カタカナ語でないと、心配な進路指導をする高校の先生の意を汲んで(くんで)なのかオープンキャンパスなる高校生の大学を覗こう(のぞこう)会が流行っているようだ。

 日曜の朝に高校生がゾロゾロと比治山大学の坂を上る。素直というか、教育のシステムを盲信する風潮があると言うか高校の先生の指導の賜物(たまもの)なのだろう。

 マンガの日本語版と英語版を並べて置いておくと、座って読み出す高校生が僕の机の前に居付く(いつく)。英語と日本語を見比べて読んでいる子は30分ほど緊張の時間を過ごすと、顔をあげて

「此れを大学でやるのですか?」と聞いて、帰えろうか、如何(どう)しようかソワソワするが
日本語のマンガだけ読む子は,周りの状況を見向きもしない。マンガに顔が引っ付いている。

 「ねえ、帰らない。」と言われてシブシブ、本を下へ置く。
立ち読みを怒られたコンビ二に居るように、まるで
「僕は何もしてないよね。」みたいに首を回す。

 此れが僕の教材なのだが、彼らにはマンガなのだろう。それにしても一度や2度は読んだマンガにアレだけ集中できるのは、マンガの魅力が凄いのだろうと感心する。

 僕の講義でテロやアフガンの話をすると、本人が理解したか否かは別にして「それ、聞いた。」と直ぐ答え「もう要らない。」とばかりに隣と話し出す学生がいる。

 僕の講義はマンガに遥かに(はるかに)及ばない(およばない)2度も3度も聞かせられない。

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