今週は中間試験を行う。遅刻して来た学生が全員がシーンを下を向いて字を書いているのを見て

 「先生、今日、試験だった。」と慌てる。何とかちゃんコッチコッチ「席とってアル」と手をふる相手が居ない、これは少し気持ちがよい。

 でも試験などしなくて良いと僕は思う、学校は順番を付ける所らしいので、習慣してやっているが、成績という順番をつけても、高々、記憶力のテストである

 古い話で恐縮だが、記憶力なら、隣の家の田舎のバーさんも僕の生まれた日の事を事細かく知っていた。

 これだけWikiやGoogleが発達したのだから、試験の回答の差は検索能力の差のようで、その中から答案用紙に書ける分量が各自の脳のメモリーに残っているかを試して居るようである

 これは一体 何に成るのだろう?と思いつつ 僕は何をしてるのだろう?と思う浅井であった。

コメント

nophoto
あべ
2009年12月3日9:29

学校側の曖昧な目的はともかく、先生側から見れば試験は日頃の自分の授業を学生さん達がどう理解しているのかをチェックする絶好の機会なのではないでしょうか。記憶力のテストではない試験問題の出し方は難しいのでしょうか?ところで昨日広島に行った際、車で市内に向かうときに山の中腹に立つ立派な建物をあれが比治山大学です、と教えてもらいました。王将は見えませんでした。

どん太
2009年12月3日17:48

学生の側からすると、中間テストをしてくれる先生は、
熱心で生徒が好きな先生なんだなあと感じます。
(私の通っていたところは中間テストがマンダトリではなかったので)

年取った先生は授業を流すし、若い裁判官の派遣教官の先生は、教えるのが新鮮で楽しいのでしょう。
熱心にテストをしてくださいました。感謝しています。


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