日が暮れかかってから呑みに出掛けた。研究室が僕のお隣の17年間USAに居て「外国人に日本語を教えていた」先生と2人で自転車で出掛けた。
行く先は川向こうの呑み屋だ。川面(かわも)を渡る風が午後の蒸し暑さを拭い(ぬぐい)去って呉れる。川の水量も多い。
店は韓国料理だが今の言葉で言う「子ジャレタ」女性客の多い店だ。僕は酒が弱いので、さほど呑める訳ではない。多分、隣の席の女性の方が呑んでいるだろう。
帰りの道で「蛙」の鳴くのを聞いた。記憶が子供の頃に戻った。「爺ちゃんの田圃の蛙が鳴くのを聞いて、一体ドンナに沢山の蛙が隠れているのか。」と不思議がった小学校の頃をが浮かんだ。
世界が変わって、日本が進歩しても、お米作りの田圃はナカナカ変わらないのかもしれない。あの蛙が食べるだけ充分の虫がハエが残っているかと心配するのは、余分な教育を受けた頭でっかちの「地球の環境を考える」学問の罠(わな)かも知れない。
行く先は川向こうの呑み屋だ。川面(かわも)を渡る風が午後の蒸し暑さを拭い(ぬぐい)去って呉れる。川の水量も多い。
店は韓国料理だが今の言葉で言う「子ジャレタ」女性客の多い店だ。僕は酒が弱いので、さほど呑める訳ではない。多分、隣の席の女性の方が呑んでいるだろう。
帰りの道で「蛙」の鳴くのを聞いた。記憶が子供の頃に戻った。「爺ちゃんの田圃の蛙が鳴くのを聞いて、一体ドンナに沢山の蛙が隠れているのか。」と不思議がった小学校の頃をが浮かんだ。
世界が変わって、日本が進歩しても、お米作りの田圃はナカナカ変わらないのかもしれない。あの蛙が食べるだけ充分の虫がハエが残っているかと心配するのは、余分な教育を受けた頭でっかちの「地球の環境を考える」学問の罠(わな)かも知れない。
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