高校の教科書と副読本というか資料集を見ていると、こんなにドウやって覚えるんじゃ、こりゃ無理だと言うほど事実が羅列してる

 どう、覚えて行けば頭にはいるよ、と何処にもかいてない、いや書いてあるんだろうけど、何処に書いてあるか、分からない

 きっと船頭おおくして船山に登るを地で行ってるのが、高校の教科書なのだろうかと疑ってしまう。

 だから予備校のカリスマ教師の本の方が読み易いのかもしれない。会社生活をしているとき「頭のいい奴が多すぎて困る。」と誰かが言ってた

 学校になると「頭の良い奴を育てようとする。」きっとそれが教育しすぎる弊害なのかも、だから学校では学校で一番少ない能力を持った人が偉くなる

 一番少ない能力とは、例えば応用が利かない(無能と普通は呼ぶ)とか、周りの状況に反応しない(鈍感と普通は呼ぶ)である

 企業なら「売れない。」と言う外部の歯止めで倒産するが、新規参入の難しい業界(大学のこと)は外部の歯止めが効かない。

 世の中には創業者の親族の理事長が居座る学校も多い、しかも老齢であることも多い。普通はこれを老害と呼ぶ。

コメント

淵瀬春秋
2009年11月29日9:36

 覚えること自体は不可能ではないのでしょう。問題は、高校の教育というのはまったく何がしたいのかが判らなかったですね。予備校の優れた点は、「入学試験に通ること」というターゲットが明確であったことと、構造的に「入学試験」の奥にある大学と社会の問題を考えさせることにあったと思います。
 予備校講師と高校教員の違いはこの辺りに差があるのではないでしょうか。

nophoto
蘇芳
2009年11月29日20:06

高校の教科書はあってないものでした。
買いはするけど、授業では全く使わないものもほとんどです。
そこをいくと、大学の教科書?も同類のものが大半です。
違いは大学は買わない選択肢も人によってはできることでしょうか。
個人的には高校の参考書の方が、大学で買うものよりも分かりやすくて役に立つ場合が多いです。…が、使う能力の問題だと思うので…。

予備校では学校のような状況は起きないのですか?
(<学校では学校で一番少ない能力を持った人が偉くなる)
学校しか頼れない人間だったのでよく分かりません。

淵瀬春秋
2009年11月30日9:06

「大学に受かる」という目的を実現するために予備校のテキストは作られているので、目的に合わないものを提供することは先ず無いです。
 大学でのテキストの扱いはいろいろでしたね。テキストに沿った講義もあればそうでないものもありました。簡単には勉強したいと思うことの本を買えばよいのであって、それがテキストである必要は無い、というのが大学でしょう。

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