久しぶりに東京に出て5年先輩の迫力に圧倒されてしまった。良く此処まで一生懸命に出来るものだと恐れいる。
60歳の少し前に新日鉄の子会社の常務か専務になり、63歳で御勇退と思っていたが、韓国の大学の大学院へ学生として2年ほど行かれる。
その後は日本に戻り就職活動を大学にして今は帝京大学で講師をしているとの事
150人の学生の顔と名前を覚え、欠席が続くと家に電話して父兄と話をするとまで言われるともう付いてイケナイ
僕もだらしない先生に成ったかと思った
60歳の少し前に新日鉄の子会社の常務か専務になり、63歳で御勇退と思っていたが、韓国の大学の大学院へ学生として2年ほど行かれる。
その後は日本に戻り就職活動を大学にして今は帝京大学で講師をしているとの事
150人の学生の顔と名前を覚え、欠席が続くと家に電話して父兄と話をするとまで言われるともう付いてイケナイ
僕もだらしない先生に成ったかと思った
コメント
人それぞれのペースってものがあると思います。
仮にだらしない先生だったとしても、浅井教授は浅井教授なんです。
そんな浅井教授が、僕は好きなのです。