の中に こんな立派な小学校を村の力で作ったという、誇りもつたわる、たかだか100年前の事なのに、山の中の田舎に大勢の人が住んでいたのだろう
山の裾の林の中に 更に古い崩れかけた墓石と、寺の跡があり、ハイキングコースの案内板に「殿山」と書いてあった。
日本は山の中に有ったのかと思わせる合宿と廃校だった。
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