又mailが来た「先生、学生は暇だからテレビをみるのです、単位を取るために授業を受けるのです。 でも先生の授業はテレビでも単位のために行く授業でもありません。少なくとも僕にとっては。」

 僕は講義のなかで「知的興奮」を売っていると思っている。高校までの覚える勉強は終わりで、考えて頭を使うのが楽しい。と言う興奮を伝えたいのだ。興奮だけなら落語や漫才に似ている。一人芝居で何かの興奮を売るというのは近い存在だと思う。

 僕は小、中学校ズーッと体育が「2」だった。劣等感を持っていた。高校からラクビー始めたが何時までたっても、大学をでて社会人になっても。誰も上手だと言ってくれない。「よくやるね。とか体力はついたね。」だ。

 「頭を使う」と「体を使う」の仕組みが似てると感じたのは40歳を超えた時だ。スポーツ選手も頭と体と両方使う人が残る。と思っている。だから僕のテストは体力テストみたいに膨大な量なのだ。

コメント

nophoto
2006年7月15日5:48

僕は今、大学に年間100万円近い授業料を払ってるけど、
そのうち70万円位は先生の講義だけに払ってるつもり。
先生の講義は、どんな最高な映画や音楽より、どんなに過激なポルノより、どんなに強いお酒より、僕の脳みそを興奮させてくれます。先生の講義を受けてると、興奮しすぎて講義中なのに叫びたくなる時が良くある。

yasai
yasai
2006年7月15日10:16

そう言ってくれるとありがたい。頭を使う、使い方は、ボールを投げるのと同じだ。と言っても中々理解してもらえないのだよ。ボールの変わりに紙に書いたり、言葉で答えるのだよ。

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